yunioshiの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2014-10-12 世界で活躍するギタリスト、HOTEI このエントリーを含むブックマーク

10月2日にNHK Eテレで放送された『亀田音楽専門学校』観ましたか?布袋寅泰がゲストで『キル・ビル』をスタジオ生演奏していました。いや〜格好いい!「世界のHOTEI」を実感しました。僕はあまり邦楽を聴かないのでBOØWY時代は実はあまり彼のことを知らなかったのですが、最近の彼の活躍ぶりには目を瞠るものがあります。今年の日本でのローリング・ストーンズのコンサートに飛び入りゲストで登場した時も大きな話題になりました。新作も出たことだし、今回の『ハーフマニア』完全版は布袋です!

渡辺孝行作↓

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世界で活躍するギタリストHOTEI

布袋寅泰

(ほてい・ともやす 1962年2月1日〜)

1981年、ロックバンドBOØWY でメジャーデビュー。

身長187センチの圧倒的な存在感シャープフレキシブルなギターワークでカリスマ的人気を誇る。BOØWY 解散後はソロとして活動。ソロ以外にも吉川晃司とのユニットCOMPLEX、後に妻となった今井美樹らへの楽曲提供・プロデュース、映画音楽、俳優としても特異な世界を醸し出している。

寅泰が生まれたのは群馬県高崎市の田舎町。「布袋」は母方の苗字で、母はサハリン生まれで開拓民の子だった。12歳で終戦を迎え、命からがら北海道に引き揚げ、余市で育った。高校を出るとすぐに上京。そこで留学生の男と恋に落ち、二人は高崎に新居を構えた。寅泰が小学校中学年の時、家は北欧風の洋館に建て替えられ、リビングにはドイツ製のピアノ、庭には高級外車、お手伝いさんが何人も通うセレブな生活をしていた。その大豪邸の門には「布袋」と「柳井」の表札が。「柳井」は韓国人だった父の姓だった。父は貿易商なのか職業不詳だが、1 年の大半を海外に飛び回るような生活をしていた。常に一流品を好むダンディな男だった。そして非常に厳格な男で、父が久しぶりに帰って家族で食事となると一家に緊張感が走ったという。母はそれに反して気さくで社交的な人で高崎駅前でクラブを経営していた。クラブは繁盛してしばらく一家は裕福で幸せな暮らしを続けていた。

ギターに夢中になった中学生の頃のことだ。父が久しぶりに日本に帰っていたある夜、寅泰の友人が夜中の2時に遊びにやって来た。父が不在の時はいつものことだったが、父は激怒しその友人と睨み合いの状態になった。それを見た寅泰はついカッとなり、「てめえ俺の友達に何を言っているんだ!」と父に灰皿を投げつけてしまった。灰皿は父の額を直撃。初めて寅泰が父に反抗した瞬間であった。父は唖然として立ちすくみ、寅泰の顔をじっと見つめた。寅泰はいたたまれずその場から逃げ出ししばらく家出をした。これが父の顔を見た最後になった。

その後すぐに母から離婚することを告げられた。寅泰はてっきり自分のせいだと思ったのだがそうではなかった。父は韓国にも妻がおり、寅泰と同世代の息子や娘もいるというのだ。さらにショッキングな事実が判明。父には日本に莫大な借金があり、どういう訳か母がその返済に当たらねばならず、結局寅泰は母と妹と豪邸を出てアパート暮らしを強いられた。寅泰は怒りに震えた。父を憎んだ。この時、「日本一ギタリストになって母を楽にしてやりたい」と思ったという。

それから数年、BOØWYで大成功を収め、経済的にも安定した寅泰はその夢を果たした。母と妹を東京に呼び、新居で生活を始めた。その頃、一本の国際電話が彼の元にかかってくる。それは父の秘書からだった。父は重い糖尿病失明の恐れがある。「光を失う前に寅泰と妹を一目見たい」という伝言だった。父を許さなかった寅泰は、「会いたい」という妹を説得して断った。

だが…。BOØWYのラストコンサートの日。チケットが無かった父は東京ドームの壁に耳を寄せて息子のギターの音を聞いていたという。父の死後それを父の秘書から聞いた寅泰は初めて悔いた。1999年、寅泰は出演した映画のキャンペーンで初めて韓国を訪れた。マネージャーが知らない韓国人から手紙を預かったという。ホテルの部屋で一人その手紙を広げて読んだ。それは父のもう一つの家族、韓国の異母兄弟からの手紙だった。この義弟の家庭は彼が3歳の時にすでに崩壊していたという。そしてその彼もまた父を憎んでいた。寅泰は勝手に父は韓国の家族と幸せに暮らしていると思い込んでいたのだが、事実は違ったのだ。手紙はさらに続く。父は寅泰を愛していた。寅泰のCDやビデオや新聞記事を集め、周囲の人たちに息子の活躍を誇らしく語っていたという。寅泰は涙が止まらなかった。父もまた孤独だったのだ…。子供の頃、「寅泰君。男なら七つの海を越えなさい」と言った父の言葉を生涯忘れることがないと寅泰は著書『秘密』で語っている。

寅泰は1996年にアトランタ五輪の閉会式セレモニーに出演。究極の夢だったデビッド・ボウイとの共演を果たすなど、世界のミュージシャンとのセッションやコンサートへの出演が相次ぐ。また韓国人役で出演もした『新・仁義なき戦い』のテーマ曲クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』の挿入歌として採用され、以来、世界中から高い評価を受け様々な場面で採用されるなど、国際的な活躍を続けている。父の言葉どおり布袋寅泰は七つの海を越えたのだ。2012年、妻子とともに若い頃からの憧れのロンドンに移住。現在はロンドンを活動の中心にしている。

以上『ハーフマニア』P144より。

主な参考書は自伝↓より

秘密

秘密

書いたとおり布袋の代表曲ともいえる『新・仁義なき戦い』のテーマ曲『BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY』は『キル・ビル』に採用されたため、そっちのテーマ曲と勘違いしている人が多く、『亀田音楽専門学校』では、外国でこれを演奏すると「キル・ビルのテーマのカバー良かったよ」と言われるそうだ。布袋のオリジナル曲であることすら知らない人がいるんだと語っていた。因みに交通事故で亡くなった芸人・桜塚やっくんもこの曲を出囃子に使ってましたねえ。(なお『キル・ビル』に使われたいきさつは本サイトの『キル・ビル』特集をごらんください)

まそれはともかく。韓国人の父の話は非常に感動しました。東京ドームの外で漏れ聞こえる息子のギターの音に耳を傾ける姿、皆さん想像できますか?息子に会いたい一心で日本にやってきた孤独な韓国人の老人。おそらく彼も過去に苛まれ、悔いでいっぱいだったのだろうと思うと何ともやり切れないです。

親子の愛憎物語がぎっしり詰まった『ハーフマニア』の中でもひときわこの父子の話は寂しいものでした。

話は変わるけど、布袋が前妻の山下久美子と別れて今井美樹と結婚したその辺りの話は今紹介した自伝『秘密』に書いてあるのだが、山下久美子の自伝と微妙に食い違っていて、ああ結婚って本当にムズカシイものだと分かりました…。

両方を読み比べてみて↓

ある愛の詩 (幻冬舎文庫)

ある愛の詩 (幻冬舎文庫)

布袋在日韓国人の実業家を演じた↓は音楽だけでなく準主役の彼の演技も見ものでお薦めです。↓

最後に布袋の新作。イギー・ポップがゲスト参加!

New Beginnings

New Beginnings

『洋画・洋楽の中の変な日本・がんばる日本』の「世界で活躍する日本人音楽家」のコーナーもご参考ください。