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ザウエリズム 【Zawerhythm】 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2001-04-26-木

[]「医師国家試験」-0418- 「医師国家試験」-0418-を含むブックマーク 「医師国家試験」-0418-のブックマークコメント

 一日20時間労働でも、医師は労働基準法の適応除外だから違法ではないのですけれど、よくよく考えると、僕はまだ医者じゃないのでした。忙しさの中で、別段気にもかけていなかった医師国試の結果が、やはり当日になると気になるもので、厚生労働省で発表されるという午後2時前後には、病棟業務どころじゃなくなっているのでした。学生の国試委員と教務の人間が、合格者名簿を閲覧し、大学まで流すとは言っても、そのタイムラグは嫌なもので、まだ仕事の始まっていない同級生の幾人かが、さいたま新都心まで出向くと言っていたのを思いだし、数人に僕の受験番号45番を確認してもらったのでした。

 全国的にどうだったのかとか、新しい厚生労働大臣が誰なのかとか、そんなことはよくわからないまま、とりあえず病棟で時間をもらって保健所まで歩き、無事、医籍登録の手続きを完了致しました。

 どうにかザウエル、合格できました。医師免許は医籍に登録された時点でこれを為すとかいう法律があるので、厳密には医籍登録まで待たないと無職だし、大学の採用が6/1付けなので、書類上はもうしばらく無職です。でもこれからは、もうすぐ消える医者見習いではなく、堂々と外科のザウエルだと自己紹介できるのです。

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2001-04-22-日

[]「採血係」-0417- 「採血係」-0417-を含むブックマーク 「採血係」-0417-のブックマークコメント

 旅行記も中途半端なまま、韓国へと旅立ち、「メッチュチュセヨー(ビール下さい)」とか言いながら、毎日焼き肉ばっかり食べていたのですが、どうやらなし崩し的に仕事が始まってしまったのです。月曜日に大きな手術に関わる、と言ってもまあ末端に関わるんですが、そのためのカンファが金曜日にあり、外の大学からの新人もやって来ると言うので、その日から病棟に行っているのですが、そのまんま土日も当然勤務です。身分上は5/31まで無職のままなんですが。

 昨日は昨日で、まだ仕事の始まっていない同級生からの電話に誘われ、学生時代を過ごした軽音楽部の新歓の飲み会とやらに中途参加し、結局2時半くらいまで飲んで、ちょっと寝て日曜出勤ですが、もっとハードに働いている同級生もいるわけで、人間やってみれば結構どうにかなるものだと思うのですよ。

 重要な事を言っておけば、国家試験の合格発表がまだなのです。そんなわけでそのうちヒマになるかも知れないです。教授は「もし落ちた場合、それを別にマイナスにはしないで、もしかすると逆にプラスになるかも知れない方向性として、研究という道がある」とかおっしゃっていましたが、聞こえないふりをしておきました。

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2001-04-15-日

[]「フランストルコ旅行記2」-0416- 「フランス・トルコ旅行記2」-0416-を含むブックマーク 「フランス・トルコ旅行記2」-0416-のブックマークコメント

 4/6(金)、どうも今回の旅の同行者はあんまり自分を強く主張をするタイプではなく、旅行についてこれといって希望は言わないのでした。のんびりと住むようにフランスを楽しむということを望む風でも無かったので、ミーハー的にエッフェル塔に登るとか、今年の6月には取り壊される予定の、コンコルド広場のミレニアム記念の観覧車に乗るとか、そういうことをすすめてみたのでした。

 僕はエッフェル塔には一度登ったことがあったので本気でどうでも良かったのですが、まあとりあえずエッフェル塔へ向かい、混んでいるエレベーターを避け、20フラン払って階段で展望台まで昇りました。階段を昇って疲れた僕は、観光地価格は我慢して、エッフェル塔の展望台内のカフェで、最近日本でも人気だとか言うフランス名物「クロック・ムッシュ」で軽い昼食をとり、コンコルド広場の観覧車へ向かいました。

 それは、日本の観覧車のように、ゆっくり回っていてその場で乗り降りするものではなく、高速で回転させながらたまに止めて客を一部入れ替えるというよくわからない方式でした。別段混んでいたわけでもなかったので、係員も気を利かせてくれてもよさそうなのに、前に並んでいた英語を話すカップルと、我々二人は、多少別にすることを主張するも4人で一緒に乗せられてしまい、なんとなく微妙なムードの中、パリを展望するのでした。

 夜は最初生ガキを食べようと思ったのですが、時期も微妙なのと、たまたま品切れだったことから、エスカルゴソースで調理したものとサーモンを食べ、フランスの最後の晩餐としたのでした。同行者は食事は普通にとり、ビールも人一倍飲んでいたものの、何となく体調にかげりを見せていたのでした。

 4/7(土)、朝早く起きてホテルの朝食を慌ただしくとり、シャルル・ド・ゴール空港からエールフランス機で数時間、イスタンブールへ向かいます。フランスは春のバカンスの到来という時期で、トルコへバカンスで移動するパリジャンたちで一杯でした。イスタンブールでの宿は、ヨーロッパサイド、新市街のタクシム広場にほど近いラマルティンというホテルで、4つ星らしいのですが、シャワーのホースや良くはずれたり、洗面台の排水がすぐいかれたり、微妙な高級感が漂うのでした。

 到着日の為替レートは、1US$がおよそ117万トルコリラで、面倒なのでトルコリラから0をみっつとったら日本円という感覚で行くことにしました。トルコは年間65%というすさまじいインフレで、毎日レートがかわるらしいので、とりあえず50$しか両替しなかったのですが、絨毯を買いに行くとか、高そうなレストランに入るとかいうことをしない僕には、そのお金もなかなか減ることが無いのでした。

 同行者はホテルに着くなりとりあえず休むと言い、まだサマータイムの夕方で、明るいイスタンブールを一刻も早く味わいたい僕は、少々悪いかなとは思いつつも、賑やかなタクシム広場のほうへ足を向けるのでした。他覚的にそれほど切迫したような体調不良では無かったし、まあ、大丈夫だろうとは思いました。ちなみに同行者は大学の同級生で、仮にも医学士の学位を持つわけで、少なくとも素人では無いので、ある程度の自己管理はしてもらえるだろうとも思ったのです。まあ一応、水などを買い込み、早めにホテルに戻りました。

 とりあえず食欲はあるようですが、咳はひどくなっていました。ある程度大きなホテルだったので、フロントにきけば咳止めくらいもらえるだろうとも思ったのですが、とりあえず持参の解熱剤で大丈夫だと言うので様子を見つつ、トルコ初日は、早めに食事をとって寝ることにしました。ドネルケバブと呼ばれる、肉の固まりを回転させながら焼き、こそぎ落として食べるトルコ料理があるのですが、それをパンに挟んだものを買って歩きながら食べ、まあ、まだ数日あるからと、最初の晩餐はそれで終わりでした。まだ相場が分からないときに買ったこれは、100万リラだったのですが、その一画は観光客が多いために高めの並びで、もっと引っ込んだところには40〜60万リラくらいのケバブチ(ケバブ屋)が並んでいたので、いきなりふっかけられたようですが、まあ、仕方がないでしょう。

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2001-04-14-土

[]「フランストルコ旅行記1」-0415- 「フランス・トルコ旅行記1」-0415-を含むブックマーク 「フランス・トルコ旅行記1」-0415-のブックマークコメント

 旅をするならやっぱり食べ物お酒が美味しいところがいいなと思うのです。子供の頃はよく分からなかった、旅行先での食べる楽しみと飲む楽しみ。それを知ってしまえば、有名な寺が無くても美味しいお酒があるだけで、旅行の目的になりうるのでした。

 卒業旅行、と月並みに言ってしまえばそれまでですが、人生最後の長期休暇、同級生と旅行をしてきました。最初は他学部の人々とキューバに行こうなんて言っていたものの、いろいろあって流れ、適当な計画の元、エールフランス利用でフランストルコ10日間の旅行に行くことにしたのでした。

 4/3(火)、ちょうど一年前くらいにアメリカ旅行をしたときには、前日というか朝まで飲んでいて、荷造りもままならず、靴下を空港で買ったりしていた僕でしたが、今回はちゃんと荷造りしました。いつもはスポーツバックに服を詰めていましたが、旅先で簡易でも鍵がかかることが便利だということや、どうせ今後学会とかで移動するときに使うだろうということで、スーツケースも用意し、最寄り駅からバスで3時間半かけて成田へ向かうのでした。この時点で既にパリイスタンブール間くらいの時間がかかるのが田舎の宿命です。そんなわけで、いずれにせよ空港はどこも遠いので、僕には国際線が羽田から飛ぼうが成田から飛ぼうが些細な違いです。

 まあ、つつがなく搭乗手続きを済ませ、珍しく持参した旅行ガイドブックや会話集などで一応予習。そういえば、なんの計画も立てていないのでした。十何時間のフライトを終え、パリ市内のホテルに到着は現地時間の夜。北駅のほうへ散歩がてら、水などを買い込み三ツ星ホテル、メトロポールの52号室へ引っ込んで就寝です。エールフランスの乗務員にしても、外国人利用者の多いホテルのフロントにしても英語より先にフランス語が飛び出す国民性には、当然フランス語で返事がしたくなるというものです。「エクスキュゼモワ、ムッシュー。サンカントゥ・エ・ドゥ、スィル・ヴ・プレ?」「コンビヤン?」「サンカントゥ・ドゥ。メルスィ・ボークー」なんてどうでもいいやりとりでも、自分の現地語が通じることが確認できるのは嬉しいものです。

 4/4(水)、航空券とホテルのパックをHISで手配したら、パリイスタンブールそれぞれに半日観光がついていたので、まあ、ついているものは利用させてもらいます。近くのメトロの駅まで歩き、カルネと呼ばれる回数券を購入し、HISの現地事務所そばの集合場所へと向かいます。だいぶ早くついたので近くのカフェで時間を潰し、その後エッフェル塔をバックに写真を撮ったり、工事の終わったノートルダム寺院を見学したり、凱旋門バスの窓から見たりと、かつてパリを訪れた時にもまわったようなお決まりのコースを昼過ぎまで回りました。最終的にプランタンデパートで解散、自動的に免税店に誘導されて、買い物をすすめられるのはいつでも一緒です。

 とりあえず買い物の予定も無いので、食事をとろうと街を無駄に歩き回った挙げ句、どこを覗いても一杯なのであきらめて、結局プランタンに戻って、デパートのレストランで食事をしました。鶏肉とポテトフライの盛り合わせのようなものとビールで一息。ステーキもしくは鶏肉とフライドポテトというまさに僕らが食べたようなそれは、フランスの一般的な食事らしいですが、日本でも食事の欧米化がすすむ昨今、別段珍しいものでも、特別美味しいものでもないようです。

 その後オペラ座の中を見学したり、凱旋門の間近へ行ったりと、世界中のお上りさんがやりそうなことをひととおりやってみました。同行者が、ヴィトンで買い物をするというので、凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩いて本店へつき合いましたが、特に買い物もしない僕はヒマで、結局先にホテルに戻ってそこで落ち合うことにしました。メトロなどを利用すると言っても、旅行中はやはり普段の生活よりはやたらと歩きます。やや疲れ気味でホテルに戻り、しばし休息、その後連れを待ち、賑やかな北駅の前のビストロレストランをうろうろした後、そのうちの一件でコース料理のようなものを。汗もかいたのでとりあえずビール。その他ソーセージスイスチーズなど。フランスと言えばワインのイメージが強いですが、どこのカフェでも複数の生ビールを置いていて、カウンターで中ジョッキを空ける現地の人はかなり多いようでした。飛行機の中ではさんざんワインを飲んだことなので、とりあえず実質初日の観光は、美味しそうなビールで締めたのです。

 4/5(木)、フランス名物はワインストライキ。先日の半日観光で、ガイドから、「もしかすると明日、メトロのストがあるかも知れない」という情報を得ていたものの、とりあえずメトロの駅に向かってみると、まあ、普通に走っているようなので、これもパックのおまけでついてきた、「パリヴィジット」というメトロバスの一日券は、この日使うことにして、さらに「カルト・ミュゼ」という、美術館の共通パスも購入し、美術館巡りをする日にすることにしたのでした。とりあえずは最も有名どころということで、ルーブル美術館へ向かい、ガラスピラミッド口のほうへ歩いていくと、不自然なくらい長い列が出来ていて、しかもその列が一向に動かないのです。「こりゃ、美術館のストだよなあ」とか、最初は半ば冗談のように呟いていたのです。

 しかし、微妙にうろついている係員の「もうすぐ開ける」とか「今日は開かないから明日来い」とか「いつ開くか分からない」とかいう適当な対応と、日程的にあきらめて引き返していく、世界各国のツアー客達をみるうちに、もうこれはダメだと思い、僕も行ったことのないオルセーのほうへメトロで移動、やたらとオルセーの方からの人の流れは激しいので、嫌な予感を感じながら入り口を見れば「ストライキのため、開館が遅れます」という掲示、この非常に迷惑な行為は、やっぱり理解し難いと思いつつ「あなたのご理解を感謝します」とかいう英語・フランス語の二ヶ国語で書かれた掲示を見ながら、すでに使用日を書き込んでしまったカルト・ミュゼを恨めしく思いながら、カルト・ミュゼが使えそうな美術館ならどこでもいいからとりあえずどこかに入りたいと、祈るような気持ちで次に向かったのはピカソ美術館でした。とりあえず開いているような雰囲気だがやはり異質。どうやら一部開館で、入場制限付きらしいのですが、もうとりあえずここを見ることに腹をくくり、列に加わりました。青の時代自画像など、かつて美術の教科書でみたような絵をみることができたときには、感動というか、とりあえず安堵したのです。もしルーブルが開いていたらピカソ美術館には来なかったかも知れないことを思えばこれはこれで良かったです。

 見学を終えて出るころには、入場制限も解除されていて、「もしかしたら、各美術館、開き始めたのかな」なんて思いながら、やはり前回の旅行では行くことができず、是非足を運びたかった、ポンピドゥ・センターへ向かいました。パリ市民が、「いますぐ壊してしまいたい建物第一位」に選ぶという、そのパイプむき出しの前衛的建物は、展示物の現代美術が多いのでした。所詮僕に美術の難しいことは分からないのですが、僕が面白いと思えたり、綺麗だと思えれば、それが僕にとってのその作品の受け止め方と楽しみ方であって、それでいいのだと思うのでした。ポンピドゥはストの匂いを感じさせなかったのですが、それは訪れた時間が遅かったからなのか、ポンピドゥではストをやっていなかったからなのかは良く分かりません。とりあえず昼食をとり、期待を込めてルーブルへ行ってみると、今度はすんなり入れました。もう夕方で、さすがに今からすみずみまで見るというのは絶対無理なので、まずモナリザとミロのヴィーナスというような有名どころを押さえ、あとは僕の趣味でエジプト美術のフロアーへ向かいしばし見学をするのです。特に僕が興味を持つのはいつも言葉の文化で、象形文字の刻まれた棺や石版などに、やたらと心惹かれるのです。ちなみに、美術館とは関係ありませんが、今、一番興味を持っているのは、歴史ではなくて、現代でも象形文字を使うという「トンパ」の人々の言葉です。

 パリヴィジットは確実に元を取り、カルト・ミュゼもどうやら役割を果たせた一日。へとへとになりながらホテルに戻り、北駅そばビストロで、デキャンタワインと共に晩餐。パリの天気は変わりやすく、雨が降ったりやんだりしていたのですが、多くのパリ市民に習ってもはや傘を持ち歩かない僕たちでしたが、実際、メトロ利用などが多いと、傘は非常に邪魔だし、建物の中はかなり乾燥しているので、服はすぐ乾くのです。なんでもフランスの小学生は、傘を持つことを禁止されているそうで、それがどんな意味があるのか良くしらないのですが、その習慣が、大人になっても続くのだそうです。あまり雨に濡れることを厭わず、雨が降っても胸をはって歩いているのは、イギリス人がいつも天気の話ばかりして、どこにでも傘を持っていくのと何か関係があるのでしょうか。まあ、体が弱い人にはおすすめしません。案の定同行者はその後風邪をひく羽目になるのです。

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2001-04-01-日

[]「僕、無職」-0413- 「僕、無職」-0413-を含むブックマーク 「僕、無職」-0413-のブックマークコメント

 さよなら20世紀。僕の胎生期と幼児期と反抗期と思春期と、ゆりかごから学生時代の全てを包み込んだ20世紀よさようなら。21世紀最初の年度は、早くも咲き乱れる桜とともにやって来ました。そして僕は今日付けでめでたく無職です。

 医者関係は6月人事が多いのですが、それはきっと、医籍登録というやつが6月だからなのでしょう。国家試験合格イコール医者というわけでもなくて、「医籍」登録をすませることによって医師免許の効力が発揮されるのです。4月の終わりくらいから働き始めますが、まだ仮採用で、宙ぶらりんの2ヶ月を過ごすのです。今年から国試の問題も回収され、第一合格基準がよくわからないので、果たして自分が合格しているのかどうかもあんまりよくわからないのです。発表の日は見切り発車の職場で迎えるのです。

 卒業式後、とりあえず酒を呑んだり楽器を弾いたりして過ごしていましたが、そろそろ僕は旅立とうと思います。油断して日本にいると、医局の労働力として借り出されてしまいます。その間の病棟は、来週早々には始まるらしい、5年生のポリクリ(臨床実習)と6年生の希望実習に任せるとして、僕は親不孝にもスネをかじってバカンスです。とりあえずフランストルコ方面へ行って来ます。

 エールフランスを使うことになったので、マイレージのことをいろいろ調べたのですが、エールフランスはツアー扱いはマイルがたまらないらしいのです。今回、飛行機とホテルのパックのほうが安かったため、ツアー扱いでとったので、今回のマイル加算はあきらめるとして、僕の持っているデルタ航空系列の「スカイマイル」についていろいろ調べてみたのです。昨年アメリカ旅行の際、ツアーでも格安航空券でも100%マイルがたまるというそのマイレージ、貯まるものは貯めておこうと一応入会したのですが、明細を調べたら38,000マイルを超えていたんです。確かABロードか何かに、35,000マイルでアジア往復航空券がもらえると書いてあったような気がして、いろいろ調べたのですが、マイレージって結構分かりにくいんですね。デルタが日系と提携していないからなんでしょうか。

 一度の旅行でそんなに貯まるものかと不思議だったマイルの内訳は、実際乗った距離は15,000マイルくらいで、新入会者に1,000マイルボーナス、さらに航空券を買って使った人に10,000マイルボーナス、さらに何故か成田ポートランド間がダブルマイルキャンペーン中と、運が良ければ一回で貯まるもんなんですね。急遽ソウル往復航空券も手に入れたので、ヨーロッパから帰国後は韓国へ行って来ます。

 出入国カードの職業の欄には、見切りで医師と書いていいものか、気分的に学生と書いておこうか、あるいはやっぱり「無職」と書くべきなのか、どうでもいいことを思案していましたが、よく考えると、飛行機とホテルだけとったものの、旅行中の計画など全く立てていないことに気付くのでした。そう言えば、韓国に至ってはホテルすらとってません。

(補足:エールフランス、航空券を買った料金でマイレージの適応が変わるらしいです。帰国後、問い合わせたら加算が可能なことが判明しました。航空券の領収証と、搭乗券の半券を郵送という手段で、後から加算もできるようです-010412)

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