「いじめ」は子供の行為である。

大人が「いじめ」をするのはみっともない、とか、大人は「いじめ」をしない、という意味ではない。分別の無い子供がする行為だからこそ「いじめ」なのである。大人がすれば、嫌がらせか犯罪であろう。

suVeneのあれ: tinycafe氏とはてブの続き (リンク先間違い修正)

言及記事に対する異論はない。別の切り口を書いてみたくなっただけである。

tinycafe氏に対するはてブの反応は、「いじめ」ではなく「嫌がらせ」と考えるべきではないか。この場合、ブックマークをした個々の動機によって「嫌がらせ」か否かを判別するしかないように思う。
この視点で云えば、「嫌がらせ」が無かったとは思われない。が、それをはてブ全体の反応と捉えるのはやはり短絡的であろう。


私は、例え相手が嫌がる行為であろうと、その必要があれば行う。ただし、その必要性を吟味しなければならないのは、当然のこととしてである。
また、自分が嫌なことを他人に禁止するのにも、社会的な妥当性は必要であろう。

私は納豆が嫌いである。人が食するのを見ても嫌な気分になる。だからと云って、私の目の前で納豆を食べるのを禁止する気は毛頭ない。

「相手の嫌がることをしない」というのは子供の躾であり、大の大人が拠って立つべきものではない。無論、嫌がることをしてもいいというのではない、そんな低レベルの禁止の価値を殊更高めるべきではない*1ということである。


言及記事の著者を含め、はてブの反応に対して不快感、違和感を感じた方がいるようである。何となく解る気がするのだが、その方達も一様に「tinycafe氏の言い分は間違っている」と考えているようなのは面白い。
「いじめ」というより、「弱いものいじめ」に見えたのではなかろうか。

*1:禁止を侵犯することは快楽である。