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海はふりむかない(1969松竹)恋愛の情愛結果は被曝者の死

88分 製作・配給:松竹 公開:1969/09/17
監督:斎藤耕一 脚本:星川清司 音楽:服部克久
出演:
西郷輝彦(礼次)主人公、外人相手の案内してるフーテン、体の悪い美枝を好きになり更正して結婚しようとするが、失う
尾崎奈々(美枝)主人公、被曝者の娘、昭和23年生まれ、白血病で体の調子が悪い、礼次の兄と恋愛したがふられそれがきっかけで礼次と知り合い愛し合う、広島を訪問するが死ぬ
勝部演之(高志)礼次の兄、真面目な会社員、社長の娘真理子との結婚話があり美枝をふる、
夏圭子(真理子)社長の娘、ピアニスト、高志と結婚するのに賛成でないが仕方がないと思うニヒリスト
森次浩司(美枝の兄)真面目な運転手、戦後生まれ、体の調子はよい

感想

恋愛ドラマの結末が被曝者の突然の死で終わる定番的な恋愛悲劇、人気歌手を起用し、ドラマの悲劇性よりも一種の決まり物として、歌や車を多用するなどして興行用の見世物として製作している、下の上。
 主人公は西郷輝彦で公開当時は大人気の歌手である、恋人が原爆で突然死ぬというドラマは大ヒットした先行作(「純愛物語」1957年)などを明らかになぞったものであり、被曝者の描写はほとんどない。特に本作では死ぬ被曝者は昭和23年生まれの被曝二世であり、映画内でも原爆による影響か否か不明だと医者は言う。
 物語は自由奔放な主人公が、純真な少女と出会い、体の悪さから同情から恋愛そして結婚に至るという青春映画・恋愛映画である。強調されているのは、社会からはみ出した主人公と、会社員の兄や、大会社の社長の娘でピアニストの女性との対立であり、自由を大事にし反社会的な若者と、かしこまった縛りの強い社会という形になっている。演出はこれを歌と車を多用し、スタイリッシュに(格好良く)見せるよう工夫され、フランス映画「男と女」(1966年)を真似ている。
 全体に主人公の人気を当てにした、内容のない映画で、一時にだけ観客を集められればよいという意識が感じられるもので、現在では評価できる部分はほとんどない。原爆ドームや平和記念資料館は背景に少し出てくるだけ、被曝者である主人公の母の登場はない。
 この映画が公開当時観客にどんな印象を与えたかは推測は難しいが、印象要因を1西郷輝彦の人気2恋愛悲劇3原爆の悲劇性、と分けるなら1が70%2が25%3が5%程度ではないだろうか?映画自体に3を印象づけるシーンはなく、観客が3を想起することを映画他から客観的に議論するのは難しい。

あらすじ

礼次は、横浜でガイドをしながら、自由気ままな生活をしていた。兄高志は、エリート・コースを歩き、出世のために恋人美枝と別れ、社長令嬢真理子と結婚しようとしていた。美枝の兄周吉は、それを知り、何とか元の二人に戻って欲しいと願っていた。やがて高志は、美枝に別れ話をした。礼次は、そんな兄に反感を覚え、美枝に同情した。そんなある日、偶然礼次は美枝と会った。そして美枝の口から、突然に原爆症らしいと聞かされるが、礼次は気にもとめず、美枝を慰めるために海へ行った。その帰途、ふいに美枝が血を吐いて、入院した。美枝をあまりに可哀そうに思った礼次は、高志に会い、見舞って欲しいと言うが、逆に高志から、美枝への同情だけかと言われ、高志を殴ってしまった。そして、その夜、礼次は真理子を誘い、犯そうとするが、美枝の事が頭に浮かび、平手打ちをくわせただけだった。一方、美枝は、短かい命と悟り、故郷の広島に帰った。周吉から、それを聞いた礼次は、同情から愛に変わった自分の気持に気づき、美枝の後を追った。そして、二人は広島でめぐり逢った。夕暮れの平和公園で、礼次は、美枝に愛の告白を受けた。二人に楽しいひとときが過ぎようとしている時、美枝が突然倒れてしまった。病院で、美枝の亡骸を前に礼次は、悲しみがこみ上げて絶句するのだった。

被曝恋愛悲劇(暫定)

「純愛もの」「原爆もの」

  • 1957.10.15 純愛物語 東映 133分 カラー
  • 1964.09.19 愛と死をみつめて 日活 白黒(病気)
  • 1966.09.17 愛と死の記録 日活 白黒
  • 1969.09.17 海はふりむかない 松竹 カラー

(参考 テレビドラマ)

  • 1962年7月30日 NHK テレビ指定席『純愛物語』 出演:八代駿、十朱幸代、中村雅子、原田甲子郎 演出:古閑三千郎
  • 1965年10月8日 TBS 近鉄金曜劇場『愛とこころのシリーズ 純愛物語』 出演:前田吟、刈屋ヒデ子、北沢典子、林昭夫ほか

参考

片岡佑介(一橋大学)1960年代純愛映画にみる被爆(者)表象と恋愛結婚イデオロギーの構築
https://www.repre.org/conventions/10/10193060/

今井正『純愛物語』(1957)を嚆矢とし、1960年代には若い男女の恋人のいずれかが原爆症を発病し離別するという定型的なプロットを持った映画が製作され始める。この「純愛映画」では、「原爆乙女」やケロイド、白血病原爆ドームといった被爆(者)表象がパターン化されるとともに、当時流行した白いエプロンや団地のショット、そして登場人物が交わす結婚の約束を通じて、恋愛結婚が理想化されている。胎内被爆被爆二世問題が喧伝されていた当時、現実の被爆者は遺伝を理由に結婚差別を被ることがあった。その被爆者が、純愛映画においては一方で恋愛結婚イデオロギーを促進させ、他方そこから排除されるものとして構成されていることを、メロドラマ映画研究、および恋愛結婚と優生思想の結びつきを検討した社会学の著作を手掛かりに検証する。
次に、吉村公三郎『その夜は忘れない』(1962)や若松孝二『壁の中の秘事』(1965)など、バーのマダムや団地妻がヒロインを務める作品において、純愛映画の形式が踏襲されながらも恋愛結婚の理想が破綻していること、ならびに鏡像による声と映像の分離などの試みを通じて典型的な被爆(者)表象が問い直されていることを確認する。以上の作業によって、1960年代の純愛映画における被爆(者)表象と恋愛結婚イデオロギーの構築および逸脱を明らかにし、その意義を原爆映画史の文脈で考察することが本発表の目的である。