大沼由紀舞踊公演 Magunetismo

大沼由紀舞踊公演「Magnetismo」(10/25金)
大沼さんは近年の長く深い迷いからやっと抜け出て新境地に辿り着いた。
それは未知の場所ではなく、彼女がジャズや舞踏に自身を沈めて来た経緯があるからこそ必然的に誘われるはずの光当たる場所に、自然に立っていた。
カーテンコールの突き抜けた納得の笑顔が忘れられない。

冒頭、暗がりの無音の中から発生していく大沼さんの踊りは、耳を研ぎ澄ませている生物が細胞の触手をじわじわと伸ばしていくように、客席、空間、自らの心情に潜むいかなる音も聞き逃さず、たゆとうように泳ぐように、身体に反映させていく。なんという集中力だろう。

チェロの音がそこに流れてくる。音程の無い一音のみのロングトーンが続いていく。強弱とビブラートだけで踊り手を煽っていく。由紀さんはそれを全霊で受け取り、精巧なサパテアードで応えていく。自らピアノを弾いていたゆえの敏感で驚異的な聴覚。
そしてリズムが生まれて来る。サパテアードは繊細にコンパスを刻みだす。うごめいていた細胞の触手に意思が現れる。
フラメンコが自然発生していく。

今枝友加さんのカンテ、彼女のストレートな声が、大沼さんのフラメンコを貫いてくる。今枝さんのソロも素晴らしいものだが、フラメンコの三位一体の中でより彼女のポテンシャルは引き出され、自由度を増すことに気付かされる。

ホセ・ガルベスの存在は魔力的だ。そのギター、その声で、モノトーンのフラメンコに血を廻らせ、色を与えていく。際どく濃厚に人間の喜びと苦しみを絞り出していく。
ホセのギターとカンテ、そして下島さんのチェロによるカンパニジェーロは老獪なフラメンコと瑞々しくも挑戦的な正統派チェロの拮抗だった。むせび泣くようなホセの歌、それを凝視しながら音を生んでいくチェロ。違う世代とジャンルの異文化過ぎるスリリングな交感は、間違いなく生きたフラメンコ。そこから続くペテネーラは、凄まじい集中力が生むコンパス感の中で、4人が生き様を晒し、シャッフルし合う極上のフラメンコだった。
チェロの下島万乃さんはいくつものコンクールを制した現役芸大生という有望なクラシック奏者。その音程は正確で、音質は豊か、何よりも彼女は柔軟性と闘志に溢れている人で、彼女とのフラメンコでの協演を決めた大沼さんの耳と感度の良さにもまた感服した。
ムジカーザ」という舞台空間が、大沼さんの魅力をいっそう引き出した。彼女が深く閉じるように自分の求めるフラメンコだけに没頭していく姿、それこそが何よりも観る者にフラメンコを感じさせるのだから。

大沼由紀舞踊公演 Magunetismo
10/24(木) 10/25(金)
ムジカーザ代々木上原
踊り 大沼由紀
ギター・カンテ ホセ・ガルベス
カンテ 今枝友加
チェロ 下島万乃

『あちらにいる鬼』(井上荒野著)

『あちらにいる鬼』(井上荒野)読み終えた。静かに、大事に、読んだ。

肌に合う小説とは、目で追う言葉がまるで自分の独白のように、胸の底から吐かれている想いに捉われるものだ。

「あちらにいる鬼」は誰だったのか。男をはさんだ妻と恋人、あちらの女というのはいかにも分かりやす過ぎるだろう。読みながら次第に、憎みながら愛することをやめられない男のことかと想い、そして静謐なラストで知ってしまった。たおやかな微笑みで隠した、あんな男なんか死んでしまえばいいという行き先のない怒りとそれでも慕わしくて堪らないという想いがつのるばかりの、ままならない、自分の心だと。

 

あまりにも寄り添われ過ぎて、少し泣いた。決別しないと、とおもえた。

 

瀬戸内寂聴は、晴美さんの頃から大好きだった。小学生の頃に読んだ『大和の塔』という随筆を初めて読んだときから、通底する官能に惹き込まれていたように想う。『夏の終り』を学生時代に読んだ肌感覚は忘れられない。そして『いずこより』『かのこ繚乱』『女徳』……

『あちらにいる鬼』を書いたのは井上荒野さんだけれど、瀬戸内寂聴さんに誘われて、私はここまで来てしまったという想いに捉われている。

熊川哲也 Kバレエカンパニー『シンデレラ』(5/25 上野 東京文化会館)

Kバレエカンパニー『シンデレラ』(5/25 上野東京文化会館)を観てきた。

アート性とエンターテインメント性の高水準で融合。

優美、官能、毒を併せ持つプロコフィエフ音楽が艶やかな絵巻となった舞台だった。

矢内千夏さんは初のシンデレラ。若くしてプリンシパルに昇格した頃から注目していた。

彼女ならではの、もののあはれを滲ませる抑えた情感が、心の深いところを震わせ、

お伽話を越えた愛の物語として、誰もが知るストーリーに説得力を持たせていた。

矢内さんの、正攻法の凛とした踊りと繊細でありつつ自我を出さないアルカイックな表情は、

観る人にすべてを委ねる、ある種の無常観があり、彼女のこれからの大器を予感させる。

幼い頃から知っているはずの『シンデレラ』に、

何度も涙がこみ上げそうになったのは自分でも新鮮だった。

舞台上のバレエはもちろん、プロコフィエフ音楽の身体性を熟知した

井田勝大さん指揮のシアターオーケストラトーキョーの演奏の素晴らしさを再認識。

東京文化会館はこの日、5階まで埋まり、始まる前は期待に息をのみ、

終わる頃には幸福感に満ちていることを肌で感じた。

この壮大な共感こそが、全幕バレエにおける熊川哲也さんの理想の向かうところなのだろう。

入交恒子 パセオフラメンコライヴVol.110

入交恒子さんパセオライヴ初登場。
小山社長の5年越しのラブコールが機を熟して実現しました。

これまで、テアトロは何度も観ていました。エレガントさの中に狂気の痛みを秘めたフラメンコはいつも鮮烈に刻まれました。
今夜、その踊りを至近距離で観たとき、これまで視えていたと思っていたものが、視えていなかったことに気付かされました。
それはラストのソレア。
テアトロの空気を支配する格調高さはそのままに、いえ、いっそう研ぎ澄まされていて、それを芯で支えるものは、甘やかさ、優しさ、生き辛さ抱え込んでしまう女の業であり、それを丸ごと生身で引き受けようとする凛とした覚悟。それらの昇華が、入交恒子のフラメンコである、と。
細身の身体で描くしなやかなラインの切ないほどの美しさ、衣裳選びにも表れる濃厚な色香を、気品に濾過していく入交さんの佇まい。瞬きも惜しいほど惹き込まれていました。

入交さんの学生時代からの憧れで、今なおその高みに辿り着けないという、高橋紀博さん(入交さんの夫君)、小原正裕さんのギター、セビージャの薫り高いプラテアオのカンテ、柔らかい磁力でその場にいる者を結びつけていく容昌さんのパーカッション、20年来入交さんのもとでフラメンコを磨き続けてきたカンパニーの人たち。温かなセッションでした。
今日という日を待って良かった。

パセオフラメンコライヴVol.110
5/9(木)高円寺エスペランサ
バイレ:入交恒子
カンテ:エル・プラテアオ
ギター:高橋紀博/小原正裕
パーカッション:橋本容昌
マルガリータフラメンコカンパニー:
工藤栄/宮本絵美/諏訪部智子

谷朝子さんは見えないものが見えているひと。
聴こえない音が聴こえているひと。
だからその光景を、色彩を、音を、フラメンコを通して、
わたしたちに気づかせてくれる。

彼女がまとう艶やかなブルーグリーンの衣裳、それはただの色ではなく、深い湖であり、底知れぬ怖さとともにその水に潤され生かされる細胞の歓びをひたひたと知らしめてくれる。

SAYAKAさんのヴァイオリンは谷さんの思考と共鳴し、低音は黒々とした大地の重さを感じさせ、繊細でありながら息の長い高音はどこまでも透明で、果て無く澄み渡る夜空を想わせる。
そこに響く有田圭輔さんの粗野なカンテは、野生の狼の遠吠えにも似ていて、そこにはつながりを求め続ける孤独がある。誰もが孤独を前提に生きているからこそ、共感が生まれる。

粗野と素朴。谷さんがつねに考えていること。彼女は「アフリカ」を意識するという。人類の原点といわれるアフリカ。土着の原始から発せられるリズムの連続は、極めてリアルでありながら限りなく人を酔わせていく呪詛がある。その「不思議」の距離にあるものを谷朝子さんは捉えている。

柴田亮太郎さんのギター、どこかでピアノが鳴っているように感じるほどクリアな彩りを見せた。

私たちの細胞に眠っている太古の記憶を呼び覚ますようなフラメンコ。あの夜、私たちは同じ夢を見ていたのかも知れない。

谷朝子 パセオフラメンコソロライヴVol.108
4/11(水)高円寺エスペランサ
谷朝子(バイレ)
有田圭輔(カンテ)
柴田亮太郎(ギター)
SAYAKA(ヴァイオリン)

カサ・アルティスタ一周年記念ライヴ

カサ・アルティスタ一周年記念、おめでとうございます!
わずか1年でフラメンコ界に新しい風を送り込んでくれた、どっしりとした実力と親しみやすさのあるライヴを思い返します。
そしてこの日も、日本におけるタブラオの歴史、いま、そしてこれからを感じさせる、舞台と客席がひとつとなった熱いライヴでした。

管理人さんの西田昌市さん(オーナーさんです)の挨拶が素晴らしい。
「フラメンコを愛する人に楽しんでいただくのはもちろん、初めてここに観に来た方がフラメンコを好きになってくれるようなタブラオにしたいんです。ハレオが掛けられなかった人がいたら、かっこいいって感じたらいつでも“オレ”って言ってみてください、かわいいな、って思ったら“グアッパ”って声を掛けてください、いいね、って“ビエン”って言ってみてください、でも、“がんばれ!”だっていいんです、そして、フラメンコが素敵だなって思った方が次は自分も習いに行って、そしたらその方が今度はここで踊ってくれる、そんなふうにたくさんの人にフラメンコを好きになってほしいんです。2019年、カサ・アルティスタはそんなタブラオを目指します」
スタッフの方から西田さんへの涙の花束贈呈に、こちらも目が潤んでしまいました。

この日舞台を飾ったアルティスタは言うに及ばず、ギッシリと客席を埋めた方々も、フラメンコをいろいろな側面から率いて来た方たち、そしてこれから率いていく方たち、世代やジャンルを超えた素晴らしいプロフェッショナルが揃われていました。それは、管理人の西田さんの言葉のとおり、経営者もタブラオフラメンコもテアトロフラメンコもミュージシャンも垣根を越えて、ともに次世代のフラメンコ・ファンを増やして、すそ野を広げていこう、そんな風通りの良い希望で結ばれているように感じました。

カサ・アルティスタの一周年記念は、次世代のフラメンコの新たな始まり。ショーを終えたあとの記念撮影は、そんな笑顔に溢れていました。
撮影にご協力くださった皆さま、ありがとうございます!
(写真:井口由美子)

カサ・アルティスタ(四谷三丁目)
一周年記念ライヴ
4月7日(日)
バイレ:福山奈穂美、屋良有子
    梶山彩沙、荻野リサ
カンテ:川島桂子
ギター:徳永康次郎

小島裕子 パセオフラメンコソロライヴ Vol.106

3月14日は、小島裕子さんのパセオフラメンコソロライヴ。

ラストのソレアの光景が忘れられない。
足元から満たされていく静かな充実。けれんやはったりは1ミリも無い。日々生きていく中の苦しみも喜びもすべてを真正面から請け負い、全身全霊で、かつ細やかに心を砕いて当たっていく彼女の誠実さが滲む。

身を削る痛みを、小島さんは、誰の言葉にも振り回されることなく当たり前のものとして淡々と受け入れ、その在り方は確実に周りの人々を救っている、聖女の美しさ。思わず背筋が伸びる。
ぶれることが皆無といっていい、重心と軸の抜群の安定感は、彼女がどれほど基礎力を大事に育てて来たかが分かる。

スペイン人たちによる濃厚なコンパスをたっぷりと感じながらも、いたずらに飛び出すことはせず、決して守りに入るのでもなく、彼女自身が小柄な身体でコンパスを抱く包容力に、どうしようもなく胸を打たれた。

パセオフラメンコライヴ Vol.106
小島裕子 ソロライヴ
2019年3月14日(木)
高円寺エスペランサ
バイレ:小島裕子
カンテ:モイ・デ・モロン
ギター:パコ・イグレシアス

(撮影 井口由美子)