猪瀬さんの対談を聞いての雑想

ひとつは戦争とか、戦前の事。


太平洋戦争後、日本は〜戦前を「なかったこと」にして、アメリカの庇護の下「ディズニーランド」のような(仮想の)国家として存在していた、という趣旨の話がありました。
それで、特に太平洋戦争について調べて書いてゆくのが作家としての自分の仕事なのではないか、というのですが・・。
司馬遼太郎も同じような事を言っていました。
曰く僕は明治維新の大ファンで、その明治維新が最後敗戦という形で終わりを迎えた事、あの戦争をひもとくには、明治維新から後の日本のあゆみを見直さないと、といった事をよく随筆とかで書いていたと記憶しています。
司馬遼太郎を愛読していた僕にとっては、戦前から戦後が続いているのは当たり前の事で、僕らはの祖父・祖母の時代は大刀もって首を切っていた時代だった訳で、その空気というか、残酷なところは相変わらず伝承されているなぁ、といつも思っています。
だから、結構そういった事は自然に受け入れていると思うのですが、実は世間的にはそうでもないのかなぁ?と改めて思いました。


もう一つは「行使できない明治憲法の『大権』」といわゆる日本の組織論としての中空構造について


僕は「行使できない大権」とかの話を聞きながら思っていたのは河合隼雄さんの「日本人の深層心理と日本神話の中空構造」の話でした。
日本って、中心がない(あるけれど存在感がない、置物的なもの)構造が様々な所で現れてくる、そしてそれが一番この民族にとっては「座りのよい」構造だ、ということ。
司馬遼太郎の小説や随想にもよく出てきた話だけれど、この構造は今もそうだ、ということ。

・・何が言いたいかというと、みんな同じような事言っているなぁって思うのです。
そういう事を言う人ばかりを選んでいるのか、それが結局真理なのか、よくわからないですけれど・・。