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2012-01-05

謝罪案件の手引き

ビジネスにおいて対人スキルは重要です。なかでもとりわけ苦情に対する謝罪スキルは、つぶしの利くものではないかと思います。謝罪を言い訳と読み替えてもらってもいいですし、お客様はとかく怒るものです。というわけで、「組織の中に身を置く」ビジネスパーソン向け、とくに日本企業・中規模〜大規模企業に属する場合に有効そうな謝罪手順を書きとめておきます。

なお、以下の手順はPDCAサイクルを下敷きにしたものではありますが、おもに私の経験をもとにした情報であり、何らかの学術的・統計的裏付けのあるものではありません。参考程度ということで、有事の際にでも微妙にお役に立てるとうれしいです。

1.脊髄反射しない

顧客から自社に苦情が寄せられるなど、相手が怒っている、あるいは相手の機嫌を著しく損ねている、と感じたとき、つまり謝罪案件の発生時に、一番やってはいけないのが「脊髄反射」だと思います。自分の心境としては「うわー怒られた!もう今すぐ謝りたい土下座したい!」と思っても、とりあえず落ち着きます。冷静になります。

謝罪は速度が命、という経験則を持つ方もいらっしゃるでしょうが、今のところ私はそうは思っていません。次に挙げる「何を謝罪すべきか」を明らかにするためには、落ち着いて考える時間が必要だからです。

2.謝罪すべきポイントを明らかにする

相手が何に対して怒りを覚えたのかを探ります。また、謝罪を実施すべきか否かを判断します。

相手はどうして怒っているのか。こちらの発言内容についてなのか、態度なのか、あるいはこちらの反応が期待通りではなかったせいでただ不機嫌になっているだけなのか、など。ここで間違えてはいけないのは、「自分が謝るべきポイントは何か」と考えるのではなく、「相手が怒りを覚えたポイントは何だったか」と相手視点で考えたほうがうまくいく、という点です。

次に、相手の怒りに謝罪の実施が有効か否かを考え、有効であると判断できた場合は謝罪手順へ進みます。たとえば単なる機嫌の問題であれば、だいたい二時間〜一昼夜ほど放置すると元に戻っている場合が多いですから、謝罪は不要と思われます。ひとつの目安として、「苦情であるか否か」を基準にするといいと思います。苦情は見ればわりとそれと分かります。

自分の行いをよくふり返り、また相手の個性についてもよく考えます。

2’.(やや上級)謝罪すべき人物を明らかにする

謝罪シーンにおいては、「自分が悪いことをした場合に自分が謝罪する」というケースがもっとも多いかと思いますが、現場担当者レベルでは状況が違うこともまた多いです。たとえば自分の上司などから、「顧客のA課長が怒っているからなんとかしてほしい」と依頼されるケースなどです。

こういったケースでは、1・2については同様の手順を踏むべきですが、次に「謝罪を実際に行う人物が誰であればもっとも効果が高いか」を考えます。予算の調整ならその予算に見合った決済権限を持っている人、UIについての苦情ならUI設計者、など、謝罪効果の高いと思われる人物を明らかにします。そして自分は謝罪案件におけるゴーストに徹します。

3.謝罪の目的を理解する

実際に謝罪を行う前に、目的を確認し、理解しておきます。ビジネスの場ですから、目的として「自己弁解」は不適当です。また、「相手の怒りを鎮める」では不十分です。謝罪に至る前には何らかの交渉ごとが発生していたはずであり、この謝罪を通して相手に何かを伝え、納得してもらう必要があります。

どこに着地すれば謝罪が成功するのか、それを明確にしておきます。たとえば「態度が悪いと苦情がきた」場合なら、「態度が悪くて不快な思いをさせてしまった点」が謝罪ポイントであり、謝罪の目的は「自社との関係を良好に継続してもらうこと」などです。……これはなんか例が悪いかもしれませんね。

4.謝罪を実施する

謝罪すべきポイントが自分の中で明らかになったのち、相手に伝える、という手順に移ります。メール・電話・菓子折りを持って出向く、など様々方法があります。どれでもやりやすい方法を採択すれば良いと思いますが、ここでも考えるべきは、「どの手段で謝られると相手が納得しやすいか」をちゃんと相手目線で考えることです。

もし相手のキャラクターがいまいち分からないのであれば、メールののち電話で状況を探る、ぐらいが適切ではないでしょうか。

さらに、謝罪においては上記2の「謝罪すべきポイント」を簡潔に明記するようにします。簡潔というのが重要です。「申し訳ございません」が3回以上出てくるメールを読む気がする人はあまりいないでしょう。1回でいい。むしろ不要であることも多い。「ご迷惑をおかけしました」もネガティブな言葉ですから、繰り返さないほうがいいと思います。

またここで、謝罪内容が上記3の「目的」に沿っているかどうかを見直します。目的を見失って許しを乞うことは、たいへん大きな無駄です。ビジネスにおいて無駄というのは損失と同義です。

余談ですが、謝罪するタイミングとしては、相手が基礎的欲求を満たしていると思われる、すなわち空腹でない、睡眠不足でない、そういった状態でやや効果が高いです。

5.謝罪効果を調査する

ビジネスを継続するのであれば、謝罪して終わり、というケースは皆無と言っていいでしょう。すなわち、この謝罪がどのような効果をもたらしたのか、調査する手順を踏む必要があります。

理想としては、相手の顔色・言動・指先や眼球の運動を観察し怒りの状態や矛先をなるべく正確に推定することができれば良いのですが、さすがにこれは相手をよく知らなければ難しいと思います。(心理学の知識なども予備的に使えますが、そういうのも予備だと思ったほうがいいです。統計は確率であって測定対象が人間である以上100%など存在しない)

まあ相手が謝罪内容について話題にしなくなればほぼ「水に流してくれた」という状態だと思っていいと思います。逆に、謝罪後も同じことを言っている、あるいは態度が謝罪開始時とまったく変わらないようであれば、まだお怒りです。

6.謝罪効果が不十分であった場合の対処

十分な効果が見られない場合、もう一度2の手順から、と考えたいところですが、淡々と手順を繰り返すだけではおそらく足りません。謝罪効果が不十分であるということを、よく観察すべきです。何か見落としがある可能性が非常に高いです。

相手は何に対し怒りを覚えたのか、もう一度よく考えてみましょう。

7.感謝の意を述べる

謝罪効果が十分であると判断できる場合、つまり相手の怒りが鎮まり、こちらの目的も達成できたと思われたあかつきには、感謝の意を述べるようにしています。どういうことかというと、「本来なら見過ごされて然るべきところ、ご指摘により、○○を△△に改善することができました。このような機会を与えて下さってありがとうございました」のように、「相手の指摘により(お互いにとって)改善できたこと」を明確に伝え、謝意を表するということです。

一般に、怒りを覚える、あるいは感情的になる、という行為は、見る者の心象に良いものではありません。相手も怒り・苦情をぶつけてしまったことに対して、何か思うところがある場合もあるでしょう。そのあたりを察して、相手の心の負担をやわらげる手順です。言ってしまえば、「仲直りできて嬉しい」という素直な心情を堅い言葉に変換するだけで良いと思います。

8.火種について覚えておく

7で終わりでも良いのですが、私が心がけているのはむしろここです。相手が何に対して怒り、自分がどのように謝罪し、事態がどう収束したかを、客観的に整理しストックする、という手順です。一度怒りを買ってしまうと、相手の心には火種が残ります。これはいつなんどき火を噴くか分からない地雷です。が、武器としては地雷ですので、つまり踏まないように注意することはできます。

いくら謝罪スキルが高くても、何度も同じことを繰り返していれば、信頼はいつか失墜します。そうならない努力を怠らないことです。

番外 苦情を表明する相手は必ず説得できる

これは私の持論なのですが、怒りをぶつけてくる相手は必ず説得できます。そのような事態に陥った理由を明示してくれているからです。怒りは感情の一種ですが、怒るということは、つまり何か思い通りにならないものに対して困っている、ということです。とくに「問題解決」を至上命題とする職種であれば、これはむしろチャンスだと言えます。

なお、他の誰も気づかずとも相手の怒りのサインを見極めることができるなら、それもまた「怒りの表出」と同じことだと思います。

逆に、怒りをまったく表現しない相手には、交渉決裂を覚悟して臨んだほうが良いと思います。怒りを表現しない、ということは、言い換えれば「謝罪する機会すら与えたくない」という、ひとつの意思表示だからです。相手は自分に興味をなくしているか、自分とこれ以上関わりたくないと思っているか、どちらかです。そういう相手に無理して謝罪をねじ込んだり、なぜ怒らないのか聞き出そうとすることは、無駄とかいうレベルではなく、迷惑行為にあたります。無駄よりなお悪いです。こうなったら、もう自分がカウンターに立つことはやめて、誰かに立場を明け渡すほうが得策です。

まとめ 相手の目線で考えるということ

ちょっと長くなってしまいましたが、一貫して言いたかったのは、「相手の立場」をきちんと意識するということです。

ビジネスの場において誰かを、あるいは誰かの名誉を傷つけてしまったとき、「自分なら」と考えることは、あまりよい結果を生みません。相手と自分は違う人間です。とはいえ、機構はよく似ています。

人間は、非常に簡略に考えるなら、インプットアウトプットの集合でできています。インプットアウトプットを注意深く比較すると、ブラックボックスの正体、すなわち価値観が見えてきます。ビジネスの場で「機嫌を損ねる」場合というのは、おおよそこの「価値観にそぐわない状況」を作り出してしまった、ということが原因と考えられます。「相手の立場」は、「相手の価値観」と密接に関係しています。その価値観が、自分のそれとは異なることを、明確に意識しておくと良いと思います。

そして、自分にとって最適なアウトプットを返してもらえるインプットを最適解とし、それと自分の行いとにどのような差異があったかをよく考えると、謝罪のポイントを外すことは少ないです。

さらに蛇足的に付け加えるとすれば、謝罪はテクニカルに実施することもできますが、どの工程においても誠心誠意、自分の言葉で表現するということが大事なのではないでしょうか。

以上、将来の夢はプロニート・ゆりぽが珍しく普通気味にお送りしました。

2011-12-31

2011年のふり返り的に漫画の作画資料を

2011年は私のデスマ元年ですが、何度書き起こしてもまだ愚痴が入り込んできて有用性に欠けるため、さらに有用性に欠ける自分の漫画の作画資料ネタなどで〆たいと思います。今年の冬コミは3日とも晴れてよかったですね。

背景資料

背景を描くときはGoogle画像検索が死ぬほど役に立つ昨今ですが、画像検索結果をブラウザに表示させつつ別ウィンドウで漫画を描いていると、けっこう目と手が疲れます。(※昔は完全アナログでしたが最近は下書きから仕上げまでフルデジタルで描いています)デュアル以上のディスプレイならなーと思う瞬間です。そして正直同人誌のためにそこまで構築する余裕がありません。そんなときに活躍するのが昔ながらの紙の資料です。つまり書籍です。美しい風景などページを繰りながら眺めていると軽度の手首体操及び気分転換にもなる。

ちなみにアナログで描いていた時代は背景がプリントされたスクリーントーンなんてのも集めてはいましたが、縮尺が変えられないのでほとんど使いませんでした。デジタルは本当にトーン貼りが楽です。拡大縮小や濃淡も思いのままだし、何より物理的なゴミが出ません。最悪ゴミ箱すら経由せずに消滅させることができる。トーンのカスが服のみならず髪や足の指などに付着する不快感からの解放はまったくもって画期的でした。

世界の家

では資料です。よく眺めるのがこの「世界の家」です。世界のあらゆる国、土地、街中、崖っぷち、むしろ崖に穴が開いているだけ、など、およそ住居として機能しそうにないものまで揃っていて楽しいです。人間がほぼ登場しないので、パースや厳密なアイレベルが求められないコマの背景に使います。といっても私はアナログ時代から背景に定規を使わない絵柄なので、まあ何にせよ厳密な作画を求める人には向かないかも。

シリーズで「世界のドア」「世界の橋」「世界の服装」などが出ています。服装はちょっとほしいですね。

背景ビジュアル資料 ヨーロッパの町並・路地裏・村

海外のお店、とくに露店の写真があるのが良いです。露店はGoogle画像検索だと個人の旅行記がヒットしやすくて、そうするとやっぱりこう、商品の並びや店の看板まで全体のイメージが掴みにくい。その点この写真集では、店舗、看板・ディスプレイ、といった特集ページもあって漫画にしやすいです。ぼんやりした遠景、キャラの手もとにだけ出てくる近景の参考によく使っています。ヨーロッパ旅行したくなります。

新 世界の路地裏

これは風景写真としてのクオリティが非常に高い。もはや資料にしておくのは勿体無い、気分転換というよりは脱線しやすいのが珠に瑕と言わざるを得ないレベルの良書だと思います。晴天だけでなく曇天や雨の景色もあるのがまた良い。スペインの風景がとくに好きです。構図やトリミングまで参考になるので、これをトレースするというよりは、ここからインスピレーションを得て想像で描くための叩き台とか、そういう使い方。このシリーズは他にも日本のものや水辺の街なんかも出ているので、いずれ全部集めたいと思っています。

Picture Perfect English Villages

洋書です。イギリスの村特集で、ぶっちゃけ私はこれを買ってしまったばっかりに、好きな作家さんの描かれる薔薇園の由来が分かっちゃったりした。申し訳ない気持ちになった。なんかだんだん写真見るの楽しくなってひたすら写真集を集め始めている気がします。

その他廃墟などを背景に持ってくるのも好きなのですが、それは三才ブックスワンダーJAPANシリーズ(雑誌というかムック)や、あるいは昔コミケで入手したチェルノブイリ写真集(個人が出しているのに全ページカラーで旅行記としての体裁を一切排した本格的な写真集)などを参考にしています。

人物デッサン資料

人物は手癖で描いてしまうので、いや本来はきちんとデッサン練習したほうがいいんだけど同人誌レベル(以下略)なので最低限萌えを表現できる程度を心がけて結果的に手癖で描いてしまうわけで、ただその中でもアクロバティックなアングルはぱっと脳内で立体が動かない。ので、アクロバティック用の資料などあります。

ハイパーアングルポーズ集

これは太一が気まぐれにくれた本で、私がプレゼントしたメガネ美少女写真集への律儀なお返しだったと思うんですけど、実らない恋と分かっていても面白そうだったらアクションや出費は惜しむべきではないな、とか思いつつ、ハイパーアングルポーズ集と銘打たれているだけあって半裸の男性のデッサンに非常に役立つ一冊です。一番の見どころはぼくらの神・荒木飛呂彦が寄せたコメントかもしれないけど。モデルになっている半裸の男性も中肉中背で小憎らしい顔をしており、股間のモッコリ具合なども明らかに面白いわけで、注視してトレースするには精神的・腹筋的に若干厳しいところなども気に入っています。

マンガキャラの服装資料集

服装の参考に若い男性向けの雑誌を購入していたこともあるのですが、メンズナックル面白すぎだろ。anan匹敵する。いやそれは置いといて、こう、流行に乗り過ぎない感じで一般的な服の資料ってないのかなーと思って探した結果、これが価格のわりにはよかったです。資料というわりに絵師さんの癖が前面に出ていて、あーデフォルメするとこんな感じか、という感覚を掴みたいとき非常に参考になる。洋裁の本は別の趣味のためにいくつか持ってますが、リアルな縫製より漫画としてまあ違和感がない程度の描き方が分かればよいので洋裁では詳しすぎるのです。

蒼井優写真集

私がよく描くのは少年で、そのくらいの年頃だとジャニーズ少年たちの写真集とかのがいいかなとは思うんですけど、そこはBL漫画ですから骨格の頼りなさとかを強調したい場合に、あんまり男の子男の子したきれいな体よりはいっそ少女の体格のほうが参考になるので、個人的に大好きな女優さんである蒼井優さんの写真集を活用しています。私が好きだと思う写真家とよくタッグを組んでるところもポイント高い。原作が絵または実写である場合はあまり人物を資料にしないんですが、それ以外とかオリジナルでキャラクターを作るときは結局既存の人物から特徴を集めてきて作るケースが多いです。

おまけ:背景に写真を使う

浅野いにおみたいに写真をトレスした背景が巧みな漫画家さんも昨今は多いですが、私はよく自分で撮った写真を加工して使っています。自分で撮ってるから著作権的な問題はクリアしている。むしろ背景作りのためだけにカメラ持って出かけることもあります。加工はコントラストを上げて輪郭を抽出または強調してグレースケールに落とし、微調整してから二値化するパターンが多い。とくに空と木のトーンは背景としても効果としても使いやすいのでいろんな種類を作って保存しています……って誰得情報すぎることに今ごろ気づきました。

えっおまえ漫画描いてるの?

ブログでの語り口から私は二次創作とはいっても小説を書いているんだろうと思われることが多いですが(実際よくそう言われる)、如何せんお絵描きも好きで漫画も描きます。実はお絵描きのほうが業が深いというか、3歳とか4歳のころからクレヨンを握るのが好きだったので多分もうどうしようもない。小説思春期を過ぎるくらいまで書いたこともありませんでした。

しかし哀しいかな、私は絵はまったく上手くない。というか、絵で読ませるとか絵が売れるようなタイプではありません。もし絵がもっと上手かったらもっと別の道を視野に入れたと思う。そういう感じで、絵が得意ではないにも関わらず漫画を描いています。漫画というのは、絵以外の要素、たとえばキャラがしゃべるセリフや地の文などに文章力が反映されるし、あとコマ割り=演出なので監督的な取り組み方もできます。そういうところが面白くてずっと描いています。ゆえにアナログの頃もGペン一本で描くことはそう多くなくて、ミリペンや筆ペン、あと黒田硫黄先生の真似をして面相筆で描いたりもしていました。というかペンはいつも一番苦手でした。マッキーで窒息しそうになりながら塗るベタが好きでした。デジタルペン入れは本当に楽ちんです。

さよなら2011年

全体的に私のフォロワーの中で漫画を描く人というとつよしかわさんくらいしかいないし、そのつよしかわさんでさえも漫画黒歴史らしいので、現在も懲りずに自分の黒い歴史を紡ぎつづけているのは私だけかもしれず、本当にまったくの誰得情報で2011年ブログを締めくくることが出来てすごく嬉しいです。みなさんありがとうございました。良いお年を!数時間後から始まる2012年もよろしくお願いします!!

座りつづける しり 割れつづける

2011-12-22

新橋バドガールエレジー

先日バドガールのいるお店へ行きました。友人2名と連れ立って。バドガールはもう絶滅したかフーターズにとってかわられたのだと思っていたけど、新橋のガード下には健在でした。

バドガールは薄く柔らかい布でできた筒のような衣装をその身にまとっています。みんな手足が長くて胸がでかい。お化粧がちょっと濃い。筒のような衣装は脇ぎりぎりのラインからお尻の下までしかなく、フィット感に溢れている。彼女らを見て私が考えたのは、あんまりバドワイザーっぽくないな、ということで、私はビールならぬるいエールが一番好きだし、バーテンダーがやる気なさそうにポンプでくみ上げてくれる日本リアルエールが飲めるお店のほうが好きです。どちらかというとバドガールは、弾けるホップ香り☆バドキュア。

私のみょうちきりんなテンションをよそに、友人2人は盛り上がっていました。曰く、バドガールはかわいい。思った以上にかわいい。スタイルが抜群で階段をのぼるときの太ももチラリズムがたまらない。卵ムキムキしてほしい。時給いくらくらいなんだろう。あの衣装の下はどのようになっているのか。それにしてもかわいい。素晴らしい。

店内にはそれほど人がいなくて、外国人のお兄さんや疲れた様子の中年男性が額で卵を割られながらにこにこと笑っていました。1時間おきくらいにド迫力の外国人歌手が生歌を披露してくれる。途中で外国人のお兄さんがチーズフランクを差し入れてくれて、バドガールにあーんされながら食べました。外国人のお兄さんが「上手ですね!」と流暢な日本語で誉めてくれたのが印象的でした。

私のテンションが低いのはわりといつものことで、私が根暗なのも卑屈なのもいつものことで、付き合いの長い友人2人はそれをよく分かってくれているので私は安心して暗いことを考え続けました。こういう関係は貴重です。もし職場の人たちがバドガールのいるお店で打ち上げとかしたら、私はすごく無理してはしゃぐと思う。無理してはしゃぐのは馬鹿に見えるし人生の無駄遣いです。

それで私は、バドガールのような職業は自分に自信がないとできないだろうな、と思ったり、あるいは自分に自信を持ちたいという願望をきわどい衣装で実現できるだけの屈強さがある、とか、私はいまだにああいうきらきらした女の子への憧れを自分に許すことすらしたくないモラトリアムのさなかにいる、とか、薄暗いインターネット恋しい、とか、早く原稿やらなきゃとか考えていて、友人のうち1人が「あんなふうになりたかった」と発言するのを聞きながら「あんなふうになりたい」と思うことそのものが罪あるいは罰であるかのように考える自分の精神構造の絶望的なまでの卑屈さに打ちひしがれていた。

やがて店内に忘年会ふうの団体客がやってきて、忘年会ふうの実に張り切った馬鹿騒ぎを始めたので、私たちはお店を出ました。私は私のカオスを放置してくれる友人2人に、放置してくれて私がどんなに安心したかということを伝え、2人は特段気にしてないしいつものことだ、と笑っていて私は友人に恵まれたと思いました。今、私のことをなんて面倒くさい扱いづらい女だろう、と考えた人もいることと思いますが、表面的に空気は読みますのでご心配には及びませんksg。

まだ帰宅するには早い時間だったので、新橋駅前の喫茶店に入りました。お酒を呑んだあとに濃いコーヒーを飲みたくなるのはなんでだろう。利尿作用によって体内のアルコール濃度がむしろ上昇するのではないか、と思ったりもするのですが、案外平気です。

喫茶店の中にはメイドふうの衣装を着た女性店員や執事ふうの衣装を着た男性店員がいて、私はとても落ち着きました。バドガールチラリズムや豊満な胸にはなんのときめきも覚えられないどころか打ちのめされるのに、メイドふうの衣装の袖口やリボンのついた胸元を見るとその布に包まれた青白い皮膚などを想像してしまってどきどきする。友人2人はメイドさんにはまったく萌えない、と言い、さっきまでのバドガールがいかに素敵だったかを再び語り合っていました。

私は女性に萌えないわけではなく、むしろ男性だから女性だからとか関係なく、というより、異性愛者だから異性だけが特別に興味の対象であるなどとはまったく考えておらず、私のフェティシズム無機物、たとえば Cisco のスイッチの LED にすら発動されるので、つまり私はただ単にバドガールという属性に萌えないのであろう。でも友人2人は萌えると言う。萌えたもの勝ちみたいな価値観が少なからず私にはあり、バドガール萌える萌えないの格差が私の劣等感を適度に刺激するので謎解きをしたいような気分についなってしまうのだけど、私と友人2人の属性的な差異はほとんどありません。友人2人も私と同じように女性であり同年代でありBL読みであり同人誌などを作る側です。属性に関わらず萌えは多様であるといった普遍的な結論しか導き出せそうになく、属性が同じだからといって萌えも同じだと考えると喧嘩になることがしばしばある女性集団の生きにくさなどにも行き着かないわけではなかったですが、多分私は「健全」から程遠い嗜好の持ち主なのであろう、という単純解に落ち着いた。

エロでもグロでも健全なものとそうでないものとがある。繁殖を想起させる事物は健全だしセミやゴキブリのグロさも健全だ。ただ健全と不健全すらも明確に境界の定義された二元論ではない。より健全なものが生存競争において優位で、ゆえに数で勝り、混沌から程遠い秩序を形成している。この世はバドガール賞賛する精神性を軸にしてまわっている。それそのものについて批判めいた感想は持っていないけれど、ああ私は生きているだけで精一杯だ、というようなことを思うのです。最近はインターネットまでソーシャルでときどき悲しい。

なにかにつけ理由を探して自分なりの理屈を見つけて納得し、自分と折り合いをつけていくしかないし、社会からはみ出さない、つまり死なない程度に為すべきことを選択し実行するしかない。でもだからといって誰もがなにかを為すために生きているわけでもなく、なにかを為すための代償を惜しんでいい、なにも為さないまま死のうと生きようと生存競争上の優位層が紡ぎ続ける歴史には記録だけが残る。必要欠くべからざるものなどない。

今のところ私が私に許すことができるようになったのは、健全な美しさへの憧憬ではなく、こんなことを考えなくても生きていけるようになりたかった、という願望だけです。考えない人間はいない、けど、考えなくてもうまくやれる分野が人間関係に特化している人間がおそらくリア充で、考えなくてもうまくやれる分野がゲームプログラミング二次創作に特化していると生きにくい。考えることから得られるのは精神的充足感のみであり、もはや出力もおぼつかず、考えないことに睡眠と同等の魅惑すら感じる。そこには手が届かず同化もできないのですべて想像にすぎない。

バドガールのいるお店は、パラレルワールドのようでつまり総じて悲しい。なぜ悲しいのか考えると余計に悲しくなる。悲しさの宝庫だ。国宝だ。新橋はどうかこれからもバドガール大事にしてあげてほしいです。

そんな私が癒しを求めてインターネットをさ迷っているとき、とある友人が自分たちが作ったというコンテンツを紹介してくれました。悲しい私を男性の声で癒してくれる声のホスト、というコンセプトだそうです。シナリオを書いているのも友人で、デザインとか原案とかも友人で、もうなんかほんと友人みながんばってるなあと思う。なにを為すべきでなくともなにかを為したと感じることは喜びですから、私は宣伝をしようと思います。

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新人声優5名でお送りする、オリジナルラジオドラマ!女性を声で癒すお仕事、ボイスホスト。略して「ボイスト」。そんなボイストのアッキーがひとり残されたVoice host club Angelica(アンジェリーカ)にやってきたのは、新支配人・臨之介とベテランボイストのくろ&鷹雪、そして新人のりょう。個性豊かなボイスト達が、今宵も日常に疲れた貴女の心を声の妄想で癒します!出演:臨之介、りょう、クロ、鷹雪、あっきー   シリーズ構成・脚本:岡野萌子 イラスト:にしかたきよ キャラクター設定・原案:関根基世  タイトル・店名ロゴデザイン:M.Mariko  企画・制作 ラグニッション  製作:ボイスト製作委員会  毎月5日更新 http://engeki.ws/?p=4862

新人声優の男の子5人が、なんだかんだ話している動画です。ええ声〜と思いながら聞けばいいと思います。健全か不健全かで言ったら不健全寄りだと思うので大好きです。