『クビキリサイクル』

僕はなぜ天才が出て来る物語に魅せられるのだろうか。それはおそらく僕が天才になりたいと非常に強く望む人間だからだろう。

僕は自分が天才おそらく天才にはなれないだろう。だがまだどこかで自分がいつか天才として覚醒する可能性を信じているのかもしれない。

2006/5/11

『気狂いピエロ』


分かりにくい映画である。しかし、この映画が「映画」である、ということはまぎれもない事実だと思われる。そしてその「映画」は何か異質なものとしての「映画」である。しかしこの映画は美しい。楽しく物悲しく、そして美しい。やはり私はフランス的な美しさに惹かれる自分を否定できない。

この映画で描かれる「気狂い」もまた異質なものである。私の精神と相対的でそう遠からぬ位置にありながら、どこか異質なものを感じる。

私にとって倫理とは何を意味するのだろうか。私にとって正気は何を意味するのだろうか。

2006/5/12

『クビシメロマンチスト』


不覚にも表紙に萌えてしまった(爆

巧いですね実に。戯言度合いも、ミステリとしての出来も、日本語の崩壊具合も。注目もされるわけだ。

西尾維新は自分の青臭い戯言的なエンターテインメント性に自覚的な、いわば知的快楽をエンターテインメントの要素として使ってしまうタイプの作家だと思う。

2006/5/13