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羊飼いのモノローグ

2012-05-14

写真雑想 1


めちゃめちゃ久しぶりになってしまった。
もはや殆どの人に忘れられているのではないかと思うのですが、それも仕方ないなぁと
思えるくらいのブランクです(^^;)

この半年くらい写真の事をいろいろ考えていて、なかなか奥の深い世界で考えが纏まらな
いという面があるのですが、久しぶりに思うところを書いてみようかなと。

「写真らしさ」というのは何だろう?
ということを実は考え続けているのですよね。

写真は絵と似たようなフィールドにありますから比べると面白いのですが、絵と比べて写
真の独自性ってなんだろうと思うと、一つはカメラやレンズと言った機材の影響する部分
が大きいと言うことですね。絵を見ていて「どんな筆で描いているんだろう」って思うこ
とは少ないですけど、写真の場合は「どんなカメラで撮ったのかな」とか「レンズは何だ
ろう」っていう事が重要な要素になっています。

絵の場合は道具を「使う」ウェイトが大きいですが写真は道具を「選ぶ」ウェイトがかな
りあるということですね。機材を変えると写真が変わりますから、実は機材を選ぶところ
も作品の一部になっているということです。逆に機材を変えても写真が変わらなければ
「変える意味がない」ということですよね。これは考えたらわかります。

しかし単純に解像度ひとつとっても、優れたカメラを使えば写真の質感は変わります。
最近NikonのD800Eの作例をみていて「すごいカメラだな」と思いました。同じ人が別のカ
メラで撮った写真と明らかに質感が違います。これを「写真が良くなったのではなくてカ
メラがよくなっただけ」って片付けることは簡単ですが、最終的な結果にこれだけ差があ
れば、そのカメラを選んだことが作品の質を高めたのだから、そのチョイスが素晴らしか
ったという事です。

写真にはどうも昔からそういう要素があります。
一部のスポーツ(ゴルフなど)もそうですが、良い結果を出すために道具を厳選するとい
うのが力量のうちに含まれているということですね。良い写真を撮るのに道具は関係ない
と言う人もいますが、絶対関係あります。それは「良い道具」が「高価な機材」という意
味ではなくて、自分の表現にあった機材を選ぶという意味でそうだと思うのです。
別に5DMark?を選べという訳では無く、いい写真を撮るためにiPhoneを選ぶ、というの
もそう言うことだと思うわけですね。

そう言う意味で自分にはフィルムカメラが合っています(D800Eを褒めておきながら真逆ですが・・・)。
なんとしてもフィルムしかなかった時代の写真が好きなのです。好きなのだから仕方がな
い。今更フィルムですかと思うのですが、フィルムなのですよね、これが。
解像度や色再現性ではもはやデジタルには適わないと思いますが、その不完全性に惹かれ
るんでしょうか。それとも昔は良かったと思ってるのでしょうか。よくわかりませんが(^^;)

福岡 天神にて
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PENTAX MX / smc PENTAX 50mm F1.4 / FUJI NEOPAN400CN

2011-08-22

どうして写真を撮るのか。

やっぱりいろいろ悩むこともありまして。
僕はどちらかというと、理詰めで考えてしまうところがあって、そのせいで逆に袋小路に入り込むこともあります。自分のやっていることの意味が分からないと不安になる体質のようで、やっかいなのですよね。

写真は記録です。
というのはあまりにも当たり前ですけれど、子供の成長記録や人生のイベントをできるなら記録しておきたいというのは、写真を撮る動機としては、十分すぎるくらいですよね。
時間というものは立ち止まってはくれませんから、放って置いたら消え去っていく景色を残す方法は無いのか。写真が発明されたいきさつはきっとそういうシンプルな欲求だっただろうなと思います。

でも僕は、毎日毎日写真を撮っているのですけれど、子供の成長記録や人生のイベントはほとんど撮っていません。

絵を描く代わりに写真を撮っている。
要するに絵描きが絵を描くのと同じなのだと。そういうことを言う人もいますね。
ああ、それは分かるな。
僕はもともと絵を描くのが好きだったし、子供の頃から暇さえあれば落書きをしていたような記憶があります。

写真は僕にとっては絵と同じような意味合いがあるのかな。
だから撮影した後現像する作業が、ちょっとイラスト作製っぽい感じで好きなのだろうか。色をどうしようとか、トーンをどうしようと考えて仕上げていく作業は、言われてみれば絵を描く感じに似ているとも言えます。

でも最近僕は、レタッチに時間をかけるのがなんとなく、「違うなぁ」と思うようになってきて、フィルムで撮る割合を増やしたりしている。フィルムの場合デジタルのRAWデータのようにレタッチが自由にできる訳ではないので、デジタルからフィルムへ嗜好が移るというのは「絵を描く」という行為から、遠ざかることになります。

そうだ、これは日記の代わりではないでしょうか。
僕は日記を書くのが、ものすごく苦手で、毎日の出来事をまめに記録している人を見ると真剣に尊敬してしまいます。今まで何度か「よし、今日から日記をつけよう」って決意したことがあるのですが、文字通りの三日坊主なのです。このブログも段々更新するのが遅くなってきたので、ちょっと危険な香りがします(笑)

でも写真を撮るのは、しばらく飽きる様子がありません。一日全くシャッターを切らないという日はほとんどありません。作品にするしないに関わらず、常にカメラは手元にあるし、なんとなく目に映るものを撮ったりするのですよね。

だから日記の代わりとしてやっているのかもしれません。デジカメは撮影した日が記録されているので、撮ったのがいつだったかわかりますしね。

他の人はどう思っているのかなぁ。

 「どうして写真を撮るのですか?」

このところずっとそのことが頭から離れなくて、いろいろ考えあぐねて、ちょっと写真へ向かう気持ちが止まっていました。なんとか納得のいく説明を見つけたい。そればっかり考えていました。

するとひょんなことから、思わぬ答えに行き着きました。

それは、ウィリアム・エグルストンという写真家が言った言葉を読んだときでした。
エグルストンという写真家は、70年代に世界で最初にカラー写真で展覧会をやった人で、カラー写真の歴史は彼から始まると言われているアメリカの写真家です。それまでは写真と言えばモノクロで、カラーはCM用の写真で芸術的価値は認められていなかったのですが、彼をはじめとするいわゆる「ニューカラー」の写真家によって、カラー写真の価値が認められるようになりました。

そのエグルストンが友人の写真家に「君はどうして写真を撮っているのか?」と尋ねたのです。
すると、その友人はこう答えるんです。

 「写真になったとき、そのものがどう見えるかが見たいからだよ」

エグルストンは、「それを越える答えは無い」と感じたそうです。

これを見たとき強烈に共感するものがありました。
写真を撮るという行為に潜むシンプルな欲求を見事に言い当てた言葉です。
ああ、そうだと僕も思いました。
景色から切り取られた場面が「写真」になったときどう見えるか、それを見たいからなんだ!
この純粋で素朴な動機の美しさと言ったら。
そのためにお金かけて機材を買い、時間をかけて撮影に出かける。重いカメラバッグを抱えて、人から「怪しい」と思われようと、めげずにシャッターをを切る。帰ってからモニターを見たり、プリントされた写真を見たりするときの楽しみのために。ただ、それが見たいから。だから写真を撮っている。
なるほどそうなんだ、と僕は思いました。

もちろん、また時間が経てば「違う答えを見つけた」と言い出すに決まっていますが、でも現在進行形としては、これでよしと思うのでありました(笑)

『cafeにて』
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PENTAX K-7 / PENTAX FA35mm F2AL

『港町の通り』
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PENTAX K-7 / PENTAX FA35mm F2AL

2011-08-10

トリミング考。

すごく間が空いてしまいました。
仕事も忙しかったり、夏バテで気力が無かったりと、悪条件(言い訳)が重なっておりまして(^_^;)

さて、表題の件。
みなさんトリミングってどう思われるでしょうか。
率直な感触を言えば、あまり好かれていないな、という印象があります。どちらかというと上手くいかなかった構図を後から調整しました、という感じになるので、レタッチと同じように捉えられているのかも知れません。むしろレタッチよりさらにネガティブな印象ではないでしょうか。

「素晴らしい構図ですね」と褒められても、トリミングしてた場合は「実はトリミングしてるんですよ〜(^_^;)」って素直に喜べない感じがありますよね(笑)

で、僕の場合ですけど、僕はトリミング賛成派です。

もちろんしないでいい写真ならそれに越したことはないですが(手間も省けますしね)、もしトリミングで良くなる写真だったら、積極的にした方がいいと思ってます。
確かに確かに僕の場合もトリミングすると「ちょっとやましい感じ」がするのは事実です(笑)
それは、つねにノートリミングで最高の構図をとれるようになりたいという気持ちがどこかにあって、それに反するような感じがするからじゃないかと思うのですが、でも、自分の写真技術って全然完成していなくて、つねに発展途上なのですから、写真が完全でないのは当たり前で、後で補正して良くなるのだったら、するべきだとぼくは思っているのです。

極端な話、もし画家が「あと少し描き加えたらもっと良くなる」と思っているのに、しないと言うことがあればそれは手抜きです。写真の場合は全く同じとは言えませんが、もっと良くなる可能性を放置するのは、感覚を鈍らせることになるのじゃないかと思うんですよね。

仮に一枚の写真を複数の人に渡して「最上だと思うようにトリミングしてください」という課題を与えたらきっとそれぞれ違う結果がでるでしょう。主題が明確でない写真ほど、個性がでて違う画が出来上がると思います。

ですからトリミングというのは「構図を詰める」訓練になると思うのですよね。もっと良くなる切り取り方はないのかと、画とにらめっこするうちに、だんだん構図感覚が出来上がってきて、とっさに「いつもトリミングするような画」に近い構図を初めから選ぶようになってくる気がします。

やっぱり何事も練習ありきだと。そう思うのです。

ま、そもそもカメラのファインダーって写る画と同じものが見えてる訳じゃないですよね。実際はファインダー像の方が若干狭いことが多いのです。最近のカメラだとファインダーの視野率が100に近いので、わりと合致してるかも知れませんが、ちょっと前のカメラだとファインダー像は狭い。なのでファインダーで決めた構図と若干違う画が撮れてしまいます。
ましてオールドカメラともなると、最初からファインダーが無いのもあるし、レンジファインダーはピントを合わせるためのファインダーで撮影レンズの画とは一致しない。だから撮った絵をトリミングして仕上げるのは写真の世界ではもともと「やるべきこと」だったと思います。(ただしキャリアがある優れた撮影者の中には、ノーファインダーでもレンジファインダーでもビシッと構図を決める人がいらっしゃいます。ゆくゆくはそうなりたいとは思います)

というわけで、僕はトリミング賛成派。

偉そうなことを言いながら、実はズームレンズを使っていないので、撮影の場所の関係で、構図に制限があるのです(笑)なので、トリミングは、ズームを持ってたら「こうするのにな」という面もありますね(笑)そういうちょっとずるい考えもありますが、まあそれは一面です。

あくまでも訓練なのです(そう言うことにしておいてください・笑)

ちなみに下の写真どっちがいいですか?

『トリミング無し』
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『トリミング有り』
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Asahi PENTAX MX / smc PENTAX 50mm F1.4 / Kodak PORTRA 160NC







2011-07-29

夏バテ本番。

なんと言っても夏が苦手なのです。
世の中には夏になるとテンションが上がる人もいるのでしょうけど、信じられません(^_^;)
冬だと厚着すればいいわけですけど、夏は裸でも暑いですからねぇ。逃げ場がありません。かといってがんがん冷房すれば、それで体調が悪くなったりします。ほんとこの逃げ場のない感じ、きついです。
季節が良いと、休みのたびにカメラを持ってあちこち歩くのが楽しみなんですけど、この季節はちょっと苦痛です(笑)昨日も休みだったのですが、完全に引きこもっていました。夕方になってようやく1時間くらい出かけたという有様で。

写真で言うと、僕は基本的にスナップ写真なので、外に行かないと撮れません。それに、夏の野外はコントラストが強くて、デジタルカメラでは白飛びしやすいので、嫌なのです。黒つぶれは平気なのですが、白飛びは大嫌いです(笑) 飛んだ部分がノーデータになってしまうのがやるせない感じがして。黒つぶれの場合は、本当に潰れていることは稀です。階調は潰れていても実際はデータが記録されていて、調整で回復できます。白飛びはそこだけ絵が抜けてるのでなんとも絵の具塗り忘れた部分みたいで嫌なんですよねぇ。

ちなみに白飛びをチェックするのにはヒストグラムが便利です。K−7はヒストグラムを表示できるので、プレビュー画面で白飛びをチェックできます。
グラフの右端が明るさの限界値でグラフがそれにぶつかって切れている場合は白飛びの箇所があるということになります。すると露出を下げてもう一度撮るといいんですよね。
露出計も明暗差の大きい場面では当てにならないので、デジカメの場合はヒストグラムを見ると便利ですね。僕の写真をヒストグラムで見ると、暗部が多くて明部が少ないカーブを描くことが多いんです。明るい写真より黒の締まった写真が好きだというのがよく分かります(笑)
黒レベルが低くて、コントラストも低い、いわゆる「女子カメラ」のような写真を見ると、真ん中から「明部」に偏ったグラフになります。僕は真逆ですね(笑)

というわけで、ブログの更新の気力もなかなか出ない今日この頃です・・(すみません)

『ある夏の日に』

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PENTAX K-7 / smc PENTAX 135mm F2.5

2011-07-19

目のこと。

僕はメガネ屋なので、目のことはある程度専門的に勉強しています。
人の目の構造は良くカメラにたとえられるので、カメラには何となく元から親近感があったかも知れません(笑)

人間の目の焦点距離は24mmくらいですから、ちょっと広角です。よく50mmが標準レンズだと言われます。それはたぶん、ファインダーで見た像と肉眼で見た像の大きさが同じくらいだからだと思うのですが、焦点距離で言うともっと広角なんですよね。
ちなみに開放F値はおよそF3〜F4くらいです。なのでそれくらいの絞りで撮ったときの被写界深度はなんとなく自然な感じがしますよね。そのあたりが一番違和感のないボケ具合なんじゃないかと思ったりします。

最小絞り値はだいだいF12くらいだと思います。真夏の昼間外に出て景色を見たときは、F12くらいに絞りがかかります。当然被写界深度が深くなり、遠近感が少なくなります。真夏の野外の景色がなんとなく平板に見えるのはそういう理由です。
ただし人間の目がカメラと一番違うのは2個あることです。なので目がパンフォーカスになっている時でも距離感を得る事が出来ています。3Dカメラだからですね。

それともうひとつ面白いのは、人の目は中心と周辺の視力が極端に違っているということです。視野の中心が1.2見えていても、15度くらいずれるともう0.1くらいしか見えていません。中心が鮮明で周辺がぼける。これはまるでセンターフォーカスフィルターをつけているようなものですね。なので人間の目には表現力があるのです。
視野の全部がよく見えるのではなく、周辺の感度を落とすことで真ん中のものを強調する仕組みになっています。生まれつきそうなっているのですから、本当によくできてるなぁと感心します。

僕は近視なのですが、フィルムカメラも使うし、全部マニュアルフォーカスで撮っているので、ピント合わせのために、視力はほぼ完全に矯正しています。さらに昼間はコントラストを上げるフィルター効果のある偏光サングラスを使っています。オートフォーカスの場合はカメラが自動的に焦点を合わせてくれるので、それほどシビアではないと思いますが、MFで撮る場合は、視力はかなり重要なファクターだと感じています。

職業で写真を撮る方のメガネを作製したことが何度かありますが、度数合わせにはきわめてシビアでした。一般の人なら、これくらいの誤差は気がつかないんじゃないかと思うような、ほんのちょっとのピントの甘さを「矯正して欲しい」と言われました。ある方は裸眼で1.2〜1.5が判別できるのに「もう少しはっきりさせてこい」と先輩に指摘されたといってメガネを買いに来られました。出来たメガネは、作製できる最弱のメガネだったのですが「うん、よく見える。これでいい」と言われました。試しに僕のカメラをお貸ししてファイダー像を見ていただきましたが、「違うね」と言われていました。
それを見て「なるほど〜」と深く頷いてしまったわけです(笑)
で、写真を撮るときに視力を最良の状態にしようと思ったのですね。

というわけで、マニュアルレンズを使っていて「難しいなぁ」と思う方は、1度視力の点検をしてみてはどうでしょうか。利き目(ファインダーを見る方)だけでも完全矯正するとすごく気持ちが良いし、(なんか上手くなりそう)って思いますよ。ぜひお試しあれ(笑)


『街角 #1』

f:id:yumetaro1221:20110720010945j:image
PENTAX K-7 / smc PENTAX 135mm F2.5

『街角 #2』

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PENTAX K-7 / XR RIKENON 55mm F1.2