よく会う

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■よく会う
 総曲輪の■■■■に通っていたころ、同じく通っている方がいた。見知らぬ人であったが、こっちが認識しているのだから、向うも認識しているだろうぐらいに思っていた。
 特徴は、真っ白の髪の毛とパソコン作業である。見かけは、知的な雰囲気を漂わせている。鼻の下に蓄えた髭がトレードマークである。
 ■■■■へは、行かなくなって久しいが、その後、彼とは駅のマクドナルド、図書館と何度も見かけることになる。まあ、自分と似たような行動をする人がいても驚くことではない。
 しかし、■■■で遭遇したのである。
 最初、彼は自分が座るテーブルの前に陣取ったが、直ぐに別のテーブルへ移ってしまった。
 相手も自分のことを意識して、あいつなんでこんなところにいるのだ、と思っているかも知れない。
 ふと、顔を上げると彼は帰る仕草をしている。そして、帰った。来てから5分ほどしか経ってない。
 自分が影響しているのだろうか。
 存在そのものが迷惑と言われたこともある。

■「俺はNOSAKAだ」(野坂昭如著、新潮社、2016年)を読む。

「~精神的緊張が、病い払い除けたとも考えられる。」

「~早く死にゃいいと思ってんだから」

「~いったん機能を失った腎臓は、どのようにしたって、元にはもどらないのだ。」

「親を捨てる子供も沢山いました。」

「冬に海草を拾い春萌え出ずる木の芽を集め、夏藻塩を焼き秋に山の稔りを味わう、これ以上は望まない。」

「~子供は消耗品と考えたらよろし~」

「~フリーってつまり日雇いやからね、~」

「もういつ死んだっていい~」

「ばくは、酒を飲まない、~」

「読書歴なんてない。」

 

ランチ240421

■ランチ240421

 この時期、やはり春の山菜が食べたくなる。しかし、山へは登れない。山ではないところへ行ってみようとくさのさんと連絡を取り合い向かった。県内一円というのはちょっと大げさか。

 時間がかかると考えていたのがタケノコであるが、10分ほどで5本掘ることが出来た。今年はなり年というか表年なので、豚も歩けばタケノコに当たるの例えもあったかどうか。

 時間が大幅に余ったので、コゴミ、タラの芽、コシアブラ、リョーブ、ハリエンジュを採りにいったら、昼になった。

 近くの中華料理の店にする。二人して同じメニューにした。

 くさのさん、久々に登場である。

 ランチ後はファーストフードへコーヒーを飲みにいったが、満員で座るテーブルがない。仕方が無いので大テーブルの隅に座ったが、落ち着いて話などできない。

 帰宅後は、食材を処理する。

 山ではないとはいえ、坂はある。もうヘトヘトで病が悪化しないか心配になっている。

 しかし、久しぶりに自然に触れていい気持ちであった。

■「哲学100の基本」(岡本裕一朗著、東洋経済新報社、2023年)を読む。

「~当たり前だと見なされる前提を根本的に疑うことは、哲学の共通の特徴と癒えます。」

「人は哲学を学ぶことはできない。ただ、哲学することを学ぶことができるだけである。」

「~いつの間にか忘れてしまった“そもそも”問題を、あらためて問い直すのが“哲学すること”に他なりません。」

「~哲学者の議論を通して、自分自身で考え、自分なりに“哲学する”ことが必要なのです。」

「つまり、①驚き、疑いをいだく→②自分を無知だと感じる→③知恵を求める(哲学)という流れです。」

「真の哲学とは、世界を見ることを学び直すことである」

「哲学者たちが難解で意味が不明な言葉を使うのは、実は病気なのです。」

「どんなに偉大な哲学者であっても、先行する人々や、同時代の人々から、アイデアや表現などを、少なからず借用しているのです。」

「私たちが人間として存在しているかぎり、絶え間なく必然的に哲学している」

「人間は自分のことが一番よく分からないのかもしれません。」

「人間には他の動物のように、特別な装備や能力がなく、いわば“欠陥存在”であることです。」

「知は力なり」

「~“よいか悪いか”を言明する道徳判断は、結局のところ“好きか嫌いか”の趣味判断になってしまうのです。」

「およそありうるかぎりで最大の不幸は、仕事のない生活であり、生涯の終わりにその実りをみることのない生活である。」

「~人間活動の大半が、“信じること”にもとづいているからです。」

「~疑うためにはまず、学ぶことが必要であり、さらには信じることが前提される。」

「苦悩は人生から生じるものであり~」

「哲学を学ぶと悩み苦しみ、ついには狂気か自殺にいたる」

「平等を基礎とするリベラリズムか、それとも自由を徹底的に追求するリバタリアリズムか~」

 

 

 

 

 

ずれ

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■ずれ  
 もう、時代に付いて行けないと意識しだしたのは、30代後半だったと思う。
 初めから、時代を引っ張っているという大それた考えは無かった。
 そのうち、時代に付いていくことが正しいのだろうかと、考えるようになり、日々生きづらさを味わっていた。
 この頃は、時代からのずれも大きくなり、どうでもよくなっている。
 ずれがはっきりと意識されるのは、年末に発表される流行語大賞である。半分以上は、初めて知る言葉であることが多い。
 金銭感覚も大きくずれているようだ。ランチが千円ぐらいが普通の世の中には付いて行けない。
 靴擦れもある。実は今起きている。
 足のむくみのため1cm大きなシューズを履いていたが、今回の積雪で中が濡れてしまった。足のむくみは、そんなにひどくないので、ストックしているシューズを履いているが、予想通り靴擦れである。
 湯船に入ると、滲みたがまだ我慢の範囲である。
 また、音楽についても、言える。自分は、歌を聞くときは、メロディーより歌詞に注意が行ってしまう。しかし、少し前から何を歌っているのか分からなくなってしまった。これも、老化の一種なのだろうか。
 音楽ならまだいいと思うが、オトコかオンナか分からない人も見かける。
 自分がずれているのか、世の中がずれているのか。

■「“肺炎”に殺されない!」(生島壮一郎著、すばる舎、2019年)を読む。(その2)

「そもそも、呼吸器が健康であれば、ほとんど痰がでないのがふつうなのです。」

「超高齢社会とは、総人口に対して65歳以上の人口が21%以上を占めている社会をさします。」

「~全身的な免疫力を高めておかなければ、肺炎のほんとうの予防にはならない~」

「食べてすぐにゴロゴロしないことも誤嚥性肺炎には大事なポイントです。」

「~筋力が必要~」

「~症状が治まると自己判断で薬を中断してしまう人がいる~」

「~“朝起きてからすぐ”の歯磨きで~」

「~“鼻呼吸”をすると大量の一酸化窒素が肺胞に届き、休んでいる肺の毛細血管を拡張させるように働いていると考えられます。」

「~肺の予備力を活用するためには、“鼻呼吸”が重要なのです。」

「現代の医学では、いったん繊維化してしまった肺胞をもとの状態にかいふくさせることはできません。」

「実際に、温泉施設や福祉施設の浴場でレジオネラの集団感染が発生し~」

「このお腹まわりの内臓脂肪、実は健全な呼吸の妨げにもなっているのです。」

サルコペニア肥満

「~スイミングは呼吸力アップにおすすめの種目です。」

「~毎日山歩きを楽しむことが理想的です。」

 

ランチ240417

■ランチ240417

 今日は魔の水曜日である。朝起床後に服用する薬がある。この薬、非常に飲みにくく飲んだら30分間は横になれないという制限がある。

 そのため、朝5時に起床し、朝食の準備をしながら時間を稼ぐ。

 5時30分からは二度寝である。と同時に今日の予定を確認する。

 午前中だけ車を借りて、隣町のショッピングセンターで会員カードを作る予定にしていた。そんなもんのために、高いガソリンを使って行くのかと、聞こえてきそうである。実は雨の予定にしていたが、いい天気になった。勿体なかったが、仕方が無い。

 インフォメーションのお嬢さんからカードを貰い、歩数との設定もしていただいた。

 歩けばそのショッピングセンターで使用できるポイントが付くのである。

 すぐに、とんぼ帰りである。昼の予定は考えて無かったが、家に着くまでに決めるつもりであった。

 呉羽のトンネル前まで来たときに、スマホが鳴った。知人のTさんからのランチのお誘いであった。少し遅れるがとのことであったが、ちょうど良かった。これで昼食に悩まなくて済んだ。

 待ち合わせ場所で拾ってもらい店へ向かう。なんと、今日開店で、チラシの割引券も二人分持参であった。

 メニューは多彩である。知人のTさんかロースカツ定食で、自分は蕎麦とミニどんぶりにした。

 この店の特徴は、カレーが食べ放題ということである。カレーつけそばにしても食べた。けっこう、合うもんだね。

 ランチ後は、ファーストフードでコーヒータイムである。話題は、時事問題である。

ステルス値上げの話で盛り上がった。

 面白かったのは、薄い板状のお菓子のことである。昔からあるので、自分も知っている。ケースに縦に36枚並んでいる。まあ、コスパはいい方である。

 知人のTさんが久しぶりで買って、袋を開けたところ、立っているはずのお菓子が寝ていたとのこと。枚数も16枚とのこと。これがお菓子だけに、おかしかったね。腹抱えて笑った。

 以前は透明は包装だったが、最近は中が見えない様になっているとのこと。

■「“肺炎”に殺されない!」(生島壮一郎著、すばる舎、2019年)を読む。(その1)

「日本人の死因として、がん、心臓病に次いで3番目に多いのが“肺炎”です。」

「~肺に到達するまでのガードに弱点があると、炎症がくり返し起きるようになります。」

「~肺の古傷まで治癒させることはできません。」

「~鼻毛は、細かいホコリなどをキャッチしてくれるフィルターの役割をもっています。」

「~“レジオネラ”は、肺で最後に戦うマクロファージの中ですら生きられる細菌で、主に末端の肺胞がやられてしまいます。」

「肺の“予備力”~実は、健康なときの日常生活で使われているのは、肺のごく一部です。」

「~生活習慣病を予防し、口腔環境をきれいに保ち、運動して筋力を維持することこそが、肺炎をトータルに予防するために必要なことなのです。」

「~肺炎にかかる人は増加しています。」

感染症は人間と細菌との生死をかけた戦いです。」

「長年生きていれば必ず気管・気管支の働きの低下や肺胞組織の劣化が生じます。」

「マスクはサイズの合うものをすき間ができないように顔にフィットさせて付ける。毎日交換すること」

「日本は“ワクチン後進国”と呼ばれています。」

「人間も生物である以上、自然淘汰の渦中にいます。」

「本当に大切なことは、目に見えにくいものなのです。」

 



 

三回目

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■三回目

 ほぼ毎日のように自家製のかぶら寿しを食べている。今の味覚が変わってしまった自分の舌でも美味しく感じる。 

 今日、大皿に盛ってあった2回目が無くなった。

 親戚から大蕪が届いているので、3回目も仕込んである。

 今年は、一回で止めようと考えていたが、評判が良く3回目である。

 今回の鯖は、少し高いが骨なしにした。解凍後皮を剥くが、どっちが頭の方なのか分からない。少し身が崩れたのもあったが、なんとか出来た。

 明日から食べられる。

 鰤やニシンやサーモンでも作っていたが、そこまでの執着は無くなった。

 上手くいった理由を考えてみる。

 味の決め手は、下漬けの塩加減と甘酒であろう。塩は、1kgで100円ほどのを使っている。米麹は1kgで800円ほどである。おそらく、蕪がいいのだろう。親戚の畑から抜いて直ぐに作っている。

 家人は、昨日も親戚である実家へ行き戻って来たので、持って来た作物を確認したらネギだけであった。

 かぶら寿しも3回で終わりだと考えているが、米麹があと2回分残っているので、3回目が無くなったら店の蕪で作るか、蕪の代わりに大根でやるかになろう。

■「銃を置け戦争を終わらせよう」(高村 薫著、毎日新聞出版、2023して年)を読む。

「国力は三流になっても、人のいのちを貴ぶことはできるし、公正な国であることはできる。」

終戦から76年の夏、日本はまだこんな国なのである。」

「~高齢者の就業率は25.1%で~」

「国が掲げる“生涯現役で活躍できる社会”とは、端的に“死ぬまで働かなければ生きてゆけない社会”のことなのである。」

「高齢者はヴォランティアではないし、お情けで働かされてもらっているわけではないのだ。」

「もっとも、高齢者に対する行政サービスの課題の多くをデジタル化ガ解決するというのは幻想であって~」

「高齢者に必要なのはスマホなどの情報端末よりも、身体の自由が利かなくなっても生活してゆける人的な支援であり~」

「眼の前の難民すら救えない世界が、眼に見えないCO2削減に成功する確率は低いと言うほかはないし~」

「~世界で起きていることを正確に知ることができない時代に生きているのである。」

「~そもそも国民が政府の嘘を見抜く力をもたなければ信頼に足る政治はもてない~」

「~こうした官民共同では、国民の知らないところで自社の都合を優先する企業のロビー活動が物事を動かしてゆくのであり~」

「いつの間にかスマホ無しには仕事すらできない世の中になっていたのだが~」

「私たちの社会は貧困・宗教・病気などで疎外された人びとが這い上がれる社会ではない。」

「疎外された人びとが這い上がれない社会では、孤独と絶望と暴力は必然である。」

「~呼吸が苦しいのに入院できないまま一人で死んでいった人がこれほど多くいた~」

「~国民にできるのはせいぜいそっぽを向くことぐらいだろう。」

「ともあれ、対話型のチャットGPT機能の普及は従来の検索エンジンが不要になるということであり~」

「~高齢者自身もできるだけ自立することが求められるが、その大前提として可能な限り働くことである。」

「~経験から学ばない、反省をしない。」

「実にSNSが銀行を潰す時代になったということだ。」

「生成AIが跋扈する世界ではもはや何が本ものか誰にも分からない事態が早晩発生する。」

 

 

 

裸眼

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■裸眼

 若いころ、眼鏡を掛けている高齢者が新聞などを読む時に、眼鏡を額まで上げているのを見ていた。

 この時は、老眼で眼鏡では近くは見にくいのだろうと推測していた。

 ところが、自分は今、同じことをやっている。

 もう、体中がガタガタになっているようだ。

 考えようによっては、良くぞここまで酷使したな!になる。

 裸眼は、近くの小さな文字を見る時に見る。ところが、普通に本を読む時にも裸眼にする。もちろん、だいぶ本を顔に近づけなければならない。

 これは、コーヒーショップの照明がいい具合に本の上に当たるから可能になっている。

 やはり、レンス越しに見る文字と裸眼で見る文字は、違って見える。

 しかし、あまりやらないようにしている。眼鏡を外すと、顔のむくみが目立つからである。

■「巻頭随筆 百年の百選」(文藝春秋編、文藝春秋、2023年)を途中まで読む。

「私の病気は治らないだろう。」

「その“幸せ”とは、人との出会い、めぐり会いの中にあるんじゃないか。」

 

新巻

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■新巻
 ああ、今年も忘れてしまった。と、毎年同じことを嘆いているようだ。
 新巻作りである。
 もう何年も前は作っていた。
 まずは、魚祭へ行くことから始まる。ここで、木箱に入っている生の塩シャケを買う。当時は、1500円ほどで買えた。帰宅後、塩出しして干せば出来上がる。干すと近所の野良猫が奇妙な声を出して見上げていたことを思い出した。
 これを、少しづつ切って食べるのであるが、美味しくはない。いっとき2本干したこともあったが、美味しくはないので、自然に作らなくなった。
 今思い返すと、どうも塩出しが不十分だったように思う。また、ネットで探せば作り方はあるだろう。
 東町の鱒の寿し屋さんのが美味しいので、ここのが最後だった。ちゃんと切ってくれ、箱に入れてくれる。親戚へのお歳暮として、何年間か使っていたが、もう店を仕舞われたようだ。
 よく、ニュースなどで魚屋さんの軒先にぶら下がっているのを取り上げるが、鱒の寿し屋の親父は、自然乾燥はムラになるので乾燥器による乾燥を勧めていたが、個人で対応できるレベルではない。
 来年こそは、作ろう。

■「息」(小池水音著、新潮社、2023年)を読む。(その2)

「実際には、夜の眠りが極端に浅くなり、寝不足と、呼吸の苦しさとがないまぜになって、日中の意識をぼんやりとさせていた。」

「ひとりで静かに過ごす時間を求めていた~」

「~この数週間でもっとも激しい発作が、わたしの呼吸をいびつにしていた。」

「けれど、終わるという感覚は、言葉がなくてもわかる。」

「酸素が足りないためか、わたしの意識はまるで幼いころへと戻っているみたいだった。」

「~新たに日々を立て直そうという前向きな意志は感じられなかった。」

「息を吸うのでも、吐くのでもなく、息が止まったその瞬間に感じたのは、経験したことのない安らかさだった。」

「~むしろ経過は緩やかに悪化をたどった。」

「しあわせでした」

「目が覚めたときに深呼吸をして、肺の底まで息が届いた~」

「深い眠りにつける日は、一年のうちでも数えるほどだった。」

「~日中のほとんどの時間を、近所を散歩して過ごしていた。」

「忘れたくない大切な景色を、すっかり思い出せなくなってしまうこと。」

「菌によって肺が炎症を起こし、組織が硬くなって、酸素を取り込みづらくなっているのだろう。」

「~手足は、はちきれそうなほどむくんでいた。」