遭難事故の話と カシオの腕時計。#jmga_wsdf20

 先月屋久島で起きた遭難事故は 流石全国版のニュースだっただけにお客さんによく質問をされる。
 最も単純に言ってしまうと 時は梅雨時、屋久島名物の大雨が降り増水により寸断された登山道を渡ろうとした登山者と、それを助けに向かった引率者の二人が流され死亡した事故。
 手痛いのはその場所が一般登山者向けではない、入り口に立ち入り禁止という看板のぶら下がったロープが張られた登山道に入り込み、さらに目指していた登山道とは違う 林野等の行政関係者が使う作業用の登山道に意図せず迷い込んだ先での事故だったという事だ。
 

 まぁ、「一般登山者」をどう定義しようが、屋久島の国有林内で特に法的に立ち入りを規制された場所があるわけではないので「立ち入り禁止」に根拠はない。ただ、このような事故事例は 自分達の都合上そこを「立ち入り禁止」としておきたい人々に大義名分を与えてしまった一面がある。
 こういった登山等における事故が起きる度に、山になぞ興味もない世間の人々から何かと禁止にすべきだ、とか 救助は全て自己負担であるべきだとか、特にネット上には他者の権利とそれに対する寛容さを完全に切り捨てた意見が溢れる。
 そのような意見で世の中が動くとすればそれは悲しい事なのだが、登山者とは決して世の大多数ではない。登山の醍醐味ともいえる「自由」と並行してよく語られる「自己責任」の「自己」とは、ただ一個人に終始するものでは、どうやらすでに無くなりつつあるようだ。


 事故を起こした登山者グループは、犠牲者となったリーダー格の方の献身によって成り立っていたようで、ホームページの掲示板には感謝と追悼の言葉が並ぶ。ただ、事故の報告書を読むと「大ベテラン」等というリーダー格の方を賛美する言葉を見るにつけ、心に冷える物がある。
 道迷いが無かったとして、当初から予定していた下山ルートにも渡渉点があり、生き残った他メンバーが下山に選んだルートもまた渡渉点のある/事実2015年7月に死亡事故が起きたばかりの場所だった。報告書には事故の起きた沢の沢登りにおけるグレード{当然増水時には何の目安にもならない}が参照されており、「不運」の言葉が躍る。
 ・・まぁ弱り目の方々をあまり叩くのは本意ではないのだが、故人への賛美にとらわれると、経験として後に活かし切れないのではなかろうか。


 「大ベテラン」
 「○○さんと一緒なら」
 「○○さんなら登れる」
 こういった賛辞の言葉というのは困ったもので、言う側は意図してかどうか「連れていく側」という重荷を相手に、自分は「ついていく側」という楽な立ち位置に簡単に据える。
 とにかく楽に登山がしたい人、自分が主体でなければ耐えられない人、色々な人で利害が一致しさえすればそれでその場は良いのだが、登山にまつわる色んな能力というのは主体性が無ければ身につかないものが多い。「連れて行って貰う」役回りは、力強いリーダーが身近にいれば尚更に抜け出せず、体質化してしまう。
 そしてリーダー役は 「ほめ殺し」という言葉が世にあるように、酔いしれてロクなことがあるもんではない。{まぁ、酔いしれる事そのものの幸せさも解るけど。}


 
 ある程度上の年代の「ヤマヤ」さんの中には、すごく肩肘を張ったなんだかすごく偉ぶった態度の人が多かったように思う。
 それは確かに偉かったのかもしれない。足に合いもせず重い登山靴を修練と根性で何とかし、装備はいちいち重く、リュックに荷物を詰める事さえ結構な技術が要った。ラジオを聞き天気図を書き自分で予想立て、1ドル300円以上の時代にはほぼ「天竺」と同義語だった「ヒマラヤ」を目指し・・・“山”とは相当な努力と根性と時間を注ぎ込んだ「特別な人」のためだけの場所だった。
 時代は流れ、色んな事が変わったもので。
 装備、山への交通機関、そしてインターネット。技術の進歩は「山ガール」なんてな言葉を生み出すまでに山の方が「普通の人」に対して近づいてきた。
 そりゃぁ今でも地図は読めた方が、天気は変化の原理を知った方が、答えに至るまでのみちのりや 便利な道具が潰れた時のアナログな対処方法は知っていた方が絶対に良い。{絶対量は減ったにせよ}必要十分な体力が何にせよ要るのも変わらない。
 けど例えばあの頃、「カメラは機械式の方が良い!電池が無いと動かんなんて信頼性に欠ける!」なんて言っていた人が今もフィルムで撮ってるかというとそんな事も無い様に、技術の進歩はそのデメリットを凌駕するメリットを生み出し続ける。
 多くの人が楽しんでいるレベルの登山においてはもはや、「リーダーとフォロワー」なんてな人間関係は時代遅れとなりつつあるのかも、知れない。



 日本山岳ガイド協会{JMGA}経由でカシオのGPS内蔵腕時計WSD-F20のモニターに当選した。
 今もガーミンの単体GPSは持っているのだが、腕時計に入ってくれたら小さいじゃないの見やすいじゃないの良いじゃないのくれるんでしょ?と応募してみたら貸してくれるだけだった。無念。
 箱を開け、さっそく充電。

 GPSが一般化し始めた頃は、「GPSなんてのはアメリカ軍の機嫌一つでどうなるもんだかわからんから」信頼に足らんという人が多かった。
 これまた機械式カメラの話と同じように、あれよあれよと世の色んな物がGPSを頼り始め、突然無くなると色んな大混乱が予想されるまでになってきた。
 「今さら流石に大丈夫でしょー?」
 とは思うが、GPS自体に対する「機械に操られるようで嫌だ」、「自分の能力でやってる感じがしない」とかそういうアレルギーもよく聞く。丁度カメラも色々自動化していく時「撮らされてる様だ」とかそういう話、あった。
 初登だとか新ルートだとか、一般的登山者にはほぼ無関係な世の中。
 どうやっても良いでしょ?、何より安全に行きたいとこ行って楽しんだ者勝ち。便利な物拒否するこたーないぜ。
 ウェーイウェーイ

 ・・・・・・・
 〇俺嫁共に、持ってんのガラケー。{だって移動=自分運転、家帰ればパソコンあるしの田舎暮らし、スマホ見る暇ないんだもん}
 〇アンドロイドのタブレットは持ってるんだけど、画面割れて修理中・・
 〇もいっこのタブレット、アマゾンKindle Fireではアプリがなく。
 〇パソコンにエミュレーター入れてアプリ開いてもBluetoothが繋がらず・・・

 

 スマホ/タブレットにペアリングしないとひとまず時計としてすら活用できないとは。

 
 ・・・・カシオさんすんません、僕が時代に追いつくまで、ちょっとレビュー待っとって!