下見

■下見
 来月、バードウォッチングの行事があり、自分はkogamoさんと当番に当たっていた。人選をした方からあらかじめ聞いていた。まだ、早いと思っていたが・・・。
 しかし、与えられた業務は手を抜かず全力投球してきたので、今回もそうする。
 まずは、下見である。kogamoさんと待ち合わせて、当日の段取り通りを回る。
 オオヨシキリのギョギョシーが昨年よりけたたましく感じられた。遠くでカッコウの声がする。

 キジバトも歩いている。

 キジの声がするので声の方を見るとキジも歩いていた。

 その他に、トビ、アオサギ、ウグイスなどが確認できた。
 この探鳥会は植物のコーナーもある。いくつか、切り取って標本めいたものを作ったので、時間のある時に図鑑との格闘になる。
 kogamoさんと別れて、オシドリを見に行くことにしていた。今月、古洞の森でご一緒になり、美女平でもご一緒であった方から確認の仕方も教えてもらった。川の土手を車で走破するというものであった。しかし、途中で行き止まりでバックで数十m戻ったこともあった。出会いはなかったが、シギに会えた。
 ここは川の上流であるが、イソシギであろう。

 もう一種いた。シギは図鑑でも種類が多く同定に時間がかかる。クチバシが曲がっていたり、大きな特徴が無い場合は迷宮入りになることが多い。これがそうだ。
 どうもキアシシギのようだ。

 上と同じジギであるが、泳いでいる姿はあまり見たことがない。

 
■「医師の一分」(里見清一著、新潮社、2014年)を読む。
「医者は、本質的に、命を助ける存在ではない〜」
「悪口も語彙のうち、文化のうち」(山本夏彦
「今の世の中、ストレスのない生活なんてあるのか!」
「死ぬことを怖がる魂は、生きることが分からない」
「自ら決断し、それが裏目に出たら地獄に落ちるのがプロである」
「人生、成り行き」(雲黒斎家元)
「そんな、どうせ助からない命のために虎の子の貯金を叩くことに、あなたの奥さんは乗り気でない。」
「〜ある意味入院以上に手厚い介護と医療サービスのない“在宅死”なんて、孤独死もしくは野垂れ死にと変わらないのではないか。」
「死ににくい社会が一気に能率的に死なせる社会に移行するかも知れない。」
「効率化を進めると“心”が失われる」
「これからの時代、日帰りで東京―博多を往復したりするのは貧乏人で、本当に豊かな旅は、歩くことだ。」
「助ける価値のある命とそうでない命」
「エゴは自然なのである。」
「〜病気や災害で苦しむ人に念仏のごとく“頑張れ”を繰り返すバカが山ほどいる〜」
「怒りの手紙は出す前に一晩置け」
「〜全力を尽くしたのだからというような言訳をする人間を私は心から軽蔑している。」