yunioshiの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2007-11-07 ロック界のシンクロニシティー4本! このエントリーを含むブックマーク

シンクロニシティーはやはり神々の身に降りかかって来るのでしょうか?

ロックスターたちに訪れた霊的なほどの偶然がいくつかあるので紹介します。


その一

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN&Y)の母体ともなったバンド、バッファロー・スプリングフィールドが結成されたきっかけは伝説となっている。

スティーブン・スティルスニール・ヤングカナダトロントで知り合ったが、スティルスはその後ロサンゼルスに行くことになり一度別れた。

その理由がなんとモンキーズのメンバーのオーディションを受けるためだったというのが笑わせるが、当然落選し行き場を失った。

そこで一緒にバンドを組みたいと思っていたヤングに改めて連絡をとった。

しかし、ヤングはすでに行方不明になっていた。

携帯電話などない時代、広いアメリカ大陸で人を探すのは容易ではない。

いろいろ手を尽くしたが見つからず、スティルスはついに諦めてサンフランシスコに新天地を求めて車を出発させた。1966年4月6日のことである。

ところがその日はサンセット大通りが大渋滞でのろのろ運転。

ふと対向車線をみると、カナダナンバーの53年型ポンティアックの黒い霊柩車が走っている!その車こそニール・ヤングの愛車だ!スティルスは慌ててUターンをし、彼を捕まえることができた。

実はニール・ヤングもスティルスとバンドを組もうと決心し、彼を探しにロスにやって来ていた。

しかし見つからないし有り金が底をつくわで彼も諦めてカナダに帰る途中だったのだ。

こうしてめでたく二人は再会し、結成したバンドで大成功をした。しかし、この運命的な出逢いをした二人は、バンド内ではいつも喧嘩ばかりで解散や脱退・再加入を繰り返すことになったのは皮肉だね。

知ってるようで知らない ロックおもしろ雑学事典(『知ってるようで知らないロックおもしろ雑学事典』より)

↓楽器弾きながらのコーラスが凄い。

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昔、谷村新司オールナイトニッポンばんばひろふみとやっていた『超心理学コーナー』のテーマ曲『デジャブ』が入ったアルバム(古っ!)です。↓

Deja Vu


その二

英国プログレの雄、イエスのドラマー、ビル・ブラッフォードは『こわれもの』『危機』などの傑作アルバムを残したがその絶頂期にイエスを辞める決心をしていた。それはボーカルでリーダーのジョン・アンダーソンとの対立が理由のひとつであったが、1972年3月、ボストンでイエスとキング・クリムゾンの共演ライブが行われた際に、クリムゾンのリーダーロバート・フリップと話をする機会があり、彼の音楽観に共鳴するところがあったためと言われている。

しかし、実際はブラッフォードはクリムゾンに入ろうかどうしようかとずっと悩みに悩んでいた。

5月になったある日、気晴らしにドーセット地方にドライブに出かけたところ、寂しげな場所で道に迷ってしまった。そこは人家が全く見つからない丘陵地帯だった。しばらく走るとようやくみすぼらしいコテージがあったので、そこでブラッフォードは車を降り、道を尋ねようとそのコテージのドアを叩いた。すると、そのドアを開けて中から現れたのは…何と当のロバート・フリップではないか!

「やあ、君が来るのを待ってたよ」

フリップは当然のようにブラッフォードを招き入れ、飲み物を勧めて話し合った。

その結果、ブラッフォードはキング・クリムゾンへの加入を決めたという。何たる偶然!この出来事がなければ、ブラッフォードはどうしただろう?

(『キング・クリムゾン』北村昌士著より)

↓ウエットンとブラッフォードが加わりバンドが一気にハイエナジー且つテクニカルなプレイが多くなる。

太陽と戦慄(紙ジャケット仕様)

↓84年再結成クリムゾン、浅草で遊ぶの巻

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その三

1970年9月のある日、マイアミのスタジオから久しぶりにイギリスに帰って休暇を楽しんでいたエリック・クラプトンは、ロンドンのウエストエンドをブラブラしていて、とある楽器屋にふらりと入った。ふと壁を見ると左利き用のストラトキャスターが飾ってある。それを見たとたん、クラプトンは親友のジミ・ヘンドリックスのために買うことに決めた。(ご存知のようにジミヘンは右利き用ストラトをひっくり返して使っていたから、左利き用のストラトの方がはるかに使い勝手は良いはずだ。)

http://d.hatena.ne.jp/yunioshi/20060528

↓(当時左利き用は珍しかった。ボディの形やボリュームつまみの位置が左右反対になっている)

[rakuten:shamita:10001602:image]

その晩はスライ・ストーンのコンサートがあり、クラプトンが座るボックス席の対面のボックス席にジミ・ヘンも来ることになっていて、コンサート後は一緒に遊ぶ予定だった。

「あいつこれ見て飛び上がって喜ぶに違いない!」

そう思ってギターを抱えていそいそとコンサート会場に行った。

しかし、その晩ジミはとうとう現れなかった。次の日その理由が分かった。

ジミ・ヘンはその晩、死んでしまっていたのだった

親友でありライバルを失ったクラプトンは、精神的に落ち込み、これからしばらく隠遁生活を送ることになる。

(『エリック・クラプトン・ストーリー』レイ・コールマン著より)

ジミヘンの『リトルウィング』をデュアン・オールマンらとレコーディングしたわずか9日後のことであった。

↓これはジミ・ヘン死の18日前。50万人が集まったワイト島フェスティバルでのライブ

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↓ジミ・ヘンとヘンデルとの奇妙な一致はこちらです。

http://d.hatena.ne.jp/yunioshi/20060607


その四

女優のリヴ・タイラーは、12歳になった時、あるパーティでミアという娘に出逢って仰天した。まるで自分と双子のようにそっくりなのだ!

母親に問い詰めると、自分の本当の父はエアロスミスのスティーブン・タイラーであることを打ち明けられた。ミアもスティーブンの娘で、つまり異母姉妹だったのだ。

女優のリヴ・タイラーの母はべべ・ビュエルという恋多き元プレイメイトだった。

彼女は若い頃スティーブン・タイラーの恋人であり、彼の子を妊娠していたのだが、彼がドラッグ中毒でしかも落ち目の頃だったため別れて、以前から付きあっていたトッド・ラングレンの元に身を寄せた。

トッドはそんな彼女を受け入れ、生まれた娘リヴが自分の子ではないことを知っていたが、実の子同様に育て上げた。トッドとべべはその事実を伏せていたため、リヴはずっとトッドが本当の父だと信じていた。

「どうして私はお父様のように顔が長くないのでしょう?」

そう疑問に思ってたに違いない。

↓育てのお父様

Todd

こうして1988年、リヴと再会したスティーブン・タイラーは、その頃はすっかりドラッグから手を引きクリーンな体になっていた。しかも、バンドはオリジナルメンバーで再結成し人気も絶好調!彼はリヴを娘として認め、彼女はめでたくリヴ・タイラーと名乗り、モデル・女優で活躍することになった。(もちろんトッドに対しても「育ての父」として慕っている)

↓リヴとアリシア・シルヴァーストーンが出演したエアロスミスのPV

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↓長く低迷していたエアロスミスが大復活した一枚!

ゲット・ア・グリップ(紙ジャケット仕様)


最後のエピソードは恋多きロックスターたちにはよくあることかもしれませんが。

それにしても…

バンドのメンバーは本当に和洋古今プロアマ問わず「出逢い」がすべてだと感じますね。