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記紀雑考──シリア語の残像──

2010-07-22

古事記の「墨」は「黒」ではない

02:09 |

 古事記崇神天皇条に注目すべき記事が載る。「墨坂神」に「赤色楯矛」を祭り、「大坂神」に「黒色楯矛」を祭り、云々と出てくる。この場合は、「墨」に「赤色」(Syriacでは「SWMQA」)が対応し、「大」に「黒色」(Syriacでは「AWKMA」)が対応する。


   又於宇陀墨坂神、祭赤色楯矛、又於大坂神、祭黒色楯矛、(…以下略…)

   (古事記・中巻・崇神天皇条より)


 この話は、「SWMQA」(赤色)を略して「スミ」と言い、「AWKMA」(黒色)を略して「オー」(上代に長音表記は無いので、仮名表記は「オホ」)と言うからこそ、成り立つ話だろう。即ち、古事記において、「墨/大」の対(pair)は「赤色/黒色」の対(pair)を表す。


   此天皇(大雀命のこと)、娶葛城之曽都毘古之女、石之日売命、〈大后

   生御子、大江之伊邪本和気命。次墨江之中津王。次蝮之水歯別命。

   (古事記・下巻・仁徳天皇条より)


 そういう対(pair)が、もう1箇所ある。仁徳記の冒頭の帝紀的部分に出てくる「大江/墨江」の対(pair)である。ここで「大」は「黒色」を表し、「墨」は「赤色」を表す。そのことは、「大江之伊邪本和気」(履中天皇)の皇后が「黒比売」であることに見合う。


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 【補足】名前が「黒」である女性は、「吉備海部直之女、名黒日売」と出てきて、「葦田宿祢之女、名黒比売命」(これが履中天皇の皇后)と出てきて、「坂田大俣王之女、黒比売」と出てくる(以上の3人)。少なくとも皇后で「黒」は1人。


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covacova 2010/09/09 16:09 「墨」に「赤色」ですか。

「墨」を「黒」と「土」に分解すると興味深い解釈ができます。

陰陽では「黒」は「天」「赤」は「地」に配当されます。

「地」を「土」に置き換えれば、「土」は「赤」になります。

さらに、「天」「人」「地」の「人」は五行では「土」になります。

墨と赤は、「天」「人」「地」に対応するのかも知れません。

2010-07-20

「女鳥」も「隼人」も智恵を持つ

04:47 |

 異なる列音の母音が重なった場合、「相対的に狭いほうの母音」が脱落する(第一原則)。また、「CVCV・VCVCV」において、一番目のVと二番目のVが同じ列音の場合は、二番目の母音が三番目の母音より広くても、二番目の母音が脱落し、三番目の母音が残る(第二原則)。


   ・「ハヤ・ウマ」(faya・uma) > 「ハユマ」(fayuma)

   ・「ソホ・アガリ」(sofo・agari) > 「ソハガリ」(sofagari)


 このような母音脱落現象に即して、「曽・富・騰」を「音・音・訓」で読む場合、「ソハガリ」(sofagari)である。その一方で、「ソバカリ」(sobakari)は「ソハガリ」(sofagari)に転じ得る(濁音位置が前後する音転例は珍しくない)。「ソバカリ」(曽婆加里)ならば、「隼人」の名前として出てくる。


   ・「曽富騰」(sofagari)も「曽婆加理」(sobakari)も同じ

   ・「山田之曽富騰」は「曽婆加理」(隼人)に重なる(同一視できる)


 もちろん「曽富騰」を「音・音・音」で読む場合、「ソホド」(ここで「ド」は乙類)であり、こう読むのが最も素直である。併し、「ソハガリ」とも読める点こそが重要。「山田之曽富騰」は、「隼人」であるところの「曽婆加理」に重なる。こういう場合は、「山田之曽富騰」を「隼人」と見なしてよい。


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 ここで注意すべきは、「女鳥」が「速総別」(日本書紀は「隼別」に作る)と行動を共にするという点である。名前が「ハヤブサ」であるところの人は、別の意味において「隼人」である。その「速総別」(隼人)と行動を共にするのが他ならぬ「女鳥」(月宿の【女】を表象)ということである。


   ・「女鳥」(月宿の【女】を表象)は「速総別」(隼人)と行動を共にする

   ・摩登伽経の「女」は舍頭諫経の「耳聡」(聡耳)……兼知未然

   ・「山田之曽富騰」(隼人と見なせる)……尽知天下之事神


 既に述べた通り(7月19日)、月宿の【女】(耳聡)に関して、日本書紀で「兼知未然」と説かれる。それほどの智恵を持つ者として、月宿の【女】は在る。一方、「曽富騰」(隼人と見なせる)に対しても、まさに「尽知天下之事神」と説かれる。「女鳥」と「速総別」(隼人)が一緒に逃避行する脈絡が知られよう。


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2010-07-19

「山田之曽富騰」(記)と「匝布屯倉」(紀)の繋がり

22:49 |

 まず第一に、古事記の「山田」は3箇所に限る。上巻に「於今者山田之曽富騰者也。此神者、足雖不行、尽知天下之事神也」と出てきて(1箇所)、その後は、下巻の二つの系譜記事に「春日山田郎女」が出てくるのみ(2箇所)。このような場合は、古事記というテクスト上で「山田之曽富騰」と「春日山田郎女」はリンクされていると見なければならない。


   ・山田之曽富騰……此神者、(中略)尽知天下之事神  (古事記・上巻)

   ・丸迩日爪臣──糠若子郎女──春日山田郎女     (仁賢記)

   ・春日之日爪臣──糠子郎女──春日山田郎女     (欽明記)


 一方、日本書紀に「匝布屯倉」(匝布は沙本に同じ)が「春日皇女」の名を表すことになる旨の記述が載る。これは、「春日」の訓みの一つに「沙本」が有ると考えれば、理解しやすいだろう(2010-07-18の《「沙本」という未詳語について》の項を参照)。その場合に、「曽富騰」の「曽富」という音形が「沙本」という音形に似ていることが無視できなくなる。


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 第二に、古事記の「日爪臣」を日本書紀が「日触臣」に作るということがある。後者は「比布礼」と訓め、古事記の「丸迩之比布礼能意富美」(日触の大臣)に重なる。その「比布礼能意富美」の孫に当たるのが「女鳥」である。そして、実のところ、その「女鳥」は月宿の【女】(耳聡にも聡耳にも作る)を表象する(同日の《古事記の「女鳥」について》の項を参照)。


   ・丸迩之比布礼能意富美──宮主矢河枝比売──女鳥   (応神記)


 「日爪」も「日触」も同じ。そういうことであれば、二つの「日爪」の系譜に位置づけられる「春日山田郎女」と、「比布礼」(日触)の系譜に位置づけられる「女鳥」(月宿の【女】と見てよい)は、血縁の関係にあると見なければならない。つまり、「春日山田郎女」と、月宿の【女】は、血縁を有するほどの関係性を持つということになる(そのように設定されている)。


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 結局、一方で「春日山田郎女」の「春日」は「沙本」と訓め、一方で「春日山田郎女」は「女鳥」(月宿の【女】を表象する)と同族である。ところが、摩登伽経の女宿を舍頭諫経は耳聡宿に作る。その「耳聡」(聡耳)に関し、書紀は「一聞十人訴、以勿失能弁。兼知未然」と説く。その内実は、ギリシャ語からの借用語である「SWPYA」(wisdomの意)に重なる。

 「山田之曽富騰」に対し、古事記は「此神者、尽知天下之事神也」と記述するが、一方で「曽富」という音形は「SWPYA」(wisdomの意)に通ずる。「曽富騰」に関しては、このほかに「久延毘古」という名前と「足雖不行」という態様が記されるのみであり、具体的な姿形は分からない。いわゆる山田の中の一本足の案山子は、実は「ふくろう」(飯豊)ということか。


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古事記の「飯豊」について

20:15 |

   於是、問日継所知之王、

   市辺忍歯別王之妹、忍海郎女、亦名飲豊王、

   坐葛城忍海之高木角刺宮也。

   爾、山部連小楯、任針間国之宰時、

   到其国之人民、名志自牟之新室楽。

   (……中略……)

   爾即、小楯連聞驚而、

   自床堕転而、追出其室人等、

   其二柱王子、坐左右膝上泣悲而、

   集人民作仮宮、坐置其仮宮而、貢上駅使。

   於是、其姨飯豊王、聞歓而、令上於宮。  (古事記・下巻)


 古事記は「二柱王子」(顕宗天皇仁賢天皇)が発見される過程を、このように描く。その「二柱王子」についてはともかく、今ここで特に注目したいのは、「小楯連」が「飯豊王」の臣下に位置づけられている(そのように描かれている)という点である。「小楯」は「飯豊」(ふくろう)の臣下なのである。


   ・「大楯」山部大楯連……「女鳥」の玉を取って妻に与える

   ・「小楯」(1)山部連小楯……「飯豊」(ふくろう)の臣下

   ・「小楯」(2)建小広国押楯……二十八宿の【女】に該当


 ここで二人の「小楯」(山部連小楯と建小広国押楯)を重ねてみれば、二十八宿の【女】に該当するものが、「飯豊」(ふくろう)の臣下に位置づけられている、ということである。即ち、臣下という関係性を用いて古事記は【女】を「ふくろう」(或る範囲の文化圏において智恵の象徴とされる)にリンクする。


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 ところが、古事記の「厩戸豊聡耳」に関し、日本書紀用明天皇元年)の細注に、「更名豊耳聡聖徳、或名豊聡耳法大王、或云法主王」とある。「聡耳」は「耳聡」(二十八宿の【女】に同じ)に作ることもあった。その「豊聡耳」に関し、やはり日本書紀推古天皇元年)に、次のようにある。


   母皇后曰穴穗部間人皇女。皇后懐姙開胎之日、

   巡行禁中、監察諸司。至于馬官、乃當厩戸、而不労忽産之。

   生而能言。有聖智。及壮一聞十人訴、以勿失能弁。兼知未然。

   且習内教於高麗僧慧慈、学外典於博士覚悄J村獣b磧

   父天皇愛之令居宮南上殿。故称其名謂上宮厩戸豊聡耳太子。


 特に「生而能言。有聖智。及壮一聞十人訴、以勿失能弁。兼知未然」という部分は、「豊聡耳」の由来を説明する。「十人訴」を一度に聞いて失うことなく、よく弁え、「未然」(まだ起こっていないこと)を「兼知」する(予め知る)。そういう事柄が「聡耳」(耳聡)という文字列の内実である。


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 ナクシャトラの「Sravana」を摩登伽経は中国の宿名を流用し、「女」に作り、舍頭諫経は翻訳し、「耳聡」に作る。そもそも【女】(Sravana)は「耳聡」(Sravana)である。一方で、古事記は、その【女】(小楯)を「ふくろう」(飯豊)にリンクする。即ち、「耳聡」(たとえば兼知未然といった事柄)を「ふくろう」(或る範囲の文化圏において智恵の象徴とされる)にリンクする。

 「耳聡」が「ふくろう」にリンクされる必然性は、「ふくろう」が智恵の象徴であることによってこそ担保される。ということは、古事記は「ふくろう」を智恵の象徴と見ているということになるが、そのような見方の本源はギリシャにある。其処で、ギリシャ語「σοφία」(上智大学の英語名でもある。wisdomの意)に由来するシリア語(Syriac)の「SWPYA」が浮上する。その子音対は「SP」である。


━追記━(2010年10月15日)

 ところが、「飯豊郎女」は「伊邪本和気」の子である(古事記系譜)。古事記中、「邪本」という文字列は、二人の人物(袁邪本と伊邪本和気)の名前に出てくるのみ。前者は「沙本毘古」の弟であることから、いわゆる連濁(小・沙本>小邪本)と理解できる。故に、「伊邪本」に関しても、同様に連濁(伊・沙本>伊邪本)と理解できる(一つの理解の仕方として)。つまり、「飯豊」(ふくろう)は、「伊・沙本」の子ということになる。このことも含めて考えると、尚更、「沙本」と文字列により示される音形は、ギリシャ語の「σοφία」に通じるものと言えそうである(通じるものであることを念頭に置いて古事記は作られている)。


  http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20100718/1279400341


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古事記の「女鳥」について

16:09 |

 安閑天皇(広国押建金日)と宣化天皇(建小広国押楯)は兄弟である(母は「尾張連之祖、凡連の妹、目子郎女」と記される)。名前に共通して「広国押」と「建」を含むので、前者の名前の固有部分は「金日」、後者の名前の固有部分は「小楯」である(これは、テクスト論の基本的見方)。


   ・「金日」(安閑天皇)……「宇都志日金析」(阿曇連)に重なる

   ・「小楯」(宣化天皇)……「山部連小楯」に重なる


 古事記中、名前に「金」と「日」を併せ持つのは、二人しかいない(安閑天皇と「宇都志日金析」)。また、古事記中、名前に「小」と「楯」を併せ持つのは、二人しかいない(宣化天皇と「山部連小楯」)。その意味において、さしあたり、宣化天皇は「山部連小楯」に重なる(これも、テクスト論の基本的見方)。


  ーーーーーーーーーーーーーーーー


 一方、古事記におけるリンク(関係性構築、あるいは関連づけ)の方法の一つに、「大○○/小○○」という対(pair)を作る、ということがある。最も単純なものは「大碓/小碓」(後者は「倭建」とも言われる)である。この場合は、兄弟という関係性(つまり血縁)が設定されている。

 古事記の「山部」という文字列は3箇所で、最初の箇所は「此之御世、定賜海部・山部・山守部・伊勢部也」となっており、ここは普通名詞である。残りの2箇所は「山部大楯連」(単に「大楯連」とも出てくる)と「山部連小楯」(単に「小楯連」とも出てくる)である。二者は血縁関係と見るべきだろう。


   ・「山部大楯連」(大楯連)……物語において「女鳥」に深く絡む

   ・「山部連小楯」(小楯連)……名前が「小楯」(宣化天皇)に重なる


 その二者のうち、まず前者は、「其将軍山部大楯連、取其女鳥王所纏御手之玉釼而与己妻」と出てくる。物語において「女鳥」に深く絡んでいる。そして後者は、上述の通り、その名前が「小楯」(宣化天皇)に重なる(古事記中、「小」と「楯」を併せ持つのは、「山部連小楯」と「建小広国押楯」に限る)。

 ところが、安閑天皇二十八宿の【牛】ならば、宣化天皇二十八宿の【女】である(2009-06-21の記事参照)。ここで、「大楯連」が「女鳥」に深く絡むことと、「小楯連」の名前が【女】(宣化天皇)に重なることは、全くパラレルである。「女鳥」という人名は、二十八宿の【女】を表象するものとして在る。


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2010-07-18

「春二月」(翼月)は「ܦܠܓܘܢ」と訓める

22:28 |

 日本の「秋八月」は「Bhādrapada」(室月)に当たり、セム系の文化圏の「AB」に当たる。大体それは太陽占星術で言う「おとめ座」に当たる。その「おとめ座」は死海写本に「B十WL十A」(いわゆる少女の意味)と出てくる(2009-08-21の記事など参照)。このことから、「Bhādrapada」(印欧系の言語)と「B十WL十A」(セム系の言語)は同根の言葉ではないかと推測される。しばしば「おとめ座」が「室女宮」に作られる点に注意すべきだろう。

 

   a)a portion, part.

   b)a division esp. of an army, a rank, order; (以下略)

   c)a division, difference of opinion, dissention, faction.

   d)duplicity, deception.  (Payne Smithのシリア語辞書より)


 ところで、右翼とか左翼とか言う時、この「翼」は、どんな意味だろうか。シリア語の動詞に「PLG」(to divide, part in two. 二つに分ける意)があり、その名詞の複数形に「PLGWN」がある(意味は上に列挙)。一方、日本の「春二月」は「Phālguna」(翼月)に当たる。訓めば「PLGWN」と訓める「翼月」が、他ならぬ「Phālguna」である以上、印欧系の「Phālguna」という語はセム系の「PLGWN」という語と同根と見ておくべきではないか。


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古事記の「天押帯日子」について

20:33 |

 古事記の「春」は16文字。そのうち、14文字は「春日」(古事記というテクスト上の地名)として出てくる。残りの2文字は「春山之霞壮夫」として出てくる。後者は「兄号秋山之下氷壮夫、弟名春山之霞壮夫。」というように、秋春の対(pair)で登場する。


  ・天押帯日子(春日臣などの祖。筆頭は春日臣)→春二月(翼月)

  ・大倭帯日子国押人……「AB」(室之秋津島宮)→秋八月(室月)


 順序は逆転するが、「天押帯日子」(隋書の「姓阿毎字多利思北孤」を念頭に置いた名前)と「大倭帯日子国押人」(いわゆる孝安天皇)の兄弟も、春秋の対(pair)で登場する。古事記においては、春と言えば、「春日」(16回中14回)であり、秋と言えば、「秋津」(16回中10回)である点に注意したい。


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 さて、二十八宿の【張】は「Pūrva・phālgunī」(舍頭諫経では「前徳」)に当たり、【翼】は「Uttara・phālgunī」(舍頭諫経では「北徳」)に当たる。また、「春二月」であるところの「翼月」のインド名は「Phālguna」(もちろん「phālgunī」の変化形)である(矢野道雄『密教占星術』などを参照)。


  ・「春日建国勝戸売──沙本之大闇見戸売──袁邪本王」

   (開化記の系譜記事より)


 ところが、古事記というテクスト上に、「春」(ハル)も「国」(クニ)も含む唯一の人物として、「春日建国勝戸売」が存在する。結果的に、この人物は「phālgunī」を表象する(ここで「春」は正訓表記に近い。「国」は借訓表記)。そして、その孫に「沙本毘古、袁邪本、沙本毘売、室毘古」がいる。


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 ここで「袁・邪本 > 袁邪本」(連濁)と考えられることから、同様に「伊・沙本 > 伊邪本」(連濁)と考えられ、その場合は、履中天皇の和風諡号である「伊邪本和気」は「沙本」に由来する名前ということになる。

 一方、安閑天皇二十八宿の【牛】ならば、履中天皇は【翼】である(この点については、2009-06-21の記事を参照)。つまり、「伊邪本和気」(これは「沙本」に由来する名前)は【翼】(Uttara・phālgunī)や「翼月」(Phālguna)に照応する。

 「沙本」に由来する名前が「翼月」(Phālguna)に照応するという事柄と、古事記の「沙本」の系譜が「春日建国勝戸売」(この人物は「phālgunī」を表象する)から説き起こされるという事柄は、まったくパラレルである。


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 以上を踏まえつつ、「天押帯日子」(隨書の「姓阿毎字多利思北孤」を念頭に置いた名前)について考えてみる。冒頭の通り、弟の「大倭帯日子国押人」(孝安天皇)が「秋八月」(室月)に照応し、兄の「天押帯日子」(阿毎・多利思北孤)が「春二月」(翼月)に照応する(無論、古事記が意図して照応させている)。

 ところが、舍頭諫経は「Pūrva・phālgunī」を「前徳」に作り、「Uttara・phālgunī」を「北徳」に作る。即ち、「phālgunī」を「徳」と漢訳する。したがって、「Phālguna」(翼月)についても「徳」と漢訳し得る。「徳」の一文字が「Phālguna」(翼月)を表し得るのである(もう少し平たく言えば、「徳」という漢字は「Phālguna」(翼月)と訓めるということ)。

 日本書紀の巻廿一(α群)に「厩戸皇子、更名豊耳聡聖徳、或名豊聡耳法大王、或云法主王。」(用明天皇元年)とあり、巻廿二(β群)では「豊聡耳」という名の由来が説かれる。最も流布した「聖徳」という称号の「徳」に対して書紀は説明を欠く。しかし、この「徳」が「Phālguna」(翼月)を表すとするならば、結局、古事記は意図して「天押帯日子」(阿毎・多利思北孤)を、「聖徳」という称号に照応させていることになる。


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 【付記】古事記において、「天押帯日子」(阿毎・多利思北孤)を祖とするのは、「春日臣」だけではない。「大宅臣」「粟田臣」「小野臣」「柿本臣」等も同祖。ここで「小野臣」が入っている点に注意したい。西暦607年、隋に派遣された(但し、書紀は「遣於大唐」と記述する)のは「小野臣妹子」である。その「小野臣妹子」は、隨書に出てくる「阿毎・多利思北孤」(一般に聖徳太子として知られる人物)の親戚であった。そのように古事記は主張しているのである(別段、驚くような主張でもないだろう)。古事記古事記の方法論で、歴史を描く。


 【追記】事実誤認があったので、訂正しておく。 日本書紀の巻廿一(α群)に「厩戸皇子、更名豊耳聡聖徳、或名豊聡耳法大王、或云法主王。」(用明天皇元年)とあるが、この中の特に「聖徳」という名辞についても、巻廿二(β群)に関連記事が載る。厩戸皇子が亡くなった際の、慧慈(高麗僧)の誓願の言葉として出てくる(推古天皇二十九年)。


  為皇太子、請僧而設斎。仍親説経之日、誓願曰、「於日本国有聖人。

  曰上宮豊聡耳皇子。固天攸縦。以玄聖之徳、生日本之国。

  苞貫三統、簒先聖之宏猷、恭敬三宝、救黎元之厄。是実大聖也。

  今太子既薨之。我雖異国、心在断金。其独生之、何益矣。

  我来年二月五日必死。因以遇上宮太子於浄土、以共化衆生。」

  於是、慧慈当于期日而死之。是以、時人之彼此共言、

  「其独非上宮太子之聖。慧慈亦聖也。」


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「沙本」という未詳語について

05:59 |

 古事記に「邪本」という文字列は七回出てくる。最初の二回は「袁邪本」という人名、残りの五回は「伊邪本和気」(いわゆる履中天皇)という人名である。こういう場合、古事記というテクストにおいて二人の人物はリンクされている(関連づけられている)と見なければならない。


   ・古事記の「邪本」(1)……「袁邪本」(葛野之別・近淡海蚊野之別の祖)

   ・古事記の「邪本」(2)……「伊邪本和気」(御骨が蚊屋野で見つかる)


 二者は「邪本」という文字列でリンクされているだけでなく、「蚊野」と「蚊屋野」の両地名においてもリンクされている。古事記中、「蚊」の文字は両地名を除いて他には出てこない。しかも、前者は「近淡海蚊野」、後者は「淡海之久多綿之蚊屋野」と出てくる(この場合、同一地名と見て構わない)。


   又娶春日建国勝戸売之女、名沙本之大闇見戸売、生子、

   沙本毘古王、次袁邪本王、次沙本毘売、亦名佐波遅比売、次室毘古王。

   (開化記の帝紀部分より引用)


 ところが、「沙本毘古」(サホビコ)と「袁邪本」(ヲザホ)が兄弟であることから、少なくとも「袁邪本」の二音節目の「邪」(ザ)は、いわゆる連濁によるものと理解され、その場合、「伊邪本和気」の「伊邪本」についても、「伊・沙本 > 伊邪本」という可能性が浮上する。履中天皇は「沙本」に縁があるのだろうか。


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 さて、「広国押建金日」(安閑天皇)が二十八宿の【牛】ならば、自動的に「大倭帯日子国押人」(孝安天皇)は二十八宿の【婁】ということになるが、その【婁】はシリア語のアルファベットの「D」に当たる。そして、「D」(5)は「AB」(5)に数価が等しい。「AB」は「秋八月」に当たり、「室月」(Bhādrapada)に当たる。それ故に孝安天皇の宮都が「室之秋津島宮」に作られるのであった(以上に関しては、さしあたり2009-08-21の記事を参照)。


   ・「天押帯日子」(春日臣などの祖。筆頭は春日臣)→春二月(翼月)

   ・「大倭帯日子国押人」……「AB」(室之秋津島宮)→秋八月(室月)


 注目すべきは、「天押帯日子」(春日臣などの祖)と「大倭帯日子国押人」(室之秋津島に宮都を置く)の兄弟である。兄弟の対が春秋の対に照応するように構成されている。したがって、「春日臣」に「春二月」(翼月)が照応する。ここで二十八宿の【牛】が「広国押建金日」(安閑天皇)ならば、【翼】は「伊邪本和気」(履中天皇)だから、結局、「春日臣」に「伊邪本和気」(履中天皇)が照応するということになる。


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 然るに、「袁邪本」(上述の通り、語構成は「袁・沙本」と見てよい)の系譜記事に戻ってみれば、その母の「沙本之大闇見戸売」(闇は日下に通じる。今回この点は論じない)は「春日建国勝戸売」の娘である。「袁邪本」の系譜(即ち「沙本」の系譜)は、古事記において、まず「春日」から説き起こされている。


   朕子麻呂古、汝妃之詞、深称於理。安得空爾無答慰乎。

   宜賜匝布屯倉、表妃名於萬代。(日本書紀継体天皇八年)


 一方、日本書紀(巻十七・継体天皇八年)に目を向けると、「匝布屯倉」(匝布は沙本に同じ。ともに音仮名表記)を賜うことが「春日皇女」の名を萬代に表すことになる旨の記述が見られる。「春日」の訓みの一つに「サホ」が有ると考えれば、最も理解しやすい。「春日臣」(サホ臣)に照応するところの「伊邪本」は、やはり「沙本」という語の変化形(ないし派生語)と捉えるのがよかろう。


  ーーーーーーーーーーーーーーーー


 ところで、「秋八月」(室月)はセム系の文化圏の「AB」に、「春二月」(翼月)は「ΣBΘ」に当たる(2009-08-21の記事を参照)。古事記に、「沙本毘売命、亦名佐波遅比売」とある。件の「沙本」が「春日臣」に通じ、「春二月」(翼月)に通じるとすれば、この「佐波遅」は「ΣBΘ」の音仮名表記かもしれない。あるいは掛詞と見るべきか(一次的に示す語が他にある可能性は当然ながら残る)。


 (追記) 2009-06-21の《「沙本」(ܫܚ)と「佐波遅」(ܣܗܕ)》の稿を参照されたし。既に「佐波遅比売」の「佐波遅」は「SHD」と見られることを述べている(こちらの方が音形が合う)。尚かつ「ΣBΘ」という語も想起されるということである。


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covacova 2010/08/24 10:26 秋春の対(pair)で登場するとなりますと、陰陽が連想できますね。

covacova 2010/08/24 10:34 翼と室の対ですか。

神輿は、携帯神社と訳されて紹介されることがありますよ。

神輿は鳳凰の翼と神社の室の合体とみると、面白いことになります。

神輿を見たユダヤ人は「何で日本にアークが!?」と、驚くそうです。

つまり、翼と室の対=神輿=アークの構図が透けてみえちゃいます。

ywrqaywrqa 2010/09/05 10:25 covaさん、たくさんコメントをありがとうございます。
ちょっと繁忙期に入り、なかなか書き込めませんが、
気長にお付き合いください…。ところで、お話の中に、
「アーク」が云々と出てきます。お時間がある時に、
ちょっと補足いただけると、とても有り難いです。

covacova 2010/09/07 06:47 アークとは、聖書に出てくる聖櫃のことです。

全体に金箔が貼られ、上部に羽を広げた一対のケルビムと呼ばれる像が置かれています。

担げるように、二本の棒が取り付けられます。

大きさは、一般的な神輿とほぼ同じです。

ケルビムを鳳凰に置き換えると、遠めに神輿と極めて印象が似てきます。

胸がはだけるほど激しく担ぐさまも、聖書のダビデ王を彷彿とさせます。

また、アークには川を渡るエピソードがありますが、海や川を渡る光景は神輿にも各地であります。

covacova 2010/09/07 07:23 なお、神職の衣装は裾に房が付く、お払いを思わせる所作があり、清めの塩を用いるなど、ユダヤ教と神道の礼拝にも共通点が見られます。

ユダヤ教の神殿も古い様式の神道の神社も、前に二本の柱が立ちます。
神社の柱は時代が下ると、ユダヤ教の神ヤハウエをさす聖なる文字のה(へー)にそっくりな形の鳥居に変わります。
実際、ה(へー)には、鳥居としか見えない表記法があります。

ユダヤ教の神殿と神社は、礼拝の場所と神の聖なる場所をわける、清めの水や、賽銭箱が前にあることまで、そっくりなのです。

ywrqaywrqa 2010/09/07 15:03 > 神社の柱は時代が下ると、ユダヤ教の神ヤハウエをさす
> 聖なる文字のה(へー)にそっくりな形の鳥居に変わります。
> 実際、ה(へー)には、鳥居としか見えない表記法があります。

「ה」(へー)と「ח」(ヘット)は形が似ていますが、
「鳥居」の形は、後者よりも前者に近いのですか?

------------------------

(※以下、参考までに。数価は、「א」を【2】として計算してます)
(※また、綴りは、実際にシリア語訳の聖書に出てくるものです)

鳥居にも色々あるが、「門」を意味する「תרעא」(882)は、
「狐」を意味する「תערא」(882)に一致するので、少なくとも、
稲荷鳥居に関しては、此の「鳥居」の語源は「תרעא」でしょう。
(※即ち「鳥居」という表記は、ひとまず借訓表記と考えられる)

ところで、九進法だと、「882」は【9】になります。
「א」が【2】の場合、「ח」(ヘット)も【9】になります。
九進法だと、「תרעא」(鳥居)は「ח」に重なるのです。
この線から言うと、「鳥居」の形は「ח」(ヘット)ですね。

#但し九進法は、総てを九つに分類してしまう大雑把な見方ですから、
#むやみやたらに使えば、何から何まで同一視する危険性があります。
#そういう意味で、上記の計算は“九進法のサンプル”を書いたまでです。

ywrqaywrqa 2010/09/07 15:06 途中にヘブル文字が入ると、文字の順序が
入れ替わって表示されますので、補足します。

・「門」の数価は「882」……綴りは「תרעא」
・「狐」の数価は「882」……綴りは「תערא」

以上です。

covacova 2010/09/07 21:19 >「ה」(へー)と「ח」(ヘット)は形が似ていますが、
>「鳥居」の形は、後者よりも前者に近いのですか?

偶然見つけた宗教アイコンで、書かれた形があまりに鳥居に似すぎて思わずへーっと言って噴出してしまったのは、紛れもなく「ה」(へー)ですよ。

ywrqaywrqa 2010/09/07 22:43 わかりました。そうだとすれば、「ה」(へー)の原義について、
どんな認識を持って描いてるのか、ってあたりも気になります。
もしかして、そのイコンは、ネット上でも見ることが出来ますか?
図像の載っている本など、御存知でしたら、教えてください。

covacova 2010/09/07 23:41 残念ながらかつて見つけた鳥居そっくりの「ה」は、偶然見つけたので検索ワードを失念しました。

でも、יהוהで画像検索かけてみてください。

חで画像検索をかけても出てこない、鳥居を連想できる形の「ה」が、笑っちゃうくらいでてきますよ。

筆記体の「ה」を図案化すると、さらに鳥居そっくりになるはずです。

ywrqaywrqa 2010/09/08 14:13 ありがとうございます。とりあえず…

http://www.liturgy.co.nz/blog/wp-content/uploads/2008/08/yhwh.jpg

これなど、かなり鳥居っぽいですね。ただ、
どうして拘っているかというと、ご存知の通り、
「へー」の場合、左の縦棒と横棒が離れてます。
同じ形で、それがくっついているのが「ヘット」です。

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6036825.html

このURLの書き込みのなかで、kigurumiという方が、
次のようなこと(思いつき?)を述べてらっしゃいます。

> 8はヘット。駄目だ、本に載ってない。
> ヘブライ語のヘットは囲いという意味。
> 形からすると鳥居のこと?

普通に見られる形から言うならば、「ヘット」も、鳥居に
似ているので、どっちが似ているかな?と思ったのです。
離れているパターンと、くっついているパターンと、各々に
何か意味があったりすれば、面白いですね…

covacova 2010/09/08 18:32 比較民俗や比較宗教から言えば、鳥居は「ה」(へー)の方に注目したいですね。

なんといっても、神道とユダヤ教の類似は面白いほどあります。

そしてיהוה(ヤハウエ)をあらわす聖なる文字としては、「ה」(へー)のほかに「י」(ヨッド)があります。

「י」(ヨッド)もまた、神道の象徴の一つである勾玉を連想できる形なのです。

勾玉の形の意味に諸説あって、これといった定説がないことを思えば、ユダヤ教と数々の類似のある神道のシンボルがיהוה(ヤハウエ)をあらわす聖なる文字「י」(ヨッド)にそっくりであることは、もっと注目されていいと感じます。

それに対し、「ח」(ヘット)は、ユダヤ教のシンボルとしての使用された形跡は残念ながら知りません。

ywrqaywrqa 2010/09/08 19:16 > 「י」(ヨッド)もまた、神道の象徴の一つである
> 勾玉を連想できる形なのです。

そうですね。なんとなく形が似てますね。

> それに対し、「ח」(ヘット)は、ユダヤ教のシンボルとしての
> 使用された形跡は残念ながら知りません。

なるほど、分かりました。ありがとうございます。
一つ確認というか、教えていただきたいのですが、
初期キリスト教の流れ(複数)と、ユダヤ教の関係を
大体どのように考えておられますか?

covacova 2010/09/08 21:22 キリストとして知られるイエス自身は、新宗教の教祖になる気はなかったのです。

タルムードに偏っていったユダヤ教の原点回帰を訴えたのが、イエスでした。

ユダヤ人を救いに来た人がイエスと思っていたユダヤ教徒は、耳障りなことしか言わない彼をうっとうしく感じたのでした。

しかし、イエスに共感した人々も居て、ユダヤ教原点回帰派ともいえる集団が形成されました。

この人々が、やがてエルサレム教団となっていきます。

なお、イエスやイエスにヨルダン川で洗礼をしたヨハネは改革派のエッセネ派と呼ばれるクムラン宗団に属していたという情報もあります。

ただ、仏教で言えば小乗とあだ名される上座部にあたる性格をもつクムラン宗団にたいし、神によって誰でも救われるとみる大乗にあたる運動に踏み切ったのがイエスとパブテスマのヨハネだったという説もあるのです。

この説によれば、イエス派と先に殺されたヨハネの一派から合流した人々によって、エルサレム教団が形成されたことになります。

イエスの教団はイエスの死後、直弟子たちによって引き継がれていきます。

そしてまた、エルサレム教団には、異教徒になっていた人々からの参加も増えていきました。

改宗者がエルサレム教団の少数派だったころは、彼らは積極的に本格派ユダヤ教徒になろうとしました。

ところが改宗派が増え始めると、ついてこれない人も増えます。

ついてこれない改宗派の人々をあつめて、いわば初級者集団ともいえる団体が作られます。

これが、アンティオキア教団と呼ばれるようになる集団です。

エルサレム教団は、ユダヤがローマ帝国と戦うとき、忽然と姿を消し消息を絶ちます。

ローマにピエトロ大聖堂を持つローマカソリックは、ユダヤ教の風習を引き継いでいないにもかかわらず、エルサレム教団を引き継いだといっています。

わたしは、ローマカソリックはアンティオキア教団の流れではあっても、エルサレム教団の流れではないと見ます。

仮に、エルサレム教団員が居たとしても、少数だったはずです。

敵前逃亡したとして、戻れる筋合いではないでしょうから。

また、アンティオキア教団からもユダヤ教の風習にこだわるエルサレム教団はうっとうしかったでしょうから、アンティオキア派に鞍替えしない限り戻るすべはなかったでしょうね。

また、東方正教会の流れも、どこまでユダヤ教の風習を引き継いでいるかは疑問です。
ローマカソリックよりは、民族宗教的でしょうけど。

なお、エルサレム教団についてはさらに東へ向かい、ついには日本について神道と混交してしまったという人もいるようです。

何しろ日本先住民の流れを汲むはずのアイヌについても、古代イスラエルと極めて似通った生活文物や文化を持つという声があるくらいですから。

covacova 2010/09/08 21:32 プロテスタントは、聖書だけみていればいいという発送からして、アンティオキア教団的といえるでしょうね。

アンティオキア教団は、基本的にユダヤ教の風習にとらわれずにイエスの言葉と聖書(旧約)にだけ従えばいい集団でしたから。

ywrqaywrqa 2010/09/09 17:51 よく分かりました。ありがとうございます。エルサレム教団のことは
それほど知りませんが、とりあえず実質ユダヤ教ということであれば、
諸々の祭式を執り行う際、ユダヤ暦を使っていたでしょうね。その場合、
たとえば、アブの月の9日(日本の暦で言うと「8月9日」に当たる)などが、
何らかの形で重視されるはずです。そういう痕跡があれば、面白いですね。

>この日はユダヤ人にとって大切な日であります。 
>第一神殿、第二神殿共に、この同じ日に崩壊されました。
>この日はユダヤ人宗教家は一日断食をし、神殿の崩壊を想います。
(http://israeltour-tamar.blogspot.com/2010/07/blog-post.html)

#とりあえず、古事記の場合は、「8月9日」という月日を、
#雄略天皇の崩御日として記している(即ち特筆している)。
#また、崩御した年齢を「124歳」と記している。メモ書きとして…

2010-06-30

於姓「日下」謂「玖沙訶」(ܚܫܘܟܐ)

18:01 |

 古事記において、「闇」という文字は、10箇所に出てくる。そのうちの3箇所は、「天石屋戸」の場面(天照大御神が天石屋戸の内に隠れる場面)であり、残りの7箇所は、実のところ固有名詞中である(以下に列挙)。


  【上巻】天之闇戸神、国之闇戸神、闇淤加美神、闇御津羽神、闇山津見神

  【中巻】沙本之大闇見戸売

  【下巻】なし


 古事記中、「闇」を含む神名が5つ。「闇」を含む人名が1つ。つまり、古事記に登場する人間で、名前に「闇」を負うのは「沙本之大闇見戸売」のみ。少なくとも人間の範囲では、「闇」と言えば、「沙本之大闇見戸売」なのである。このことは重要だろう。その「沙本之大闇見戸売」の子の「沙本毘古王」が、「日下部連」の祖とされるからである。古事記というテクスト上、「闇」の子が「日下部連」の祖とされるのである。


  ・《母》 沙本之大闇見戸売……「闇」を含む唯一の人名

  ・《子》 沙本毘古王……日下部連・甲斐国造の祖


 古事記の序文に、「亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帯字謂多良斯、如此之類、随本不改。」とあることから、「日下」は「玖沙訶」と訓む。一般に、この「玖沙訶」は倭訓と捉えられる。しかし、「クサカ」という倭語は知られていない。

 その一方、シリア語の「XΣWKA」には「dark」(adj.)や「darkness」(n.)の意味がある。「玖沙訶」という音仮名表記は、「XΣWKA」に対するものである。そう考えてみると、「闇」(XΣWKA)の子が「日下部連」という系譜上の位置づけも非常に合点が行くだろう。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


(補足1)

 「天石屋戸」の場面を見ると、まず地の文に「高天原皆暗、葦原中国悉闇。」とあり、その後、発話文に「因吾隠坐而、以為天原自闇、亦葦原中国皆闇矣、」とある。訓字として「闇」と「暗」は通用されており、これらは「dark」(暗い)の意味と見てよかろう。


(補足2)2011年5月5日

 上代文学の学問分野で、雄略記に出てくる「日下」が何処かということが問題になっている。いわゆる日下越えが、どのルートかという問題である。暗峠(くらがり峠)を越えると、現在の枚岡神社のあたりに出て、現在の日下には出ない。しかし、そもそも「暗」は「XΣWKA」(日下)と訓める。暗峠は日下峠なのだ。したがって、このルートが日下越えと考えてよい。此処からならば、「シキ」方面の古墳がギリギリ見える(実際に見て確かめた)。


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