大野病院事件・弁護団プレスリリース

http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=7%2F21%CA%DB%B8%EE%C3%C4%A5%D7%A5%EC%A5%B9%A5%EA%A5%EA%A1%BC%A5%B9
 2006/7/21付のプレスリリース。全文は上記リンクから読めます。特に印象深い後半部分を引用しておきます。

 年間200人以上の新生児をとりあげ、年間40人の帝王切開を担当している医師が、明白な過失もなく、患者さんが亡くなったという理由で、逮捕されてしまったということの意味は大きいと思われます。患者さんが医療の途中で死亡するということはどんな治療にも内在する危険です。そもそも医療は身体の侵襲行為であり、危険を伴うものです。患者さんの持つもともとの様々な因子によって、何でもない医療行為で亡くなる可能性も否定しきれないのです。また、その患者さんの住む地域が、僻地であるがために、例えば東京に住むものと同じレベルの医療を受けることができずに亡くなる可能性は常にあるのです。

 このような医療行為の特殊性や地域の特性を考えたとき、患者の死という結果からレトロスペクティブ(後方視野的)に過失を探し、それを業務上過失致死という犯罪、例えば酒気帯び運転による交通事故で人が亡くなったときと同じ罪に問うことに疑問を禁じ得ません。 医療過誤の裁判は年々増え続け、患者さんが亡くなっている事件もかなりの数になっていると言われます。しかし、医師を起訴した論理を貫けば、全ての医療事故によって患者が亡くなれば医師は業務上過失致死罪に問われかねません。しかし、厳しい労働条件の下で、医師としての誇りと良心を支えに医療行為に従事する者に対し、このような結果は酷に過ぎます。全ての医師に神になれとわれわれは要求することはできるのでしょうか。

 そして、国の無策からきた産科医不足という現実の中で、24時間、365日オン・コール態勢の中で、身を粉にして働く地域医療の担い手を逮捕・起訴することに妥当性はあるのでしょうか。現に医師の逮捕により、大野病院の産科は閉鎖されました。住民にこのような犠牲を強いるほどに、医師の逮捕・起訴は価値あるものでしょうか。それにより国民が得るものは何なのでしょうか。

 本件の裁判は、すぐれて今日的な観点を提供するものです。医療の現状、医療の限界、医療の危険とは何なのかという、ややもすれば見過ごされてきた問題点を浮かび上がらせています。地域医療が直面する現実を知らせてくれております。そして我々に、そのような問題に我々がどう対応すべきなのかということを考えさせ、どこまでが刑罰をもって規制されるべき限界なのかというような問題点にも向き合うことを求めています。

 この裁判に意義があるとすれば、そのような問題点を認識する機会であるということですが、ただ遺憾なのは、それを医師が、自らの業務上過失致死事件の裁判という、人生を左右するような状況で個人的に担わされていることです。

 ちなみに、これまでのおおまかな流れは下記リンクを参照して下さい。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060303#p1