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のら犬作戦(1963)戦争の娯楽化

映画 98分 製作・配給:東宝 公開:1963/09/29
監督:福田純 製作:田中友幸 脚本:関沢新一 音楽:團伊玖磨
出演:
佐藤允(雪旭斉勝々・手品師)主人公・さすらいの軍慰問の手品師と称す正体不明の日本人、その正体は新大隊長の大佐であり、自軍のお忍び視察であったというオチ
三橋達也(軍医・籔田大尉)善玉、軍医で赤木指揮官の命令を聞かず勝手な行動をとり、大隊長殺害と阿片のありかの真相に迫る
夏木陽介(祭文礼・中国軍閥王虎軍)善玉・中国人だが日本軍を敵視せず、仲間うちの阿片争いに乗じて、主人公らと意気投合する善玉
藤木悠(大門一等兵)善玉・阿片のありかを知り、密かに盗もうとする小悪党、ばれたので主人公らに側につく
団令子(王白洋)善玉・中国軍閥長の王虎の娘、父の阿片中毒の為後を継ごうとするが、悪役の副官の李に邪魔され、結果的に主人公らに協力する、日本軍を敵視しない
平田昭彦(赤木中尉・大隊長代理)悪役・大隊長不在のための臨時指揮官。実際は阿片のため大隊長を殺した悪人、所在不明の阿片を探す
田島義文(倉野曹長)悪役・赤木指揮官と同行する悪役
堺左千夫(李・中国軍閥王虎軍)悪役・王虎軍の副官だったが乗っ取りを画策、同時に日本軍の阿片を入手しようと戦争などせずに、阿片探しをする
田崎潤(偽の後任大隊長・浅岡少佐)終盤現れる後任の大隊長、実は主人公の命令をうけた偽者

感想

戦争を舞台に娯楽劇を作ったもの、戦争の歴史的意味を奪うこと、戦争のイメージを歪めること、日本軍の中国人への行為を隠蔽し歪める事などの点から貶されるべき作品。アクション中心の娯楽劇としてもスケールが小さく意外性にも欠け、激しい戦闘シーンなどなく中盤の中だるみなど出来が悪い、下の上。
 「独立愚連隊」シリーズの第6作目。物語は独立しているが、中国奥地の日本軍の占領した小さな村で、日本軍と中国ゲリラ(軍閥・匪賊)が対立するという設定は共通のものだ。中国の村のオープンセットが組まれ、日本軍の姿や挙動、言葉遣いなどは、史実に沿ったもので比較的リアルである。又売春婦である日本人女性の集団が登場する(朝鮮人慰安婦であるかもしれない)。中国が舞台だが中国人民衆はほとんど姿を見せず、主人公も見た目は中国人でも物語上でも中味は日本人である。敵対する中国軍は、軍閥が勝手に日本軍と敵対しているとの設定で、共産党軍とも国民党軍とも関係がない、またそうして戦争全体の推移に関する台詞はまったくない。
 アメリカの娯楽的戦争映画は、戦闘をスポーツのように、死の危険性や深刻さのない、勝利のすがすがしさだけのアクション劇だが、この映画は戦闘自体がほぼなく、戦場を舞台に日本軍と中国軍閥の幾人かが、個人的に敵対し最終的には殺し合うというものであり、戦争はまったくテーマになっていない。現実の場を借りての、架空の娯楽的物語という意味での西部劇的と言えるだろう。
 冒頭中国軍閥が日本軍の駐屯地を包囲する場面があるが、戦闘は起こらず、以降も戦闘場面はない。対立は隠した阿片をめぐるもので、個人的なものにすぎない。そして主人公らの台詞や音楽に娯楽性が強調され、意図的に上官の命令を無視するような行動があり、いかにもつくりものの感がある。戦闘はないため中盤は主人公らが馬で移動するシーンに明るい音楽が付与されたシーンが繰り返され退屈だ。物語を牽引する阿片の謎は小さく、アクションも少なく見所があまり作れておらず、娯楽映画としても出来は悪い。中国人女性は登場するが、色っぽいシーンも恋愛もなく、あまり意味はない。
 出来の悪い戦争舞台の娯楽映画、戦争の形骸化・歴史的事実からの忘却促進という悪い意味しか見当たらない。