金色の野辺に唄う あさのあつこ

実は、夏に読んだけどまだ感想を書けていない、という作品もあるのですが、大学から借りてきたこちらの感想を先に書いておきたいと思います。

金色の野辺に唄う、数年前に一度読んで、凄く凄く気に入っていた作品でした。
ふと、もう一度読みたいな、と思って手に取ったんですけど、秋にもう一度読むことが出来て良かった、と感じました。

九十二歳で亡くなる、今、まさに亡くなろうとしている女性と、彼女と関わった人々とが、彼女が亡くなることで物を想う、といった感じの作品なのですが、凄く美しいんですね。
焔のような柿、金色の稲穂、その中の野辺送り。地に染み込む葬送の唄。
あさのさんの文章の特徴が凄く良いほうに作用していて、こんな言い方もおかしいですけど、理想の死、死に様であるように感じられます。
ここに描かれているのは、一つ一つはやっぱり苦かったり、痛かったりするのですが、この状況の中で、こんな風に書かれると、生きることの一つの風景として受け止められるような気持ちになりました。

変に重たすぎることもなく、変に悟るのでもなく。神でも仏でもないから、身軽には旅立てない。
それでも穏やかな秋の一日で、一人の人が亡くなるっていうのはこういう事なのかな、こういうことであってほしいな、と感じます。

皆、皆、それぞれに何かを抱えて生きていって、死に辿り着く。
私は一人っ子なので、いつか、自分が両親を送るんだな、とふと思うことも多いのですが、いつか、皆、冷たく、固くなってしまうんだったら、それまでにきちんと、肌の温度や声というものに触れることが出来る今に感謝して、意識していないといけないな、と感じました。

最近は、よく耳にするけど、実感としてはよく分からない、と感じていたことを、「ああ、こういうことか」と実感できることが増えてきたように思います。
これが、年を重ねる、ということなんでしょうか。

秋は色が美しい季節なんだな、と改めて感じたので、今年は、これからの季節の空や風、草花の色を楽しんで、愛おしんでみたいなと思います。

稲穂の美しさに関しては、岩手の稲穂の鮮やかさが目に焼き付いています。初めて、こんな色をしてるんだな、って気が付いて、びっくりしたんですよね。そういう意味でも、人が亡くなる、ということを改めて思う、という意味でも、今、読むことが出来て良かったです。

それから、読み終わって、ふと、キンキさんのことも思いました。当たり前なんですけど、キンキさんも自分自身も、残念ながら、いつまでもある命ではないので、お二人の生の歌声に、生身の自分で触れることが出来る、っていうのは、もう物凄く嬉しい、ありがたい瞬間だよな、って思って。
毎日毎日、全てを大切にすることは難しいんですけど、この本を買って手元に置いて、ふと手が伸びるときは、こういうことを感じたいなと思います。