Hatena::ブログ(Diary)

来し方行く末

2018-05-18

フィッシャー=ディースカウの命日

今日5月18日は、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウの命日。
そして同じ5月の27日は、この名歌手と親交のあった
吉田秀和さんの命日であることも想い出す。
2012年から6年。
良い機会、と、吉田秀和さん著書の言葉を改めて眺める。
ラインを引き、繰り返し読んだ言葉。

「すべての審美感は、本来、一定の個性を持った体験の蓄積の結果でなければならない。その審美感は、もちろん、体験が殖え、深まることによって、変化はするだろうし、変わるのが当然である。しかし、それには、すでに何かの土台がなければ、変わりようもないし、深まりようもない。その土台を、個人なり、その個人の属する集団の審美感の伝統と名づけるならば、そういう意味で、芸術の判断は、すべて特殊的でなければならない。」
(『ソロモンの歌 一本の木』 から引用)

自分の言葉を発していい、と力づけられて来た。
そして、それを発するためには? 
ここが大事と、自分に言い聞かせる。

https://www.youtube.com/watch?v=dKdiPutcGM4

https://www.youtube.com/watch?v=yCAPqO8U73U

2018-05-16

森田志保 パセオフラメンコライヴ Vol.89

死ぬんじゃないかと思った。
臨死体験を共にした感覚。
それは畏れ、祈る、静かな想いだった。
フラメンコ年代記を紐解き、フラメンコの本質に迫るライヴは、
まさに巡礼の旅だった。

1時間強、着替えもせず、舞台に乗ったまま、
森田志保さんは踊り切り、今枝友加さんは歌い切った。
森川拓哉さんもエミリオ・マジャも、弾き切った。
いにしえのフラメンコを、
細密に解読し、理解し、毛細血管の先にまでも血肉化し、
我が身を捧げるアルティスタの姿は、なんと激しく神々しいのだろう。
ソレアで、両手を広げた森田さんは、磔刑キリストに見えた。
汗が光り、やつれたようにも見えるその表情には、
信じるものに命を尽くす恍惚があった。

そう、信じるものに命を尽くせる者は、幸せなんだ。
自分には何がある? 客席の誰もがそう思っただろう。

純粋なフラメンコを見た。
神聖な澄んだ想いが残る。

森田志保さん、今日の舞台を、ありがとう。



パセオフラメンコライヴVol.89
森田志保 ソロライヴ
2018年5月16日(水)
高円寺エスペランサ
森田志保バイレ)
今枝友加(カンテ)
エミリオ・マジャ(ギター)
森川拓哉(ヴァイオリン

2018-05-03

小島章司出演『シミュレイクラム/私の幻影』

互いへの深い寛容。優しさに満ちた舞台だった。

遠い眼差しをして腰かけている小島。やがて立ち上がり彷徨いながら、ゆっくりしなやかにフラメンコを踊り出す。それは故郷の阿波踊りをも思い起こさせる。

「何をさがしているの?」ダニエルが問い掛ける。
金魚。子供だったころ飼っていた綺麗な金魚」小島が答える。
「戦争が日本を変えてしまった……」
36歳のアルゼンチンコンテンポラリーダンサー歌舞伎舞踊女形を舞うダニエル・プロイエットと、78歳の日本のフラメンコ舞踊家小島章司の、互いの記憶を呼び覚ましていく対話と告白が始まる。英語、日本語、スペイン語のセリフが夢の中のように混ざり合う。年を重ねて来たことで研ぎ澄まされた小島のフラメンコと、しなやかさに静かな慟哭を秘めたダニエルコンテンポラリーが、互いに心を差し出すように踊られていく。

幼い頃に養子に出された小島は、自分を手放さなければならなかった母の哀しみに想いを馳せる。そして「美」に没頭していく中でフラメンコに出会い、若き日に単身でシベリア鉄道に乗りスペインに渡った。ダニエルは小さい頃、姉の美しい衣裳に憧れを募らせ、女らしさに「美」を見出した。やせた少年はいつもひとりぼっちだった。

かねてから私は、小島の、湖を想わせる深い優しさはどこから来るものなのかを知りたかった。それは、彼自身が心の底から欲していた「母なるもの」に自らがなることで自らを癒してきたところに在るのではないだろうか。この場合の「母」とは性別も役割も超えた「無償の愛」を与える者。そしてこれこそが小島の追求する「美」の根底を成すもの。不在だった「母」の存在は小島の幻影で在り続けつつ、その尽きぬ想いが小島の人となりを築き、彼の芸術を磨き上げて来たのではないか。

孤独を友にフラメンコ一筋に歩んで来た小島は、同じく孤独を抱えていたダニエルの想いをはっきりと理解し、受け留めた。それはダニエルにとって大きな救いとなったことだろう。そしてダニエルはそれに返礼するかのように、小島の母を描いた日本舞踊『ナツエ』を心込めて舞った。女らしい色香に満ちた、たおやかな舞踊だった。

この作品のプロジェクトが始まったゼロの状態の頃、小島のルーツを知るために、演出家、踊り手含め十数人で小島の故郷、徳島牟岐(むぎ)を訪ねたという。アメリカノルウェーアルゼンチン、日本と様々な国のアーティストが海にほど近い静かな田舎で行ったワークショップは彼らを素直に語らせ、いっそう親密にしたことだろう。そこから足掛け5年の歳月を掛けて育てた作品を今日、目の当たりにした。

敬愛している人をそして好意を抱いている人を、ただ距離を置いて接するだけではなく、より知り合おうと努め、心を開いていくことは、本当に素敵なことだ。そんな深い優しさが、『シミュレイクラム/私の幻影』という作品に溢れていた。「幻影」とはただ幻ではなく、思い続ける人にとっては「現実」にもなり得るものなのかも知れない。ここに希望がある。

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終演後のトークタイムで、SPAC芸術総監督宮城聰さんが、小島さんがフラメンコを選んだことについて、「自分に身近なものでは無く、距離のあるものを選んだ時に、自分をより掘り起こすことができる。文化と文化のぶつかり合う時にそれはより深まる」とおっしゃっていたことが印象に残っている。

ふじのくに⇄せかい演劇祭
『シュミレイクラム/私の幻影』
2018年5月3日(木・祝)4日(金・祝)
静岡芸術劇場
演出・振付】アラン・ルシアン・オイエン
歌舞伎舞踊振付・音楽『Natsue』】八世藤間勘十郎
【出演・振付】小島章司/ダニエル・プロイエット
【ギター】ペペ・マジャ“マローテ”
【カンテ】マヌエル・デ・ラ・マレーナ

2018-04-20 石井智子 現代舞踊公演 魂のDance in Tokyo「グラナダ―ロルカ―」

ロルカの詩の世界が濃厚に薫るようだった。

今回50回目を迎えた「都民芸術フェスティバル」。その中の現代舞踊公演では毎年3人の振付家の作品が紹介されており、そこに昨年文化庁芸術祭大賞を受賞した石井智子が名を連ねた。石井がこの舞台に選んだのは「ロルカ」。彼女が2013年から2016年に掛けて創作したロルカ3部作から4曲を抜粋、アレンジした。

約30分間弱の制約された上演時間での舞台は、単なるダイジェストではなかった。吟味し、より磨かれたことで完成度の高い作品となり、ロルカフラメンコへの眼差しが伝わって来た。
第2景の「月よ、月よのロマンセ」が印象深い。死すべき運命を背負った月、その月をみつめる子供は、死の世界へとさらわれていく。青白い月を踊る石井は息をのむほど美しい。子供は岩崎蒼生。少年の面差しを残しながらも、美しいものに惹かれていく大人びた情感に胸を突かれた。ごく自然なコンパス感とクールな繊細さを持つ独特の存在感がある。月と子供、様々に幻想を投影できるのがロルカの奥行きであり、それを戦慄と切なさを滲ませる踊りに表現した石井の感性に惹き込まれた。第1景ではロルカの愛したロマたちの風景を大人や子供たちが賑やかに舞う。心から楽しんで踊る子供たちの姿がフラメンコの未来を予感させて頼もしい。第4景ではジャスミンと雄牛をモチーフに平和と闘争をファルーカで描いた。昏いロルカの詩に石井智子の演出は希望の光を射す。幾度も舞台に乗せ、観客に問うことで、作品は育っていく。それは問われる側も同じなのだろう。

現代舞踊の他の2作品も、モダンバレエ界を代表する菊地尚子、野坂公夫、坂本信子の振付による、躍動感に満ちた見応えのあるものだった。様々な舞台芸術愛好家が集う東京芸術劇場において、陰翳の深いフラメンコが観客たちの心を響かせる意義は明るくて、大きい。
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2018 都民芸術フェスティバル
現代舞踊公演 魂のDance in Tokyo/石井智子「グラナダロルカ―」
2018年3月15日(木)・3月16日(金)
東京芸術劇場プレイハウス

2018-04-19

睫酥智子 パセオフラメンコソロライヴ

奔放でありつつ、睫酥智子に二言は無い。爆発したいと語っていた通り見事に燃焼し切った。

2度目となるパセオライヴ、睫酥智子はフラメンコのド真ん中にきっちり勝負を賭けてきた。バイレはグアヒーラ、タラント、ソレアの3曲。構成はギターとカンテのみのシンプルな三位一体。勝負の力みを感じさせないところが彼女の粋だ。

グアヒーラ。目の前が開けたような突き抜けた明るさ。表情がくるくると変わる。それは創り込んだものでも意図したものでも無く、その瞬間に起こることに自らハッと驚く新鮮さに満ちていて目が離せない。タラントで睫遒本領発揮した。エッジの効いた踊り。繊細な指の動きから情念が絞り出される。鍛え抜かれたスレンダーな身体がしなる。身に付けているものを剥いでいくように様々な色香が現れていく中で、ドゥエンデは降りて来るものではなくこの人の素の中にあることに気付かされ惹き込まれていった。そしてソレアへ。張りつめた空気から解放に向かう瞬間の笑みに睫遒瞭發棒海猗しいイヴが剝き出しになった。

長年のパートナーである原田和彦のギターは、睫遒凌質悗鯑匹爐茲Δ亡鵑蠹困ぁ彼女ならではのきらめきに陰影を与える。マヌエルのカンテは、睫遒鬚匹辰靴蠅伴け止めいっそう自由に踊らせる。常に人との対話を何より大切にする睫遒料曚い一体となり自然なフラメンコを生んでいた。フィンデフィエスタで睫遒客席に向けて送った艶やかなウィンクに射抜かれた。
「やりたいこと、やってみたいことはたくさんあったけど、それを全部捨てる覚悟ができたの」
終演後、すっきりした笑顔で睫遒呂修Ω世だ擇辰拭自分に何かを付け足さねばならないという欲や焦りから解放された時、初めて本来の自分に向き合える。そこからが勝負。天真爛漫に真剣に、自分に正直に生きる睫酥智子をこれからも追い続けたい。それはほとんど恋といっていい。

パセオフラメンコライヴVOL.84/
睫酥智子ソロライヴ

2018年3月22日(木)/東京高円寺)カサ・デ・エスペランサ
バイレ)睫酥智子
(カンテ)マヌエル・デ・ラ・マレーナ
(ギター)原田和彦