フィッシャー=ディースカウとポリーニの『冬の旅』

WINTERREISE

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 待ちに待ったCDが届いた。
 ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウとマウリツィオ・ポリーニによるシューベルトの『冬の旅』。1978年のザルツブルク音楽祭でたった一度だけ実現した共演だという。かつてNHKで放送されたことがある伝説の演奏が今回初めて正規発売されたと知りずいぶん前に予約していたのです。
 
 想像以上に素晴らしい音楽。『冬の旅』に生命が宿っていた。ポリーニが歌曲の伴奏をするということは非常に珍しいことらしいが、この演奏を聴く限りこのピアノパートは伴奏などではない。バリトンとの対等な競演である。ポリーニは怜悧な音で、ミュラーが詩に描いた「冬の旅」が決してロマンチックなものではないということを語っていく。木枯らしのごとく旅人の背中を容赦なく煽り、前に立ちはだかる。そこにはシューベルト自身の絶望がまざまざと浮き彫りになっていく。
 
 そんなポリーニのピアニズムと格闘するかのように、ディースカウは豊かなディナーミクを駆使することによってその歌声にセンシティブな情感を滲ませていく。それはまさに生きることの厳しさに絶望し彷徨う旅人であり、その声の陰翳がダイレクトに胸を打ってくる。

 ディースカウの歌声の若々しさに驚く。
 
 私がこれまで愛聴していた演奏は、1962年に録音されたものであり、この歌曲の名盤とも言われているものだ。伴奏はディースカウの名パートナーであるジェラルド・ムーア。1925年生まれのディースカウは当時37歳という若さである。にもかかわらずこちらの演奏の方がずっと落ち着いた感じを受ける。すでに脚光を浴びていた歌手として老成しようとしていたのだろうか。

 今回、1978年のザルツブルク音楽祭でのライブ録音ということは、ディースカウは53歳。そしてポリーニは36歳であった。ポリーニはピアニストとして、シューベルトの孤高の世界を追求していき、ディースカウもまたシューベルトの孤独を我が身のものとしていく。

 才能豊かな気鋭のピアニストに触発されたのか、それともそれまで構築してきたものを壊そうとする年代であったのか。いずれにせよディースカウの声には何か鎧を取り払ったような、年齢を越えた人間の本質のようなものが露わになっていたのを感じた。アンサンブルの調和を目指すのではなく、ポリーニとディースカウそれぞれが生身で詩と音楽の深みに入り込んでいくことで、シューベルトの死の影がよりいっそう浮かび上がっていく。それが生とのコントラストを強めて内臓に突き刺さってくるのだ。