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ザウエリズム 【Zawerhythm】 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2014-12-24-水

[]物欲メモ 物欲メモを含むブックマーク 物欲メモのブックマークコメント

 サンタクロースもクリスマスも「何それ?」というのが当地の人々の反応です。イスラム教国でも少数のキリスト教徒がお祝いしていたりすることが多くて、自らは祝わないにしてもそれ自体は知っていることも多いのですが、当地では基本的に知らないようです。

 サンタさんが来てくれなかったら、一時帰国の間に買おうと思ってるものメモ。

聖☆おにいさん(10) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(10) (モーニング KC)

毎日かあさん11 息子国外逃亡編

毎日かあさん11 息子国外逃亡編

…当初発売日が予告されていたものの、結局延期となったガラスの仮面50巻はどうなったんだろう。またもとのペースに戻ったのかな?

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2014-12-10-水

[]トンデモ医療とか患者さん中心の医療とか トンデモ医療とか患者さん中心の医療とかを含むブックマーク トンデモ医療とか患者さん中心の医療とかのブックマークコメント

 twitterで呟いたり、別の場所で書いていたりしたもののまとめです。

【癌は放置せよというのは無責任極まりない話】

 近藤誠氏は、「そもそも癌は治らないのだから放置せよ」と言います。確かに進行癌に関しては、進行を遅らせたりはできるものの、根治は難しいものもあります。しかしながら早期癌の多くは、早期発見、早期治療でかなり高い確率での治癒が見込まれます。彼はそれをそもそも癌ではなく「がんもどき」だと言います。治ったものは「がんもどき」、癌は治らない、手術や抗癌剤は病院や製薬会社の「金儲け」だから、治療を受けるべきではなく、放置すべきだと言って「金儲け」しています。

 彼を擁護する立場からは、医療の現場では癌は治療しなくてはならないもので、治療しないという選択肢を選ばせてもらえない、治療せずに元気に一年生きるのと、副作用に苦しんで三年生きること、どちらが幸せと言えるのか、そういう意味で、「治療しなくてもいいんだ」という気づきを与えてくれる近藤氏の立場はあって良いのだ、と言います。しかし、これは全くフェアではありません。

 僕が医学生だったほんの十数年前まで、そもそも癌を本人に告知すべきか、という議論が社会問題になっていました。かつて、癌はある意味で近藤氏が言うように、見つかった時点で既に治らないものでした。そうした不治の病を告知するのはあまりにも酷だということが前提の議論でした。しかし、様々な治療法の発達で、ある種の癌は治るものになり、少なくとも進行を食い止める手段を得たことにより、告知云々の議論の時代から、告知をした上での治療法の選択という時代になりました。

 今なお、患者さんの家族から、本人への癌の告知はしないで欲しいといった要望があることがあります。しかし、あくま病気は本人のものであり、本人が病名を知らないまま治療法を選択することは不可能です。また、癌の治療はある程度大きな病院で行われることが多く、そこへ通院や入院をした時点で、周りは似たような病名の人ばかり。「胃潰瘍の手術のための入院です」なんていう嘘がまかり通った時代ではなく、よほど鈍い人以外は、自分の病名を悟ることになります。

 ほとんど告知をしなかった時代というのは、癌に対して全く手の施し用のなかった時代であり、今は「必ず治せます」とは言えないものの、いろいろな治療の選択肢のあること。その選択のためには細かな予後とかそういう話は伏せたりするにしても、まずは病名を知ってもらわなくてはならないこと。周囲に似たような病気の人が大勢いる環境で、主治医も家族も嘘をつくことはおおむね不可能だし、かえって信頼関係を損ない、ご本人もご家族も辛い思いをするであろうこと。そういったことを丁寧に説明することによって、ほとんどの方が告知に前向きになります。

 先ほども述べましたが、「癌治療医が『抗癌剤を使わない』選択肢を説明しないから近藤誠氏のように『治療中止を後押しする』勢力もあってよい」みたいなことを言う人がいます。しかし、僕はこれには全く同意できません。癌治療医が治療の選択や緩和の話もしていないというのはいつ、どこの話なんでしょうか。癌を告知しなかった時代はいざ知らず、少なくとも癌の告知があたりまえになってきた流れの中で、治療法の選択、当然治療をしないとか緩和医療の存在などを含めた選択について、癌治療医のほとんどは丁寧に説明しているように思います。それに対して、近藤氏は治療は全て無意味だという非科学的なことしか言っていないわけで、選択肢を与えてくれないのはむしろ近藤氏などの勢力です。

 別に僕たち癌治療に携わる人間は、癌治療の押し売りはしないので、治療方法の選択や、治療をしないことそれぞれのリスクとベネフィットをなるべく患者さんに正確に理解してもらった上で、最終的には自分で選んでもらっています。医療者が「癌を治療しない自由を与えない」とか「儲けのために薬を押し売り」とかいうのは大嘘なのです。

 近藤誠氏などのトンデモ論者は、癌を治療する権利も正しい知識も与えてくれませんし、最後まで癌患者に寄り添うわけでもありません。だから真っ当な医療者が批判しているというだけの話なんです。正確に転帰を理解した上で「治療しない」選択をした人には、ほとんどの病院が可能な限りサポートしています。

【医者に言われた衝撃的な一言?】

 まことしやかに「積極的な治療をしない人は診られないといって病院を追い出された」とかいう話が語られたりもしますが、これは患者さんやその家族の脳内でかなり変換されている気もしています。かといって、大学病院や基幹病院が、手術や抗癌剤、その他の治療に関わった後、患者さんを一切手放さなかった場合、当然ながらパンクするわけです。

 例えば手術をした病院で最後まで、というのは非常によくわかる心情ですが、僕の所属していた医局では、術前診断も術後フォローも内視鏡治療も手術も化学療法外科の担当でした。外科のカルテがあると、風邪だろうが肺炎だろうが(まあ手術に起因するものもあるのだけれども)外科受診ししばしばそのまま外科に入院となりました。

 外来も病棟もパンクしているし、急性期とそれ以外をわけている国の政策もあるし、初診の段階や、手術説明の段階から、「落ち着くまでは大学で、その後は関連病院で」といった説明を根気強く続けていても、ゴネ得というか、病院を移ることを拒否し続ける患者さんが結局大学に残ることになります。

 そうした患者さんが、術前患者さんを入院させられないくらいに大学の病棟を埋め続けたりする場合、やはり施設を移って頂くお願いはすることになります。しかしながら「勝手に探せ」とは言わないし、福祉なり保険なり、関連病院のコネなり、場合によっては外勤先を提示したりと落としどころを探っています。

 自分の外勤先に転院させた場合は、外勤時に顔を出したりもするし、なるべく「全く知らないところ」への転院のストレスを減らす努力はしているのです。できれば、術後早期から紹介病院、あるいは自宅近隣の関連施設やそれに準ずる病院へ通院して頂き、大学以外にバックアップできる施設をつくれるよう誘導しています。

 それでも転院のすすめ自体が「追い出された」みたいな話になることはよくあって、一度まとまっていた話が、会ったこともない親類が怒鳴りこんできて白紙に戻るみたいなこともよくあるのです。ソーシャルワーカーでもなんでも関与して頂ける方は総動員して調整するわけで、「勝手に転院先探して出て行け」とはまず言っていませんし、現状無理強いできません。診療報酬削られ、病院中から主治医に転院のプレッシャーを与え続けられるというのが現状です。病院個々の問題というよりは、国の施策の問題でもあり、大病院一極集中の問題でもあります。

 そうした現状からも「終末期の患者さんの自宅退院の希望を断固阻止する病院」みたいな話が大嘘だということは分かります。帰りたいといえば帰っていただきますが、在宅医療のバックアップや家族のサポートがだれでも受けられるというわけではなく、すべて整った一部の患者さんが家に帰れるという話ではあります。終末期の患者さんの覚悟の帰宅というのは、主治医が許可しても家族が反対することも多いし、退院したその日のうちに病院に舞い戻るということも多いのです。終末期の患者さんが在宅サポートが十分でないまま帰宅した場合、ほぼ間違いなく救急扱いで舞い戻ってくるので、病院側はそうしたことに対応する必要があるけれども、そうした「手間」の部分も承知した上で、大抵の医療機関が許可を出していると思うのですけれども。ただ当然、移動という負担が死期を早めたりすることに関しては「こんなはずじゃなかった」ということにもなりがちなので、覚悟の確認みたいなことは、その状況に応じて最低限ご家族には確認しています。

 金儲けのために無駄治療を続けるという批判の一方で、病院で「もうできる治療はありません」と冷たく言われた、といった話もよく耳にします。手術にしろ抗癌剤しろ放射線治療にしても、体に相当な負担がかかるので、全身状態が不良であれば、毒にしかならないケースというのはあります。「体力的なことなどを考えても、これ以上抗癌剤などを続けるのは、副作用など辛い思いをするだけだと思います」といった説明は、しかしながら「もうできる治療はありません」とだけ捉えられてしまうかも知れません。こうした苦悩をしている時点で、「医者は金儲けのために無駄治療をして患者さんの死期を早めている」なんていう批判は筋違いだと思うのですけれども、時に同じ人が真逆のことで批判をしてきて、その矛盾に気づいていないということは少なくありません。

 そして、「今後緩和医療なども念頭に、ご本人にとってよりよい生活を送るための医療が望ましく、そうした施設に移って頂くことを考えて下さい」といった説明をせざるを得ないこともあります。これもまた、「治療しない方はこの病院にはいられません。緩和ケアを受けられる病院を(自分で)探して下さい」と捉えられてしまうかも知れません。

 これらの、僕は恐らく患者さん側で脳内変換された「医者に言われた衝撃的な一言」だと思っている言質について、別の「患者さんの立場に寄り添う」医師が無責任に批判してしまうことは問題だと思っています。患者さんやその家族が言う前医の言葉、それを傾聴することは必要です。しかしながら、本当にそういった「衝撃的」な意味合いで発言されたものかどうか分からないのに、後医が同意した時点で、前医が「ひどいことを言った」ことが既成事実化してしまいます。もちろん、患者さんの側に誤解を招かせたり、不信を感じさせたのだとしたら、その言葉を発した医師は反省する必要はあります。ただ、本当に悪意があったのかを確認しないまま、条件反射的に批判することは、医療への無用な批判と不信を抱かせる原因になってしまうだけの話だと思っています。もちろん、本当にひどいことを言ってたのであれば、その医師は批判されるべきで、医師の発言は間違いなく、絶対に批判してはいけないなどということを言っているのではありません。

 僕は患者さんが前医批判をするような場合、「そうですか。大変でしたね。私が直接おききしたわけではないので真意はわからないのですが、それはこうこう、こういう意味で、決してあなたを追い出そうとか、そういうことではなかったのかも知れませんね」といった返答をするように心がけています。繰り返しになりますが、前医の真意がどこにあったにせよ、患者さんやその家族が「見捨てられた、追い出された」と感じている現状はもちろん問題なのだけれども、誤解や曲解が少なからずあると思うので、前医の真意を探ることもせずに患者さんの言葉に同意してしまうというのは、あまりうまいやり方じゃないように思うのです。

【トンデモ医療は「表現の自由」では無い】

 例えば、近藤誠氏の一連の活動や著作は、「表現の自由」などというものではなく、医師免許を剥奪すべき害悪だと思っています。はじめの頃はどうだったのか知りませんが、少なくとも昨今の主張は科学的プロセスを全く踏んでいません。主流からはずれる医療を主張するから批判するのではなくて、医師を名乗りながら、科学的プロセスを経ずに、現時点できちんとした手順を経て標準的となった医療を否定し、自身の狂信的思考を、高いお金をとってまで市井に広めるというのは、僕には罪としか思えません。

 当然、標準的医療のおかれた現況と限界を知った上で、辛い治療を避け、自分らしい生き方をした上で、結果として死を受け容れる、というようなことは当然知られるべきです。手術や抗癌剤治療に関わる多くの医師は、昔はいざ知らず、少なくとも現在では、治療をしない選択肢というのもきちんと提示していると思います。僕も慎重に言葉を選びながら、科学的根拠も添えて、求められれば自分や家族がその状況の時どれを選ぶかということについても答えたりもしています。

 パターナリズムの押し売りは良くありませんが、ただ選択肢を並べるだけではなく、時に自分の良心に基づいた指針は示されるべきです。現況では、近藤氏のようなトンデモ勢力の方々こそ、一つの道しか示さない強いパターナリズムを推し進めています。だからこそ弱い立場の患者さん達が惹かれて行くのかもしれませんが。

 トンデモ科学を信じ込んでいる人、あるいはそれをなんらかの理由で強く主張し続けている人に真っ当な科学を説いても通じないことが多いのは確かです。説得というのが目標になってしまうと、そうした闘い方は間違っている、というのはなんとなく分かります。害のないトンデモならいいんですが、影響力のある人間や、有資格者が主張し、悪影響が懸念されるトンデモには、専門家や有資格者がきちんと反論をしておく、ということが重要だとも思っています。

 しかしながら、トンデモ論者に対して、罵詈雑言で応じたり、逃げ場が無いくらい追い込んだりというのは、「専門家や資格者がきちんと反論をしておく」という目的からは大きく逸脱するので、望ましくないと思っています。「正しい」意見が最終的に「間違った」意見を説得できるなんていうのはやっぱり幻想に近いところがあって、「正しい」結論に達するためには何やってもいいんだ、というのもやっぱり幻想だと思います。そして、「正しさ」に基づいて、逃げ場がないくらいに相手を追い込むというのはあんまりいいやり方じゃないと思っています。

 だいたいにおいて自分が信じる「正しさ」が、ただ自分が「好き」な考えにすぎないことも多い、というのは僕が常々思ってることです。

 ただ医学医療のように、科学的手法のルールが決められていてそれに基づいた免許資格が与えられるような職業についている人間が、そのルールを無視して、しかし免許を返上するでも無くトンデモ論をとなえるというのは許容し難いですし、市民の代表的立場(議員など)、社会的影響が大きく、概してその発信内容が「正しい」情報として扱われがちな機関(マスコミ)など、ただの好き嫌いだけで物言っちゃいけないだろう、と思うんですが、突然おかしな文脈で「表現の自由」が持ちだされたりするんですよね。

 科学的な主張を無視して、科学的な手段を放棄しつつ、一見科学的であるようなフリをしたトンデモを無批判に信じこんじゃうっていうのはなぜなんですかね。害のないトンデモならまだしも、医療トンデモは被害者が出るから許せません。職業倫理としてこまめに反対の声をあげておく必要があると思います。そうした反論も、トンデモ信者からは「(トンデモ論者の信ずる)正しいことを広められると困る勢力からの圧力」だとか言われるんですけどね。

 医師免許を持っているとか、公職についている人とか、影響力の大きいマスコミなどがこういうことを拡散するのは罪だと思います。言論の自由とかそういうこととは本質的に異なる話です。僕がトンデモ医学を否定するのは、別に金儲けでも誰かの陰謀でも無くて、先述の通りの職業倫理です。そして、彼らが批判されるのは主流じゃ無いからじゃ無くて、科学的手法を無視しているからです。主流では無くても、科学的プロセスに基づいて検証され、学会等の場できちんと発信したものは尊重されます。

 現代標準医療を否定してトンデモ医療を紹介している人って「ガンがほぼ全て消える治療法があるのに、抗癌剤で儲けている医者や製薬会社の陰謀で圧力をかけられている」とか言っていますけど、もしそんな夢の治療法があるなら、むしろそっちで金儲けしますよ、僕なら。

【患者さん中心の医療に関する誤解】

 ある程度まともな癌治療に携わる病院では、「キャンサーボード」というカンファレンスの機会を設けて、個々の患者さんの治療方針について話し合いをしています。癌治療に関しては、「手術」、「抗癌剤治療」、「放射線治療」の三本柱を単独あるいは複合的に使う「集学的治療」と呼ばれる治療が必要です。しかしながら、癌の種類や発生場所、その進行状況、患者さんの全身状態によって、いくら医師や患者が望んでも選択が不可能な治療方法もあるのです。外科腫瘍内科放射線科といったそれぞれの専門家達が、可能な治療法の選択肢や、ベストと思われる治療法について議論するのです。

 ある医師が、患者さんのための治療方針の会議なのに、なぜキャンサーボードにその患者さんが参加していないのだ、という意見を述べて、ネット上ではそれに対して賛意が結構集まっていたんです。しかし僕は、これに関して全く同意できませんでした。

参考:「患者不在のキャンサーボードhttp://apital.asahi.com/article/nagao/014102100004.html

 誤解かも知れない前医の「衝撃的な一言」を、脊髄反射的に批判するのが好ましくないのと同様に、こういう論調の話が出る時に、すぐに「患者無視」とか言うのが、本当に真剣治療方針を突き合わせている医師たちに失礼だとも思います。

 これは例えるなら、一流シェフメニューを検討する会議に客も参加させろ、という話と同様だと思うんですよね。レストランを訪れる客が、厨房にまで入って細かな調理法に口をだす機会が無いにしても、好きな食材をリクエストしたり、メニューを選ぶ権利があるように、患者さんには外来や入院中の治療説明の時間に、きちんと治療を検討する機会を用意されていると思います。その前段階としての専門家同士の意見の整理としてのキャンサーボードに患者さんが入ってくることが別に「患者さん本位」でも無いし、そこに患者さんがいないことが「患者さん不在」でも無い。ちなみに「一流」は別に思い上がりではなく、「専門家」を例えて表現するのに使っただけです。念のため。

 放射線治療は、抗癌剤治療は、手術は…と患者さんに対してわかりやすく説明する場と、脊髄を外す角度で照射をどうこう、サルベージ手術に耐えられるか云々の話をする場は当然全く違うのです。別に患者さんがそこに参加したいならしてもらってもいいのですが、そこに何の意味があるのでしょうか。キャンサーボード治療の選択肢と可能性の話をした上で、可能性のある治療法の中から患者さんに選んでもらうわけで、患者さんが「いや、60Gyまであてられるでしょ」とか言わないでしょ、という話です。何かキャンサーボードというものをきちんと理解していない気がするんですよね。キャンサーボードが、患者抜きで治療方針を決定する場、という表現がそもそもミスリードで不正確です。

 何度も繰り返しているように、少なくとも今のご時世で医者が勝手に治療法決めて押し売りするとかいうことは無いです。

(2014/12/15 誤字を訂正、意味のわかりにくいところを一部修正、補足しました。大きく改変したところはありません)

NorikoNoriko 2014/12/13 23:15 長すぎて何だか解らない
何時も同じ文句の様です(⌒-⌒; )
ある程度勉強できてる患者は良いけど今渦中にいらっしゃる患者には混乱を与えるのみのようです

あっくんあっくん 2014/12/14 19:27 実在の医師の著作を、匿名でここまで批判するのはフェアではない。
私個人は、近藤医師の著作は初期のものは一理あると思いましたが、最近の本は購入したものの、センセーショナリズムを感じ、読むのをやめました。
だから近藤医師の最近の主張をよく知らない。

ただ、医学・医療でも、政治・経済、文学などの領域と同様、堂々と論戦してもらいたい。

以下のように激しい言葉を使うならなおさらだ。
・近藤誠氏の一連の活動や著作は、「表現の自由」などというものではなく、医師免許を剥奪すべき害悪だと思っています。
・自身の狂信的思考を、高いお金をとってまで市井に広めるというのは、僕には罪としか思えません。
・ただ医学医療のように、科学的手法のルールが決められていてそれに基づいた免許資格が与えられるような職業についている人間が、そのルールを無視して、しかし免許を返上するでも無くトンデモ論をとなえるというのは許容し難いです。

「医師免許を剥奪すべき害悪」
「狂信的思考を、高いお金をとってまで市井に広める」
「免許を返上するでも無くトンデモ論をとなえるというのは許容し難い」

このような激しい批判をするのはいいとして、匿名は見苦しい。
この先生が匿名を使っている理由は読んだが、実在の相手を批判するのはまた別だ。

繰り返すが、近藤医師の肩をもつわけではない。

近藤医師への陰口をさんざん耳にしてきた。

もっとフェアに議論してもらいたい。
医師は、社会から尊敬される職業なのだから、見苦しいことはしないでほしい。

zawzaw 2014/12/14 22:41 コメントありがとうございます。

この件に限らず、実名であることに強いこだわりを持つ方はいらっしゃるようですが、僕は匿名であることがアンフェアであるとは思いません。もちろん、匿名をいいことに罵詈雑言を言い逃げする、といった行為は間違いなくアンフェアですが、実名であろうが、匿名であろうが、聴くに堪える意見かどうかには関わりはないことである、というのが僕の考えです。まあ、見苦しいと感じる方もいるのだ、ということだけは心に留めておきます。

また、zaw(ザウエル)という名は、その場限りの名前ということでも無く、ネットやその他の場所で20年以上の長きに渡って使い続けている、一つのしっかりした人格に結びついた名前です。責任逃れのために使っている匿名、ということではありません。実名であることを絶対視する方々の考える、責任逃れの、アンフェアな匿名を使うのであれば、zaw(ザウエル)以外の名前を使ってやったほうがいいでしょう。

近藤誠氏やその他、科学的な手段に則らずに標準医療を否定し、自らの説を垂れ流す一派に関して、人の生き死にに直結することであるから、なるべく多くのチャンネルを用いて声をあげておこうというのがここにまとめた目的です。近藤誠氏は確かに実名で意見を述べていますが、実名だからいいということでも無いし、その意見が「表現の自由」とか言うものではないというのが僕の一貫した考えで、本文中に述べた通りです。

先にも述べましたように、僕自身はこうした意見を実名で述べようが匿名で述べようが、その内容や責任に大きな違いが生まれるとは思っていませんが、そもそもここにまとめた文章は、僕が実名で登録しているfacebookに何度かにわけて書いたもののまとめであり、別に実名で発信することを避けているものではありません。

しかしながら、この場はあくまでzaw(ザウエル)という名前でずっとやってきた場所であって、実名とリンクする考えはありません。実名で発信すべき(と思う人もいる)事柄に関しては、こことは別の場所で実名でも行動しています。例えば、医療行政などにもの申したいことがあれば、ここにも書く一方で、実名を使ってパブリックコメントとして行政機関に提出したりもしてきました。肩書きや社会的地位でその意見の価値が変わるわけでも無いのだから、別に絶対に実名である必要もないと思っているというのは冒頭に述べた如くです。

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2014-12-07-日

[]医療はパワハラで回ってる 医療はパワハラで回ってるを含むブックマーク 医療はパワハラで回ってるのブックマークコメント

 とある大学医学部の基礎の教室での「パワハラ」により教授が解雇されたという。休日出勤の強要をしたり、研究を続けたいなら女性は結婚出産を控えるべきだというようなことを言ったとか。当の教授は納得行かないとして提訴の方向と耳にしました。

 物凄く正直なところを書くと、報道されたレベルでパワハラということであれば、臨床の教室軒並みアウトなんじゃないかな、と思います。僕らは確実に夜間休日の出勤を強要されていたし、その振替の休みを取る手段も(というかそもそも普通に休んだりする手段も)ありませんでした。

 無論、夜間休日誰かがいないと臨床は回らないし、人の命を扱う場所として、全てが時間内に片付くとは誰も思っていません。しかしそれを滅私奉公でしか回せないシステムは腐っているし、書類に残らない休日出勤のみならず、試験監督とか出張が土日に重なった場合に、振替休日を指定せよという書類に、何故か既に出勤した過去日を指定させるのとか、各教室の問題じゃなくて完全に大学ぐるみの悪意だし、パワハラというか労働基準法違反です。

 だから、今回のことを他人事だと片付けたり、自らの組織の同様の問題に気づかなかったり気づかないふりをしてすませるのか、大いに自分たちも同様の問題を孕んでいるということに真摯に向き合って何か良い方向へ進む道を考えるのかということで、その組織の健全さがはかれると思っています。

 同じように、人の命を預かっているからこそ、上限の勤務時間が厳しく定められているパイロットとは真逆に進んだ医療業界、パワハラと体育会的発想が美化され、「上司への返事はハイかイエス」なんて言っているうちは、対外的に恥ずかしい時代錯誤の組織のままだというのは、僕がかねてから言い続けていることなんですけどね。

[]臆病な自尊心 臆病な自尊心を含むブックマーク 臆病な自尊心のブックマークコメント

 ある伝統ある大学外科教室では、「先生」と呼んでいいのはその大学教授になった人だけなのだそうです。それ以外は上司なら「さん」、後輩は「君」と呼ぶのが慣わし。それ自体はまあ、別にいいんじゃないかと思います。

 でも、そのお話を自分の教室や大学内でするならまだしも、別の大学の教室に呼ばれて出向いて話すのは、どういう心境なんだろうな、と思うのです。彼らの慣習によれば、そこには「先生」と呼ぶべき人はいないのです。自分を招いてくれた、もともとは自分の教室出身で、地方大学教授に収まっているその人のことは一応「先生」と呼びかけていましたが、講演中に「先生と呼ぶべき人」として数えた中には当然入っていません。

 講演した人間も、そして地方大学教授となりながら、自分のルーツを高くみて、今いる組織をまるで属国かのように一段低くみている人間も、自分たちの教室が一番で、地方の教室はその下流にある、という大前提に乗っかった話をしているのだという、そういう尊大さにおそらく無自覚なんだと思います。「君たちも捨てたもんじゃないと思ったんだよ。この大学の人間もなかなか優秀だよ」というのが、彼らにとっては褒め言葉のつもりなんでしょうが、自ら望んでその地方大学の教室に入局した人間にとって、なぜ宗主国の高見のようなところからの視点で、属国へのお褒めの言葉を頂かなくてはならないのか理解に苦しみます。

 その昔、僕の母校で当時医学部長だったある教授が、学生たちのとある集まりの場で「君たちはこの大学に入ったことを恥じるべきでは無い。大きな組織の中で埋没してしまうのでは無く、こういう大学で自らが中心となって何かを引っ張っていく、中小企業を引っ張るような良さがあるはずだ」と。僕はなんと愚かな挨拶をする人間だ、と思ったものです。

 その会で、なぜだか僕を面白がり、気にかけていて下さった別の教授が、医学部長と一緒にいる場に僕を呼び、「この子はとても面白いんですよ」と紹介して下さいました。僕は愚かな挨拶にあきれていたので、医学部長にさして興味が無かったのですが、彼が自分から、挨拶についての感想を求めてきたので、「先生は、僕らが本当は別の大学に行きたかったのに、いろいろな事情でやむなくこの大学を選んだ、という前提でご挨拶されましたけれど、それはどういう事情なんでしょうか。少なくとも私はこの大学を第一志望として、自ら望んで入学しました。確かに偏差値がどうとか、大学の研究レベルがどうとかいう話になると、ほかの大学に負けるところはたくさんあるのでしょう。しかしながら、僕らは別にここを何か低いもの、やむを得ないものとして選んだというわけでは無いのだし、仮にも学部長という組織を代表される立場にありながら、自分達の組織を何か一段低いものだという前提でああいったお話をされるお気持ちというのが、僕には全く理解できませんし、極めて不愉快でした」と率直に申し上げたのでした。僕を呼びつけた教授はたいそう愉快げに笑っておられましたが、医学部長はそれに理性的な反論を述べるでもなく、ただ不愉快気にそこを去って行きました。

 もしくはそうした発言の根底にあるのが実は尊大さなどではなくて、李徴の曰く「臆病な自尊心」に過ぎず、そしてその言葉にくすぐられた聴衆は、「尊大な羞恥心」が頭をもたげて、本当はおかしな話に傾聴してしまうのでしょうか。僕にとってはろくでもない話なのに、「素晴らしいお話をありがとうございました」なんてやりとりしてるのを見ていると、いつかみんな虎になってしまうのではなかろうか、と思うのでした。

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2014-12-04-木

[]近況報告 近況報告を含むブックマーク 近況報告のブックマークコメント

 日本にいるときの僕しか知らない人はにわかに信じられないでしょうけれども、最近は週に一度すら酒を呑まないこともあるくらいに酒量が減りました。日本にいる時も、部屋で一人で呑むことってあんまりなくて、誰かと呑むか、外に呑みに行くかだったので、基本的に外では呑めないこの国で酒量が減るのは当然といえば当然なのかも知れません。時折ある呑み会での体感としても、酒に弱くなっている気もします。まあ、日本に帰ったら美味しい肴で日本酒呑みたいです。

 当地は日本ほど寒くは無いですし、日の出ている時間は暑いと感じることもあるけれども、やはり朝晩は冷え込むようになって来た昨今、日本に帰ったら温泉行きたい。あし伸ばしてゆっくり入りたいです。ホテルにはバスタブありますが、給湯タンクが小さいし、パワー不足なので、バスタブにお湯ためるとシャワーからお湯出なくなります。

 食べ物に対する欲求としては、一時期みんなで嫌がらせのようにfacebookに写真をアップロードしていた鰻をまず食べたいです。その他豚肉料理とかラーメンみたいなのはここでは食べられないので非常に欲求が高まっています。住居として使っているホテルのレストランが先月一杯で閉店となり、すわ食糧危機か、という昨今です。自炊してもいいのですが、如何せん自分で買い物にも行けないので、食材調達がかなり厄介です。

 多分日本では報道されて無いと思いますが、本日も自爆テロが起こるなど物騒なこの国です。

 在外選挙人証が間に合いそうもないので、今回の国政選挙には投票できなそうです。NHK worldで「shijiseitounashi」とかそのままローマ字読みで放送しているのをなんのこっちゃと思っていたのですが、「支持政党なし」という政治団体比例区に立候補していたんですね。停電断線しまくる超低速ネットNHKしか情報ソースが無いので、あまり日本の状況がわからないのですが、脱原発とかそういうのはあんまり前面に出なくなってるんですかね? まあただ、エネルギーってのは国家の命運を左右する最重要問題で、「電気が無くたって死なないよ」なんて言ってるのは電気が止まらない国の住民の発想ですよね。実際止まったら社会的弱者から順に死んでいく。何かしようと思う時に限って停電したり、いろんなインフラが満足に整っていないこの国にいると、余計にそんなことを考えます。

 停電は一時期ほどひどく無いような気もしますが、それでも日に何度も停電します。事務所やホテルには発電機が備え付けられていますが、日本の病院のようにゼロ秒で切り替わるなんてことは無く、切り替えや電気の復帰には数分~十分程度待つ必要があります。ネットとかただでさえ低速な上、停電の度にハブとかルーターとか全部落ちるので、大容量(この国では数十メガバイトの時点で既に大容量という感じですが)ファイルダウンロードなど気が遠くなります。国外脱出の機会を狙って各種アップデートなどすることが通常ですが、どうしても国内でとなると、文字通り夜通しかけたりしなくてはなりませんし、中断された場合に一からやり直しになったりすると、もはやほぼダウンロード不可能と思ったほうがいいような場合も。日本や他の先進国ネットが速くなりすぎて、どうでもいいテキストの情報拾いたいだけなのに無駄に思いウェブサイトとか溢れてますが、取り残された国があることも考えて欲しいと思う昨今です。

 以前出張先のシンガポールで足止めされたときは、一刻も早く戻りたい我が家と念じたこの国ですが、相変わらずの治安情勢と、引き続きの引きこもり生活、少しずつ澱が溜まってくるのでしょうね、今はとにかく年末の一時帰国を楽しみにしております。

 12/30深夜日本着、1/19未明日本発です。1/2午後~1/16はまだ細かな予定入れてないので、ぼちぼちイベント組みましょう。ご連絡お待ちしております。

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