今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ヒトラーと戦った22日間


戦後70年以上経った今でもまだ、当時の知られざる真実がこうして映画となって広く明かされていく。この実話を元にした物語の主人公は、長くその名を知られず、齢80にならんとするまで、その英雄的行為は知られていなかったという。


原題の「ソビボル」は映画の舞台となった収容所の名前。今でも、収容所近くの土地にこの地名が残るそうだ。


ヨーロッパの地名には暗い私にはまるで聞いたことのない場所(ポーランドだそうだ)だが、その収容所では何十万ものユダヤ人がガス室に送られた。


昼夜を分かたず、一日中煙を上げる煙突。ガス室に送られた人々の遺体が灰になっていく。


当時のユダヤ人たちは、ユダヤ人排斥の政策を推し進めるナチス政権の横暴をどう捉えていたのか。情報をいち早く知ることができ、生活に余裕のあった人々は、早々と国外に逃げ出すことができたのかもしれない(実際にそんな映画を観た)が、やはり、最後に残されるのはどこにでもいる普通の人々だ。


毎日を精一杯生きてきた人々。


収容所での先の見えない日々。終止符を打ちたくとも、その先を知ることはできない。ミンスクの収容所から転送されてきた元ロシア兵のユダヤ人が、兵士として戦った経験を活かし、収容されている全員での脱走を計画する。


彼らの命をなんとも思わないドイツ兵。逆らう者、役に立たないと判断した者にはなんの躊躇いも無く引き金を引く。人に上下の差があるかの如く振る舞うドイツ兵たちに絶対に共感はできない。


そんな生き地獄を抜け出すために仲間を募り、武器を集め、収容所で暮らし始めて22日目に彼らは決断する。脱走が見つかれば、当然殺されるが、収容所に留まったところで、生き残れる保証など全く無い。留まるより逃げ出す道を選んだ。


監視役の兵士たちとのやり取りはどれも緊張感いっぱいだ。一言選ぶ言葉を間違えば、その場で命を奪われるピリピリとした生活に観てるこちらが疲れてしまう。


ヒトラーの「ヒ」の字も出てこない。それでも、邦題に付けたのはやはり原題では何のことやら分からないからだろう。


ヒトラーナチス政権下を舞台にした映画は往々にしてその名前を使いたがる。それはどうなんだろう。でも、細かな歴史的事件や場所を知らない異国の人間にはそれも1つのメッセージなのか。。。


今まであまり描かれてこなかった収容者の反乱と脱走。語り継ぎたくとも、多くの犠牲者が出て、生き残った人が圧倒的に少ないのだ。そんな恐ろしい時代だったのだ。


もうすぐ公開。新たな視点を持った描き方による「当時」。そうした歴史を知る意味で、1度ご覧ください。