「全聾作曲家」騒動って、結局

Pet shop Boys 「Opportunities (Let's Make Lots of Money) 」 http://www.youtube.com/watch?v=JuHIRrt5lCI
陳腐だが、このニュースで当初思い浮かんだのが、やっぱコレDA・YO・NEってコトで(苦笑)。ま、オレが最初にこのニュースを知ったのはNHKの「朝イチ」で「番組で取り上げた作曲家の作品が別人の物だった」だが、「ハァ、誰それ?名前を間違えたかしたの?」程度の認識であった。そしたらその後間も無く「全聾の作曲家にゴースト(代作者)発覚」って聞いて、更に「ハァ?」状態。つか「全聾」ってナニ?そンなンで作曲なンてデケるの?ぢつは何時にも増してヒマだったンで、その渦中の「全聾作曲家」作品をYouTubeを漁って最初に見つけた「交響曲第一番 HIROSHIMA」…ナニ、この(後期)ロマン派コラージュミュージック、ゴイスと思いつつ(最初の数十秒でギヴアップしかけたのは内緒)、他にもピアノソナタだのナンだのってあったので摘み聞き。で、まあ、パクリとまでは言わないが、どれもミョ〜にコラージュミュージックって趣きに思った。そしたらそこへ「指示書」と呼ばれる一枚の紙が登場。うは、図形楽譜みたいだ〜(笑)。
交響曲第一番」指示書 http://buzzap.net/images/2014/02/06/samuragouchi-mamoru/1_l.jpg
ンで、そン中にクラシック作曲家に混じって「ペンデュラム」の名を発見。まさかドラムンベースのアノ人達?…あ、いやCCRの方かナァ、謎だ。多分、どっちも違う(笑)。
Pendulum http://www.pendulum.com/
CCR 「Pendulum」 http://www.amazon.co.jp/Pendulum-Ccr/dp/B000000XCK
まあイイや。ンで「代作者」はコレの「リアライゼーション」をヤッたワケか。な〜ンて軽く思ってた。つってもこの「指示書」って「テキトーにパクッてこンな感じでヨロ」っつー風にも「読める」ケドね。ちなみに図形楽譜ってこーゆーの。以下リンクには只の「イメージ図」も混じってるが、どーゆーのかは判ると思う。
素晴らしき図形楽譜の世界 http://overkast.jp/2012/01/graphic_notation/
ンで、コレはムチャ振りに近い図形楽譜のページ。
ASZA http://www.asza.com/r3sc.shtml
確か1960年代後半〜1970年代前半に、こーゆー筆の殴り書きみたいなのをオーケストラで演奏したっつー例があったと思うが、記憶違いかな。この時は指揮者が「リアライゼーション」をヤッた筈。
こンなコトで「ひゃあ」とかプチ盛り上がるオレだったが、今度は「代作者」の正体判明とキたYO。えーっと、新垣隆、ふ〜ン。桐朋学園大学の非常勤講師で無声映画伴奏楽団カラード・モノトーンに…て、ちょっと待て、カラード・モノトーンって名前、聞いたコトあるゾ、メンバーだったンだ、ヘェ。ンじゃ、YouTubeにナンか上がってたりして…と探して最初にメッケたのがコレ。
「インヴェンション あるいは 倒置法 II」 http://www.youtube.com/watch?v=72_xyYwldzI
あれ、演奏がアンサンブルジェネシスって…こっちも名前知ってるゾ(でも演奏聴いたコトあったっけ?)。ンで、更にメッケたのがコレ。
「インヴェンション あるいは 倒置法 III」 http://www.youtube.com/watch?v=63wqyJ-1ZI8
「連辞一層次 II」 http://www.youtube.com/watch?v=8cwB8OJpkLA
え、こンなン作るヒトが?あの「指示書」を元に?あの「交響曲第一番」を?素直にスゴいンデスが?ナニモノ?つか、何故にあンな手間が掛かって実入りのなさそーな「仕事」をヤル気に?
だって「交響曲第一番」ってCD1枚にギリギリ収まる前提で演奏時間74分設定。先ず演奏時間が長過ぎて、評価の定まってるベートーヴェンの第9のよーに演奏されるかも危うい、つか、新人で(当時)無名の作家の作品ってだけで演奏すらムリぢゃネ?演奏される当てでも有ったのかナ、きっとそーだナ、その為の「全聾作曲家」設定ってコトか。はぁ、障害者ビジネスもエエ加減にして欲しー。そーいや「現代のベートーヴェン」ってフレーズで売ってたンだっけ。ン〜、ムリだ。
交響曲第一番 HIROSHIMA 第3楽章」後半 http://www.youtube.com/watch?v=Gfv2X8_2W38
ま、オレは「食指」が動かンが、「全聾」設定ヌキでもコレを「イイッ」と受け入れる層があるコトは判る。例えば、こンな評価とか。
交響曲の代作問題について http://kukikei.sakura.ne.jp/sym-jpn-samuragochi.htm
それはそれでエエと思うンだが、なンつーか、やっぱもやもやはする。ナニしろTV番組で「全聾作曲家」の苦悩の創作生活(笑)が紹介されて、イッキにブレイクしたコトを知ってしまったから。ココまでが2月5日。翌日には週刊文春の記事が、オマケに「代作者」の新垣隆本人が記者会見とか。ひゃーっ!!!
新垣隆 会見全文 http://blogos.com/article/79742/
この会見についてどーこー書くキはオレにはナイが、それでも「成る程」と腑に落ちる部分があったと書いて、コレを紹介しておく。
より正しい物語を得た音楽はより幸せである http://www.morishitayui.jp/samuragochi-niigaki/
それにしても「全聾」って無謀過ぎてどうしてイイか判らンレヴェルの設定を決行して成功させる「手腕」が怖過ぎる。一体そこにはどンな「マジック」があったのか。それは今回の「告発」をお膳立てしたらしいライターが「追求」するンだろーが、新垣隆の今後が心配。彼自身はPet Shop Boysの歌みたいにLots of Moneyを稼いだ訳でもナイし、そもそもソコには全くキョーミなさそうな人物みたいだネ。今度は「全聾作曲家」のマヂな「正体」が知りたいトコだナ。

KARL BARTOSのオフレコ23年分

「OFF THE RECORD」、(勝手に)邦題「オフレコ」。元発電所員のKARL BARTOSおぢさンの新譜であ〜る。そもそもは発電所勤務中にデケた未発表のネタをなンとかわしントコ(bureau bっつーレーベル)で発表デケンもンかと依頼されたのがキッカケで制作されたアルバムなので、自伝的な内容なンだって。解説ぢゃ「音日記」みたいなコト書いてあるヨ。まあ、当時のネタそのまンまはさすがにムリだったろーケド、聴いてみたいYO NE。ンでもやっぱそこントコは「オフレコ」っつーコトで、代わりに「解雇録」…ぢゃなかった「回顧録」でユルしてってコトかしらン。つーワケで前作「COMMUNICATION」以来10年振りのほぼ新ネタ(「THE BINARY CODE」は6年前の企画モノ「VISIONAIRE 53」に収録済) ばかりの新譜がデケたと。ロボ声でLAURIE ANDERSONのコトを唄うバラード「THE TUNING OF THE WORLD」とかあって「うひ」って感じで前作より好きかも。全体としては内省的で「落ち着いた」雰囲気の「良作」だが、オレ的にはミックスっつーかマスタリングに難アリと感じる部分がアルのが惜しいかも。
ココはオレとしては発電所のデモ・テープネタかそれに近いネタを期待しちゃうンだが、解説に依れば、発電所絡みっぽいのは、1981年のツアーでハマースミス・オデオンでのサウンドチェック時に浮かんだっつーメロディーを持つ「INTERNATIONAL VELVET」、JOHN LENNON死亡ニュースのショックで制作中断したネタにもろに「SHOWROOM DUMMY」が登場する歌詞を乗っけた「WITHOUT A TRACE OF EMOTION」、「NUMBERS」のビート・パターンを使った「TECHNO POP(デモ・ヴァージョン)」を彷彿させる「RHYTHMUS」辺りで12曲中3曲位っきゃナイ。…て、全部殆ど発電所関係ねーぢゃン。そりゃまあ当然か。KARLおぢさンが発電所勤務中にも独りで夜な夜なTV見乍らイロイロ録り溜めてたってコトで、その年数23年。とっ散らかってたテープを整理するのが大変だったみたいだネ。
KARLおぢさンが発電所参加後に初めて制作した「RADIO-ACTIVITY」を連想させるテーマを持つ「ATOMIUM」が1曲目なので、曲順もなンとなく発電所勤務開始時から現在へみたいな流れになってンのかと思ったケド、解説とか読むとそーゆーワケでもなさそー。ンでも6秒の沈黙「SILENCE」(実際は無音ぢゃなくて前半ちょっとだけノイズが微かに聞こえる)後のアルバム最後の「HAUSMUSIK」の曲調がKARLおぢさン加入以前の発電所の「TANZMUSIK」を彷彿とさせるのが、時間が発電所加入以前に戻ってそのまま1曲目へループしちゃうような仕掛けになってる感じがなンとも。ンでもってCDジャケが発電所勤務当時のマネキンだし、あの当時を「封じ込めました」的な趣向になってる。ちなみにマネキンは30歳当時のモノだって。こンなインタヴューあったンで貼り。
http://www.gq-magazine.co.uk/entertainment/articles/2013-03/19/karl-bartos-interview
日本語訳(注:4ページあるケド、内容は抜粋) http://rocqt.net/130813
インタヴュー最後の下りが泣かせるネ。つか、最早「お約束」的なナニかになってる感も(苦笑)。そうかー、FLORIANもハッピーなのかー…なンだが、最新の評伝本「KRAFTWERK: PUBLIKATION」中のEBERHARD KRANEMANNの発言に依ると、発電所が新譜あと1点出さない限り契約上FLORIANは作品発表デケンとか。ウソ〜ン。
つーワケで、早く出ないかしらン、発電所のあったらし〜の。

KRAFTWERKの前史の前史

発電所員KARLおぢさンの新譜のコトを書こうとして、ちょっと調べモノしてた最中にメッケた資料。つーか「記事」。
http://endlesskraftwerk.tumblr.com/post/52685964649/florian-with-eberhardt-in-student-band-pissoff
http://endlesskraftwerk.tumblr.com/post/52685970899/eberhard-and-florian-together-with-pissoff-1967
発電所設立っつーかKRAFTWERK結成前は、RALFおぢさンとFLORIANおぢさン(当時はお兄様)がORGANISATIONっつーバンドにいたのは知られてるケド、更にその前はPISSOFFっつーバンドに参加してたっつー話。えーっ!ハ・ツ・ミ・ミ!!ちょっと軽く「訳出」してみる。いつもの「超訳」風味。
「学生バンドPISSOFFに出演中のFLORIANとEBERHARD、1967年。EBERHARDはデュッセルドルフ芸術学院の同志と共にバンドを始め、彼等はアンプに繋いだ楽器で実験的音楽を演奏していた。そのうちSCHNEIDERが暗い隅っこでひっそりしているのを彼等のコンサートで度々目撃され始めていた。彼はそこで起きている全てに興味津々のようだった。EBERHARDはFLORIANにフルートを持ってバンドに参加したらと誘った。」
「PISSOFFと一緒のEBERHARDとFLORIANと、1967年。ある日FLORIANは即興音楽コースで出会ったクレーフェルト出身の新人でハモンドオルガンを弾いたある男を引き摺って行った。RALF HÜTTERである。一度のジャムセッションの後、バンドはRALFをメンバーに加えた。そして更にデュッセルドルフのジャズクラブでの数えきれない程の夕べを過ごす事になったのだが、それは、毎度流動的だったバンドメンバーが散り散りになるまで続いた。FLORIANはRALFと共に残り、新しいグループORGANISATION、そして遂に1970年、KRAFTWERKを結成した。
EBERHARDは、デュッセルドルフ劇場で演奏していた彼自身の新バンドに新しいフルート奏者を探していた。その劇場はあるエンジニアを雇っていた。CONNY PLANKである。EBERHARDはFLORIANを引き入れて彼をCONNYに紹介した。CONNYは夜間、彼等に録音スタジオでの演奏を許したので、RALFとFLORIANとはすぐに彼等のファーストアルバム制作に取りかかり始めた。それは容易な道程ではなく、様々な人々が来ては去って行く中、ANDREAS HOHMANNとKLAUS DINGERとのドラム演奏だけがアルバムに残された。
DINGERはバンドの恒久メンバーとして扱われ、SCHNEIDERは、彼自身が一人暮らしを始める為に引っ越す間、彼の家族が居る家にDINGERの住む場所を用意した。 だが、僅か2〜3ヵ月後にRALF HÜTTERはKLAUSとFLORIANとを残してバンドを去る事を決めてしまった。その時期のコンサート演奏は去就を懸けたものだった。SCHNEIDERもDINGERも生活が演奏家としての稼ぎ次第だったからである。彼等は殆ど毎晩演奏しており、様々な演奏家と共演したが、最終的にギタリストのMICHAEL ROTHERに行き当たった。バンドには何時でも膨れ上がる緊張感があり、それはDINGERやROTHERにはこれ以上我慢出来ないと思わせる程の作業量のせいでハネ上がり、その結果両者ともFLORIANの元から去り、彼等自身で今では伝説となったバンドを組む。NEU!である。
FLORIANはRALFを再び訪ね、戻って来ないかと説得した。それ以来というもの、この二人組は分ち難い間柄と成り、KRAFTWERKとして続いて行った。数年後に再度EBERHARD KRANEMANNは彼等と短期間活動した。これが初期KRAFTWERKにおける多くの紆余曲折である。」
途中ちょっとORGANISATION〜KRAFTWERKの間が省いてあるので「?」な部分もあるが、概ねこンな感じだったっつーのは判る筈。オレはFLORIANがRALFを誘って学生バンドでジャズクラブで演奏してたのは知ってた。で、その学生バンドがORGANISATIONかと思ってたケド、そーぢゃなかったのネ。リサーチ不足だったナ。つーワケで、KRAFTWERK初期に於いてはどっちっつーとFLORIANがフロントマンだったって感じだと、やっぱオレは思っちゃう。完全に「逆転」しちゃったのってきっと「AUTOBAHN」以降?ま、その辺のコトはFLORIANが自伝でも書いて明らかにしてくれないと判らンコトだネ。

KRAFTWERK飛び出すライヴから1ヵ月

ええ、イキましたYOイキましたとも、発電おぢさンことKRAFTWERKの来日コンサート。2011年11月辺りから「何だか飛び出すらしい」と噂のヤツ。去年NYはMoMAでの「RETROSPECTIVE」ってタイトルで「AUTOBAHN」以降の各アルバム全曲を日替わりで8日間ヤッてたのを、今年は「THE CATALOGUE」のお題目で同趣向のライヴを独逸で英国でそして日本で…って、えっ!?日本!!英国はTATE MODERNでコンサート始まる直前に判明した突然過ぎる来日決定。うおーっ!全部イキた〜いっ!!と思ったケド、チケ代ほぼ10K円って、東京公演コンプしたら80K円…ムリぢゃン。つーワケで、悩みに悩ンだ末、2日目にイッてキた。イッてガマンがデキなくなってなけなしの貯金叩いて他の日にもイッちゃったのは内緒なの〜。アレからもお1ヵ月なのネ。
KRAFTWERK来日公演 http://udo.jp/Artists/Kraftwerk/index.html
にしても、「RETROSPECTIVE(回顧展)」にはちょっと焦った。MoMAっつー美術館での開催っつーコトで「シャレ」たつもりなのかもだが、「回顧展」ってアーティストの「生涯を通じて制作された作品展示」ってコトで、基本的に「故人」が対象。ナニ?発電おぢさン自ら「もお終わりました」宣言?新譜製作中ってのはやっぱ「お約束」のリップサービス?コレで活動休止?と思ってたら、今年に入って怒濤のライヴツアー入れ捲り状態。…やっぱコレで最後なのかしらン。RALFも60代半ばだし。そンなンで8日間全部イキた〜いだったンだが、やっぱムリ。中には大阪公演も含めて9日分堪能したお方もいらっしゃるようで、羨ましい限り。気合い入った「追っかけ」な方々は世界各国イッちゃってるかも。兎に角FLORIAN脱退後の堰を切ったかのような行脚状態なンだが、実際ステージ観て、彼の不在がやっぱちょっと悲しかったかも。ンでも、飛び出す背景動画のお陰でイチイチ「うひょー」状態で、コンサートの最中は全然そンなの意識になかったつえばそーだったかも。なンつーか、観る場所にも依るとは思うケド、アレッて画面の中に入り込ンで発電おぢさン達の世界にいる感じするのネ。少なくとも真ん中辺で画面両端が見えるか見えないか位の位置で観てたらネ。最も印象的だったのは、「NEWS」というラヂヲのニュースを模した地味〜な演目。文字が手前に飛び出す効果で最もアトラクティヴに思えたっつーのがなンとも。そンなンで「熱」が醒めるまでの約1ヵ月、アフォなのでYOUTUBEで動画観まくってた。検索するとイパーイ出て来るYO。そうそう、2004年来日公演よか更に低音ズンドコ感増してたネ。にしても、当初「撮影禁止」だったのが、3日目からRALFの要望で「撮影解禁」されちゃうとは…やっぱ最後の思い出に撮っとけってコトなのかしらン。その割には最新インタヴューではまたしても「新譜もうすぐだよ〜」な発言が。「お約束」ってコトで、ずっとそーなのかナ(苦笑)。
Pitchfork Ralf Hütter Interview http://pitchfork.com/news/51137-kraftwerks-ralf-hutter-says-band-is-working-on-a-new-album/
そーいや、来日前にシンガポールだのソウルだのタイペイだのホンコンだのってイッてたヨネ。来日後にもシドニーバルセロナに…て、バルセロナ明日ぢゃン!そンな感じで11月までコンサートだらけな発電おぢさン達、タフだなぁ。何時までも達者でいてネ。
こーゆー「飛び出す」趣向のコンサートってこれから増えてくのかな?ブロードウェイのミュージカルなンかでも一部試みられてるらしーし。ジャニーズ系のライヴとかヤリそーなキがするネ。

「小顔」効果、オレの場合

筋トレ生活ジム通いを始めて何年か経ったある夏のコト、知人Aと6〜7年振りに某所でバッタリ。スッカリ体型が変わったオレにビックリした知人Aは、開口一番「久しぶり〜だけど…どうしたの、その体。随分デカくなってない?体重今80キロ位?」。えーと、オレ自身は中肉中背ど真ン中の「平均的な」標準体型なンだと思ってるし、実際スペック的には辛くもメタボに入らない程度だゾ?「いや、嘘でしょ。て事は俺より全然軽いの?」と言う知人Aの体重は75キロ。背丈は知人Aの方が若干高い。「筋トレがんばってんだねー」と感心されたが、オレとしては特にガムバッたつもりもないし、実際マッチョ視点からすればデカいワケでも無く、所謂「カット」もないボンヤリしたショボい限りの体である。にしても「体重80キロ」発言のショックはデカかった。
それから約1年経った頃、別の知人Bと数ヶ月振り位に会った。段々運動量が減りつつあったオレは、ソレに伴い徐々に体重が増え始めてた。「ちょっとデヴッて来ちゃって…」等とボヤくオレに知人Bが一言「そうか〜、じゃあ今80キロ位あるの?」。コ、ココでも80キロ発言?そンなにデヴに見えるのか〜、オレ!「え?いや、腹も出てないしデヴには見えないけど、でも元々体重有ったよね?」ねーYO!まだまだ標準体型の範疇だっつーの。つか、前からそンなに重く思われたのか…。まあ、腹は目立つ程ぢゃナイケド出てるがナッ。「ああそう。服着てると判んないから、良いんじゃない?でも俺より10キロ近く軽いって本当に?そんな風に全然見えないよ。でもデカくなったのはデカくなったよねー。」えーっと…そ、そーなンだ(汗)。ちなみに、この知人Bはオレより5センチ位は背が高い、メタボ若干入った普通体型である。
ンで更にその半年後、別の知人Cとこちらも数ヶ月振りに会った時のコト。体型の話題になり、オレもここントコ体重増えてちゃって〜と話したら、「そういや80キロ位だったっけ、それ超えたの?」と知人C。はああああ?!コ、コ、ココでも80キロ!!!つか、超えてないし、超えてたら今頃まぢにマッチョ体型だっつーの。「いや、充分ガタイ良いと思うけど、違うの?その胸とか筋肉凄くない?薬物でもやったんじゃないの?」や・く・ぶ・つ!キタコレ。プロテインならヤッたコトあるが、コレ、「薬物」ぢゃ、あ〜りませンからっ!つか、「薬物」ヤッててこの程度のプチ太めの「標準体型」留りっつーンぢゃ、オレ、素質無さ過ぎて号泣レヴェルだっつーの。つか、オレ程度で「薬物」級のマッチョ認定って、マッチョのイメージに「温度差」有り過ぎて、もおどおしてイイのかワカラン。「そうなんだー、でも俺より背が高いし、デカいよね。」え、今なンつった?そっちの方が背が高いンだケド?「え?ああ、そうだねえ。う〜ん、何でそんな風に思ってたんだろう…あ、そうか、小顔だからだよ。」えええええ?!
小顔?それが理由か?知人C曰く、オレの顔は日本人にしては小顔なので、相対的に見て体が実際よりデカく見える効果があり、そのために体重が重そうに見え、更には背丈すら高く見えると。そ、それはスゴイッ、謎が解けたっ!って、そ、そーなのか?って、オレッて果たして小顔なのか?
女子の憬れ「小顔」。しかーし、その効果が「背が高く見える」は兎も角、「相対的に体が大きく見える」結果「体重が重く見える」っつーンぢゃ台無しのよーな。あ、コレはオレが「マッチョ体型」な男子だから?って、オレそンなンぢゃナイッつーの。ンでも「これ以上筋肉つけると気持ち悪くなるだけから止めとけ」な〜ンて言う友人もいたなあ。一体「世間」のマッチョ基準ってどーなってンだろ。でも、何だかオレ、このままデヴり続けてリアルに80キロになる悪寒。嗚呼…。

今宵NYはロマンチック・ナイトの筈なのに

昨日のスーパー・ハリケーン、サンディー様の襲来で、NYマンハッタンはもう水浸しである。2〜3日前に米人友が「二つの台風(タイフーンっつってた)が合わさった巨大なのが来て、雪と雨とが混じって降るって。もう地下鉄とか閉鎖されて、交通機関使えない状況なんだよね。仕事も2〜3日は無理だし、お休みだよ」等と電話で言ってたのを思い出す。ハロウィンに影響出るンぢゃねーの?と言うと「その頃には台風過ぎ去ってるから大丈夫でしょ」とか返ってキたが、甘かったネ。そもそもマンハッタンの地下鉄は大雨がちょっと降っただけで甚大な雨漏りしちゃう駅があったりする老朽化っぷりなので、サンディー様のお陰でどういう状況になっちゃったかは、まあ想像がつくンだが、ラガーディア空港まで「水没」状態ってナンナンだーっ?!CNN等での数々の映像を観るにつけ、こりゃあ大変だYOナァ…と思ってたら、約800万世帯停電とかってニュースがキた。うは。てことは、米人友ントコも当然停電しちゃってるYO…。
「そうなんだよ」と米人友。昼飯にするか〜と思ってたらテレフォン・コールキた。おNYは無論真夜中。「電話も何とか使えてる状況だよ」そーイヤ、ナンか、ガサガサノイズが聞こえるナァ。「ケータイも何故かバッテリーが保たなくってねえ…電気が何時復帰するか判らないし。TVもラジオもPCも使えないンだよー。冷蔵庫の食い物が駄目になりそう。」そーいや、チンもデケンのネ、チンも。「今、キャンドルを灯して話してるんだ」あははー、ぢゃあロマンチック・ナイトを過ごしてるンだネ。「ロマンチック・ナイト!あのなー、お気に入りのヴィデオも観られんのにロマンチックとか。外出だって無理。どうしろと」嗚呼、そーか、ヴィデオもアウトだYOナァ。ハード・デイズ・ナイトはナイトもハード。パープル・タウンも今日だけは…いや、数日はブラック・タウン?その分さぞかしお星様キラキラぢゃねーの?「ハリケーンなのに?」ロマンチックの欠片も無い。明晩は、お星様キラキラ…だといいネ。
11月2日追記。まだNYCの米人友宅エリアは停電継続中。まだ復帰しそーにナイッて。電話回線も水没してるンでノイズだらけでとーとー通話不能に。バスがかろうじて運行してるンで、米人友はNYC脱出デケたはエエものの、今度は「お家に帰れないかも」な状況だとか。サンディーで大惨事とか駄洒落ってる場合ぢゃナイ(ゴメンナサイ、やっぱ書いてみたかったの〜)のは確かだネ、はぁ。

初NYで最も衝撃的だったコト

思い出話。何年前だかもお忘れたが、インターネットも「ナニソレ?」な頃の話。米人友もデキたコトだし、折角だからヤツの棲ンでるNYとやらにイクか〜と「どっか良いホテル知ってる〜?」等とファックスしたら「ウチに来れば〜OH YEAR」的な返事キて、あっさりホームステイ決定。つか、エエのか?ンなあっけなく自宅に入れちゃうって、そンなに信用しちゃって。ニポンジンでもヤヴァいヤツいるっつーのに。オレもある意味ヤヴァいかもYO?と思いつつ、ビンボーなオレは5日間しっかりお世話になった。米人友は勿論仕事があるのでNY案内は期待してなかったが、SOHOのギャラリー巡りを1日だけ付き合ってくれた。オレはコレを一番の楽しみにしてたので嬉しかった。ンでもって、更に嬉しいコトに、その晩ステーキハウスに連れてってクレた。「ニポンジンってステーキ食べたがるよね。君も食べたいんじゃない?」そーなのか?初めて知ったマメ知識。まあオレもステーキは好物だし、どンなン出て来るのかキョーミあったので「イクイクッ!」と大喜びで同意した。米人友のおごり。ゴチになりま〜す。
で、そこで早速カルチャアショッキングなコトが連続コンボでクるンだが、まずメニュー。えーと。一番ちっちゃいのが約250g…ってエエッ?ニポンだとヘタすると最小80gとかってアルYOネ…。思わず米人友の方を見たが、ヤツはメニューを凝視しながら「スープとか食べる?」と訊いてキた。「う、うん」とメニューを見ると下の方にスペシャルとかってある。キノコっぽい。「じゃあ、それとポテトと…ポテトは一皿で充分だと思うけど、二皿頼む?」と畳み掛けるように米人友。オレはきっとポカ〜ンな顔をしてたと思う。「ああ、一皿で良いね。じゃあ、君本当にスープ頼むかい?ステーキ焼き方何が良い?」と笑いながら米人友。気付くと大柄なウェイターが横にスタンバッてた。「オススメはミディアムレアだけど」と米人友が促す。「ぢゃ、そ、それで」とオレ。で、ウェイターが足早に消えた後気付く。オレ大きさ選ンでナイYO!ど、どーしよー巨大なのキちゃったら…。訊くのもコワイ気がしたので、ディナーには早めの時間で人もまばらな店内を見るコトで気を紛らわせる。と、程なくスープがヤッてキた。多めだろーとは思ってたが、まさか30cmはありそうな皿で出て来るとは。しかも具沢山のクリームスープ。ニポンで出て来る量と比べると、ヨユーでダブル。次いでポテト。フライド。皿はスープに比べりゃ小さいが、ンでも山盛り。オレは量を食べる方ではあったが、この量完食はムリぢゃネ?実際クリームっつーのも相俟って、スープだけでお腹イパーイ状態になりつつある。その上ステーキって…ステーキ、キターッ!えーと、多分400g位?存在感抜群の厚さ10cm近いビーフの塊が皿の上に鎮座。ソレ以外はナッシン。ニポンではきっと見られン位のゴージャスさに目が眩むっつーか、そのまンま目眩しそー。ちゃンとミディアムレアになってたのはオドロキ。米人友はレアを頼ンだンだが、焼き加減が違ってた。スゲー。米人友はステーキ完食。オレはスープ食べた分ステーキ喰えなくて、結局3分の1程を「犬袋(DOGGY BAG)」に入れて持ち帰り。その袋を待ってる間、米人友がニヤニヤしながら顎で別のテーブルを見ろと促した。オレの斜め後ろ辺りだったので気付かなかったのだが、そこにはオレがNYでは想像もしなかった光景があった。
テーブルの真ン中にフライドポテトを堆く盛った皿がある。高さはきっと20cm位。その両脇に、オレ達が食べたのより明らかにデカいステーキの皿。そして、ソレに窮屈そうに手を伸ばしてる巨大なボール二つ?どう軽く見積もっても200kgはありそーな超おデヴ男性2名がステーキあ〜ンどポテトをつまンでるの図。余りの巨漢っぷりに、あのステーキが小さく見えるとか、どーゆーコト?つか、NYはマンハッタンって健康志向なヒトのメッカぢゃなかったの?フィットネスでジョギングでノースモーキングでスマートでヘルシーでオシャレあ〜ンどセクシーでアーバンあはンなピーポーって感じっつーの?オレ的には、そンなイメージに軽く原水爆投入してみた的な光景。実際NYキてデヴな人見かけなかったし。まあ、実際はオレ自身NYだからどーのという、NYの住人に対してコレといったイメージはなかったンだが、それにしてもあンまりだー。衝撃的過ぎて、見ちゃイケナイアメリカの暗部を垣間見たキになっちゃったぢゃねーか。にしても、或る程度料理の量は予想はしてたが、想像以上だった。まあ「犬袋」で持ち帰りはデフォッぽいので安心だネ(ナニが?)。
初NY行きのオチ。帰りの空港行きのタクシーの運ちゃンがフランス語しゃべってると勘違いした。ぢつは南部訛りの英語だった。当時そこまで聴取能力なかったンだYO。悪いコトしたなあ(反省)。