松本隆

 何年か前、木造の家から鉄筋のアパートに引っ越して、ラジオが聴けなくなった。鉄筋がラジオの電波を妨げるためらしい。木造の家に住んでいたときは、寝床の中で朝の4時すぎからやっている「ラジオ深夜便」を聴いていた。というか、そのまま再び寝床でうとうとしたり、聴くのをやめて起きて、本を読んだり、畑に行ったりしていた。
 しかし、つい最近、パソコンでラジオが聴けるということが分かり、先日、その「ラジオ深夜便」を聴いた。
 すると、松本隆という作詞家が出ていて、何かぼそぼそと喋っていた。とても内気な人らしく、ところどころ聴き取れなかった。なんでも、小学生の頃はクラスで背が一番高くて、そのため、何をしても目立ってしまうので、目立たないようにする癖がついてしまったとか、これまでの仕事を記念してコンサートをしたとか、記念のCDを出したとか、東京は仕事にはいいけど、住むのはちょっと、と、いうことで、いまは神戸に住んでいて、京都にも住まいがある・・・とか、と、いうような、どうでもいいような話をだらだらとしていた。その話し方がなんとなく気に入って、朝早く起きて少し難しい本を読むつもりが、とうとう最後までラジオを聴いてしまった。
 そして、昨日、ある用事で疲れ果て、テレビをつけてひっくり返って、歌番組を聴いていると、また松本隆が出てきて、今度はドラムをたたいていた。作田先生がカラオケで東海林太郎みたいな姿勢で歌っていた何とかシベリア鉄道という歌を歌う歌手もいて、そのときは少し目が醒めた。
 これが「ラジオ深夜便」で松本が言っていた松本の45年間の作詞活動を記念して開かれた「風街レジェンド」というコンサートだったのか、と、ようやく気づき、しかし、音が悪く、歌手も年寄りばかりで、ぱっとしないな、などと思いながらうとうとしていると、コンサートが終わり、松本が挨拶を始めた。
 松本は型どおり、みんなに感謝の挨拶をしたあと、ふいに、ぼそぼそと、「ぼくには心臓の悪い妹がいて・・・あの、小学校のとき、学校に行くとき、妹のランドセルとぼくのランドセルをふたつ、こんな風に背負って・・・それで、そのおかげで、自分のことだけじゃなく、人のことも思って生きなければいけないという姿勢が身についてしまって・・・子供のときの経験がぼくの今をつくっているというわけで・・・」というような内容の話をだらだらとして、お辞儀をして松本はコンサートをしめくくった。この言葉で私は目が醒めてしまった。松本隆という作詞家のことはよく知らなかったけれど。