Hatena::ブログ(Diary)

来し方行く末

2018-10-26 スペイン国立バレエ団 Bプログラム


いやあ素晴らしかった! スペイン国立バレエ団のBプログラムを観て来ました。

ボレロ』が一番印象に残っている。精神のストリップに昂揚した(ストリップほどプリミティブに求められ、それに応え身を削って与えるものはない)。それは生々しい人間をさらけ出すゆえに、いっそう崇高なのだ。ベジャールへのオマージュであることは一目瞭然。その名作から受けたインスピレーションフラメンコで表現することで濃厚な色彩と熱量を与えた。壮絶な血の色だ。フラメンコの肉体は美しい。ストイックに絞ったバレエとは一味違った、リアルな生命力に溢れていた。

『カンティーニャス・デ・コルドバ』、しなやかで優美、それでいて骨格のしっかりとした美しいオブジェのようなフラメンコ。『ビバ・ナバーラ』、素朴で可憐、足の動きが細やかで饒舌な名人芸のホタ。インマクラーダ・サロモンの軽やかな微笑みが印象的。『セビリア組曲』との再会も楽しみだった。「マエストランサ」、官能的なコンテンポラリー闘牛士と闘牛の表裏一体の愛憎。「パセオ・デ・エンスエニョ」、Aプログラムで『マントンのソレア』と『サラサーテのサパテアード』をそれぞれ踊ったプリンシパルエステル・フラードとフランシスコ・ベラスコとのエモーショナルなパレハ。フラメンコの真髄を踊ったふたりがドラマティックな深い愛を見せてくれた。まとわりつくほど濃密な愛に浸った。

3年前の来日時のプログラムをさらにバージョンアップした待望の再演。初演時の衝撃とは違う感動に満たされた。プログラムはAB通して、ナハーロ振付の作品、過去の名匠の作品を含め、ナハーロ自身の審美眼を通して、未来に引き継いでいきたいと願う作品群。ナハーロ渾身の舞台に乗る踊り手たちは、初演特有の緊張感からは解放され、ナハーロの意図も振付も血肉化され、踊り手自身のものとなっていた。音楽をたっぷりと使い、空間を染め、踊りに込められた想いは観る者にじっくりと浸透して来た。観終わった後、爽快感に浸っていたのはなぜか? それは、単にナハーロ個人的な思い入れではなく、偏向のない美意識をもって、フラメンコにおける理想を残し伝えようとする、ナハーロのプライドと責任感が伝わって来たからだ。また観たいと願う。ああ名作とはこのような志と努力のもとに生まれ、それが古典となって未来に残って行くのだと気付いた。フラメンコクラシコエスパニョール、エスクエラ・ボレーラ、フォルクローレスペイン舞踊すべての最高のものがここに在った。

上野文化会館大ホールは5階まで満席だった。フラメンコにこれだけの人が集まるとはなんと嬉しい光景か。客層はフラメンコ愛好家以上に、アート愛好家が多かった。これだけの人々が、本場スペインからやって来たフラメンコの最高峰を目の当たりにして、惜しみない拍手を送ったのだ。フラメンコ審美眼のハードルはぐんと上がっただろう。かつてガデスが来日したころの興奮を想い出す。目の覚めるような本場の底力を見せつけられた。さあ日本のフラメンコは?と、ワクワクしてくる。踊る人も歌う人も、そして私を含めて書く人間も、腕が鳴るというものだ。

スペイン国立バレエ団2018年日本公演
プログラム
10月26日(金)
東京文化会館大ホール

2018-10-20 今枝友加 パセオフラメンコ カンテソロライヴVol.101

今枝友加さんのカンテソロライヴ。

真の敬意とは、高ぶることなく奢ることなく媚びることなく飾ることなく、自分自身の持ち得る限りの一番良いものを相手のために捧げるということ。

素晴らしい心の交流を見た。それはなんと尊いことだろうか。

「魂と対話しながら歌いたい」。彼女はライヴに向けての心境をそう語っていた。まさにその想いが真っ向勝負となって実現していた。一曲目のソレア、音が生れようとする緊張感から、それは始まった……
今枝友加さんのカンテソロライヴ。エンリケ坂井さんとの共演は意外にも初めてで、「恐れ多くて夢のよう」だったという。

エンリケさんの深い懐の大海へ、今枝さんは畏れを知りつつもその奥にあるものを掴もうと飛び込んだ。和やかで真剣なリハーサルから見せていただいたのだが、初めのころはまだ遠慮もあった。けれどエンリケさんはどこまでも今枝さんを泳がせ、彼女も次第にその水に溶け込んでいくように自由に泳ぎ出す。

彼女の感情を受け止める大らかな眼差しに歓びが滲む。かつてスペイン修行時代に彼の地の往年の巨匠たちと共演した手応えを、エンリケさんは今枝さんに見出していたのではないだろうか。今枝さんを導くかのように、そして問い掛けるかのように、フラメンコの真髄を聴かせるファルセータをエンリケさんは軽やか弾く。その空気に包まれながら、エンリケさんを見つめる今枝さんの幸せに満ちた美しい微笑みが忘れられない。

なんて贅沢なライヴ! けれど誰よりもそれを感じていたのは、高みを掴む苦しみと歓びを知るもの同志が、自分のその身ひとつと時間とを相手のためだけに捧げ合ったふたりなのだと想う。

パセオフラメンコライヴ Vol.101
今枝友加 カンテソロライヴ
2018年10月17日(水)
高円寺エスペランサ
今枝友加(カンテ)
エンリケ坂井(ギター)

2018-10-15 カニサレス フラメンコ・クインテット


月見カニサレス フラメンコクインテット
心地よく洗練されたフラメンコ空間、あの美音が耳に残っています。
愛と孤独を知る巨匠。
 
 
自らの半生を振り返るような、静かなソロからリサイタルは始まった。
世界最高峰のフラメンコギタリストとなった今も、否、今だからこそ人は誰しもが孤独であるという原点に立ち返り、その静寂を噛み締めているようなマエストロの姿。そこからの対比で、フラメンココミュニケーションアートであることがいっそう浮き彫りとなっていく。

馴染のカルテットにカンテを加えたクインテットカニサレスの音楽に、カルモナはカンテで情感の厚みをもたらし得意のマンドラで繊細に寄り添う。安定のセカンドギター、ゴメスは骨太に支える。チャロはしなやかなバイレとチャーミングな笑顔で色彩を与える。ムニョスの心沸き立つカホン、そして妖艶なバイレと気迫のサパテアードは素晴らしかった! 彼らは、ソロから5人編成まで自在にアンサンブルを変化させていく。

朗らかに行き交う姿は自然でさりげなく、信頼の呼吸で結ばれていて、自己主張せずとも彼らの個性はすっきりと際立ち、その佇まいは実にエレガント。

知性溢れるコミュニケーションに奥行きを与えるのは、カニサレスクラシックにおける造詣の深さ。今や『アランフェス協奏曲ソリストの第一人者となった彼は、ファリャアルベニス等、作曲家の魂にじっくりと向き合うことで、人の“想い”へ共感度を深めた。“今”の想いに反応する鮮やかなフラメンコ的直感とともに、その両輪でカニサレスフラメンコ対話は磨かれて来た。

ラスト近く、ソロで演奏された『感受』は愛妻、真理子さんに捧げられた曲。瞑想するように爪弾く音色に愛情が滲む。真理子さんは客席のどこかで聴いていただろうか? 私なら嬉しさのあまり泣いてしまうだろう。

音楽は想いから生まれる。そんなシンプルな、けれど一番大切なことに改めて気付かされた極めて幸福な時間だった。

9/29(土)めぐろパーシモンホール

フアン・マヌエル・カニサレス Juan Manuel Cañizares
(ギター)
フアン・カルロス・ゴメス Juan Carlos Gómez
セカンド・ギター)
ホセ・アンヘル・カルモナ José Angel Carmona
(カンテ、マンドラ、パルマ
チャロ・エスピーノ Charo Espino
バイレ、カスタネットパルマ
アンヘル・ムニョス Angel Muñoz
バイレ、カホンパルマ

2018-10-07

グールドのピアノによる『フーガの技法』

ヘビロテで聴きまくっているグールドピアノによる
バッハフーガの技法』の映像があった。
自分自身の感性への集中の極み。
傍からはどんなに狂気に見えようと
彼は深い静けさの内にいるのだろう。
哀しむでもなく悦ぶでもなく
ただそこから生まれる音楽に耳を澄まし解放しているのだろう。


https://www.youtube.com/watch?v=4uX-5HOx2Wc&feature=youtu.be

乙川優三郎『太陽は気を失う』

「よい喜劇には悲しみがたくさんいるのよ」

読み終わって残る切なさが、シビアでリアルなのがいい。
期待をやめたところから自分の人生が動き出す。
どんなに遅くとも。
それが自分だけのうれしい希望になる、と、乙川小説は示唆してくれる。
人生の終焉で、私は何を後悔するだろう?
改めて、そんなことを考えさせられる。

乙川の言葉はいつも、生きる上での鎮静剤にも覚せい剤にもなってくれる。

f:id:yumiko18:20181007134133j:image:medium

乙川優三郎 短編集『太陽は気を失う』(文春文庫) 

2018-09-13

三澤勝弘 パセオフラメンコ ギターソロライヴVol.99

敬愛して止まないリカルドに教えを乞うため、長い時間を掛けて陸路で渡ったスペイン時代のことを、三澤さんは、曲の合間ごとに、記憶を愛おしむように、淡々と語ってくれた。饒舌、というのでもなく、苦しいはずの想い出も、胸に浮かんで来ることがうれしい、そんな感じが伝わってきた。

「(リカルドに教わったのは)30回以上、50回未満、くらいでしょうか。それ以上はもうお金も無かったしね」
「当時は録音も無かったから、あったとしてもさせてもらえなかったでしょうしね、帰り道の石畳の上をね、転ばないようにそおっと歩いた。転んじゃうと忘れそうでね(笑)」
 
師の教えが、直に、三澤さんの心身に深く刻みつけられているのが分かる。それを大切に大切に音に紡いで来られた。

現代の、デジタルにすべて変換してしまったデータに頼り切っている私たちの体験の、何と脆弱なことだろう。

「夏は暑くてね、(住んでいた)最上階は、窓を開けると40度を越える熱風が吹き込んで来るんです。よく持ったな・・・」
手に持っているギターを見つめ、古くからの戦友に話し掛けるようにそう言って、目を細めた。
 
音楽と、経験と、言葉と。
時を重ね、それらは同じくらいの質量で、どれも偏ることの無い大切さで、いまはもう何の境目もなく、熟成し、三澤勝弘さんその人の愛すべき人格を練り上げていた。

人の時の濃密な奥行きを感じさせるものこそがフラメンコなんだ、と、そう気付かせてくれた、厳しさと優しさとウイットが沁みる一夜のライヴだった。

パセオフラメンコライヴvol.98
三澤勝弘(フラメンコギター)
2018年9月13日(木)
高円寺エスペランサ