怒り

■怒り
 今日も絶好調で予定はない。定年後はこういう状況を想定していたが、自分のミスで多忙を極め続ける老後になってしまった。この状態も1月で終わりであろう。
 朝起きると自分の朝食だけがテーブルにある。そして、家人は早出でもないのに30分も前に出発した。たぶんいつものパン屋さんでモーニングを食べるのではと想像する。
 さっそく、暖房費節約のために外出する。天気がいいので、約2km先のセカンドオフィスへ向かう。まあ、昨日と同じである。
 歩き始めて、白い煙幕に会う。見れば整備不良トラックがオイルの焦げた白い煙を出しながら止まっている。煙草の煙も嫌な自分には耐えられず、歩くのを止める。(怒りその1)
 店に着いて、スピーカーの真下の席に座る。注文はモーニングにする。
 何の前触れもなくドイツで屋台のホットドッグを食べたことを思い出して、導かれるように頼んだ。

 しばらくすると、ベレー帽のおっさんが自分の隣に座る。それも、テーブルの中心より自分よりに座るモノだから、15cmほどしか離れていない。店はガラガラなので離れて座ってくれればいいのに、気が散るなあ。(怒りその2)
 すると今度は、2つ離れたテーブルに連れの方が来られて向かい合わせに座り、大声で会話し出す。中身は、どこそこへ行った時にうるさかったと言っている。世のおばさんたちは難聴気味なのだろうか。(怒りその3)
 そして、この文章を書いていたが、全て消えていた。(怒りその4)

■「こといづ」(高木 正勝著、木楽舎、2018年)を読む。
「〜あまりに西洋化された自分に嫌気がさして〜」
「大人になるためにその都度捨てて来た自分〜」
「どんなにすばらしい才能を持った人でも、その才能が常にいつでも出て来るものじゃない」
「〜旅の醍醐味は勘違いなのです。」
「〜いつも常に通過点でしかなく、気づきの連続でしかなく〜」
「イメージできたことは、だいたい実現される。」
「どんな仕事でも何かを学んでいる」
「時間は常に流れ、ただ過ぎていき、その瞬間だけがある」
「自然と共に生きて居ると実感する以上に、幸せなことがあるだろうか。」