国立劇場開場50周年記念公演を盛り上げる国立劇場のマスコットキャラクターくろごちゃん。

全世界で話題のピコ太郎さんの『PPAP』を長唄囃子でアレンジして踊る『PNSP』の動画を公開しました。

とにかく話題沸騰中です!

皆さんもぜひ、ご覧ください!

https://www.youtube.com/watch?v=Idw8PHP4yCw

光春野村楽器店がニッセイ・バックステージ賞を受賞

このたび全邦連会員の光春野村楽器店3代目店の山中正夫氏が第22回 ニッセイ・バックステージ賞を受賞しました。

ニッセイ・バックステージ賞とは 公益財団法人ニッセイ文化振興財団が舞台芸術を裏から支え、優れた業績を挙げておられる舞台技術者、いわゆる「裏方さん」たちを顕彰する賞です。
華やかな舞台の裏側で舞台づくりに不可欠な仕事をされている方に光をあて、そのご労苦に報いるとともに、後継者の人材育成のための一助になればという願いのもと1995年に創設さた賞です。


光春野村楽器店 山中正夫・昭和15年1月2日生
東京・新橋生まれ。野村楽器店2代目店主で黄綬褒章を受賞するなど優れた箏製作者であった父、寅一氏に15歳で弟子入りし、その技術を学んだ。「お箏は何より音が命。演奏家に望まれる箏を作り、糸を張れ。その為には演奏家の弾く姿をよく見ておけ。」と厳しい指導を受け、60年以上にわたってこの道一筋に研鑽を積んできた。その言葉通り、演奏家や一門の特徴をしっかりと把握することで、高い技術力とともに人間性も評価され、人間国宝を始めとする名人、およびその一門の演奏会には欠くことのできない人材となっている。
また、光春野村楽器店の3代目店主として、箏の製作にとどまらず、箏の運搬、箏糸の張替え、箏柱立て、舞台設営、演奏終了後の梱包といった業務を一貫して請け負い、数多くの演奏会を裏から支えている。
近年、箏に使用する箏糸が耐久性、経済性の観点から合成繊維製に代わるなか、日本古来の音を奏でる絹糸製を使用する演奏家が限られているのと同様に、絹糸製を用いた箏の調整技術を有するものは少なくなっており、この技術の優れた伝承者の一人として後進の指導にも尽力している。



ニッセイ文化振興財団とは(http://www.nissaytheatre.or.jp/outline/

日生劇場を運営し 内外の優れた質の高い作品を低廉な料金で上演、提供する一方、これらの舞台芸術を支える俳優・歌手・演出家・舞台技術者の育成とともに、舞台芸術愛好者層を拡げる活動を行っております。

<沿革>
1973年11月に日本生命保険相互会社の出捐により、日生劇場を中心として『すぐれた舞台芸術を提供するとともにその向上をはかり、わが国の芸術文化の振興に寄与する』ことを事業目的として「ニッセイ児童文化振興財団」が設立されました。

1993年11月に、より広範かつ充実した活動を行うため事業活動を拡大し、「ニッセイ文化振興財団」に改称しました。そして2009年10月に内閣総理大臣より公益認定を受け同年11月に設立登記を完了し、「公益財団法人ニッセイ文化振興財団」として改めてスタートしました。



株式会社光春野村楽器店
〒158-0095 東京都世田谷区瀬田1丁目13−1
TEL 03-3700-5306

和楽器の魅力が満載!和楽器の魅力が分かるマンガ3選!

(music.jpニュース)
楽器と言われて、どのような楽器を連想しますか? 多くはピアノやギター、ヴァイオリンなどの普段から良く見ることができる楽器を連想してしまう方も多いと思いますが、琴や和太鼓なども日本に古くからある伝統的な楽器ですよ! そんな和楽器ってどんな種類があるの? どんな曲があるの? という方におすすめのマンガを3作品紹介します!

箏曲部ってどんな楽器を扱うか分かりますか? この音とまれ!
この音とまれ!」は集英社から発行されている「ジャンプスクエア」で連載されているマンガで、作者はアミューさんになります。
この音とまれ!」は筝(こと)の話になります。主人公は高校1年生で元不良の久遠愛(くどおちか)。中学時代は上級生ですら恐れた程の不良で、喧嘩をよくしていました。親に見捨てられた過去から自暴自棄になり、筝職人の祖父に預けられ、筝への理解と精神的な落ち着きを持つようになります。中学3年の時に起こった事件により祖父を失い、「祖父が大事にしていたものが何なのか知りたい」という気持ちから高校の筝曲部に入部するところから物語は始まっていきます。
この「この音とまれ!」には倉田 武蔵というもう1人の主人公がいます。不良の愛と違い筝曲部の部長で、メガネをかけた真面目な学生。この2人とヒロインである鳳月さとわの3人を中心とする青春マンガになります。
筝の魅力が満載で、マンガにでてくる曲を聴いてみたくなるマンガです。ぜひ読んでみてください!


>「この音とまれ!」作品ページへ


問題児ばかり? ミッション系にある和太鼓部の物語! 「和太鼓 ガールズ
「和太鼓 ガールズ」は双葉社から発行されている「月刊アクション」で連載されているマンガで、作者はすたひろさんです。
「和太鼓 ガールズ」は優等生で孤独な松沢環とシスター見習いの新島マリアとの出会いから物語は始まっていきます。舞台はミッション系女子校である珠ノ坂女学園、通称珠女の高等部。松沢環は勉強も音楽も出来る女子で、ピアノなどは同級生ではマネできないほどの難しい曲も優雅に演奏することができたが、その当時、音楽の先生をしていたシスターから「つまらない音」といわれ、音楽もシスターも嫌いになっていきます。そんな環が高校に入学し、部活の見学をしていた時に出会ったのが和太鼓でした。シスターの姿で和太鼓を叩く女性と和太鼓の音に心臓が持ち上げられる感覚になる環。和太鼓を叩いていたのは言葉を持たないシスター見習いの新島マリアという女性でした。そのマリアとの出会いが環を変えていく物語です。和太鼓部には環が入学した際、マリア1人しか在籍していませんでした。部員が5名集まらなければ廃部という和太鼓部に入部してくるのは問題児ばかり。そんな問題児が和太鼓で奮闘する青春部活コメディになっています。


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16歳の青年が津軽三味線とともに成長していきます! ましろのおと
ましろのおと」は講談社から発行されている「月刊少年マガジン」で連載されているマンガで、作者は羅川真里茂さんです。作者の羅川真里茂さんは少女マンガの作者として活躍されてきた人ですが、この「ましろのおと」は少年誌で初の連載マンガとなります。 この「ましろのおと」は羅川真里茂さんが書きたかったマンガと言っているマンガで、津軽三味線を題材としたマンガになっています。まんがの題材でもある「ましろのおと」は「まっしろの音」と「まっしろノート」という意味が込められており、この「ノート」とは音符などの意味があります。物語は主人公である澤村雪という16歳の男性が東京に上京する所から物語は始まっていきます。雪は津軽三味線の奏者でしたが、三味線の師匠でもあり、祖父でもあった松吾郎が亡くなった事で、地元で自分の音を探せないと感じ、思いつきで上京することになります。そこで雪は様々な人と出会っていく青春ストーリーになっています。
雪は人との付き合いが得意ではない青年ですが、上京後に通う事となった高校で様々な人との出会いがあります。多くのキャラクターが出てくる「ましろのおと」ではその各キャラクターの背景も色濃く紹介されています。読んでいくにつれて先がきになる作品です。


>「ましろのおと」作品ページへ


ここまで3作品のマンガを紹介してきました。和楽器ってなかなか触れ合う機会もなく、思い浮かぶものも少ないと思いますが、この3作品を読むことで、この楽器ってどんな音? この曲を聴いてみたい! と思えてしまうかもしれませんよ! マンガだから音は聞こえないのに、マンガから音が聞こえてくるような作品ばかりです。普段からなかなか触れ合うことがない楽器だからこそ、その魅力が満載の3作品をぜひ1度手に取って読んでみてください!

【花形出番です】 文楽三味線・鶴澤寛太郎さんpart3,4

(産経ニュース)
(3)心底難しい太夫の女房役
 文楽の三味線は、よく太夫の女房役に例えられます。語りを助け、時にリードし、物語の情景や空気を作り、それぞれの登場人物の心や動きを音で表現しなくてはなりません。
 だからこそ、三味線は本当に難しい。弾き分けは僕らの存在理由ですが、そういう意識を持って取り組んでも、実際に弾けるかは別問題。さらに、お客さまに届くかは、もう一段階先の話で、ステップは多いです。
 太夫との共同作業ではバランス感覚も問われます。「気遣いでけへんやつは三味線弾き、やられへん」とよく言われますが、出過ぎることは簡単です。太夫の芸風やその日の体調も考え、どう語りを支え、お尻をたたき、寄り添うか。そのさじ加減が求められます。
 連れ弾き(複数の三味線の合奏)に付くときも、芯の三味線が弾き方を変えれば、それに対応できる選択肢を持っていなければいけません。三味線を弾くことに手いっぱいで、技術うんぬんという段階は素人に毛が生えた程度。技術面、心構えともに、非力ながら自分なりの準備を重ねた上で、本番の舞台で全方位に神経を研ぎ澄ませ、稽古とはガラッと変化する本番の舞台で、もう一回練り直す。これが将来結実すると信じています。
 舞台で太夫とけんかせず、道を整え、光を灯せるのがプロの三味線弾きだと思います。考えれば考えるほど迷いは深くなります。


(4)20代のうちに挑戦したい
音楽はカラオケを含め、大好きです。楽器もいろいろ演奏したい。平成26年、「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)(阿古屋(あこや))」で琴、三味線、胡弓の三曲を演奏できたのは、シンの三味線を弾いた祖父(文楽三味線の人間国宝鶴澤寛治)のおかげですが、いい勉強になりました。文楽の三味線弾きはたくさんの弦楽器を演奏しますが、結局は三味線が好き。
 でも、10代半ばまでは辞めることも考えました。学校は早退・遅刻、楽屋や舞台では何をすればいいか分からない。何もかも中途半端で、居場所がない、と悩みました。
 迷いながら高校に入学後、「もう辞めへんやろ。安心したわ」という祖父の言葉が漏れ聞こえてきた。弟子は僕だけですし、何より孫。ここまでしてもらった以上、辞めることはできない、と腹を決めました。
祖父にあこがれ、この道に入った以上、名前を絶やさず、継承する責任はあると思っています。ただ、歴代寛治はみな名人で、先代も人間国宝。あまりに大きな責任で、襲名は全く想像がつきません。
 今年8月12日、東京・渋谷区文化総合センター大和田で、初の「鶴澤寛太郎の会」(チケットは5月頃発売予定)を開催します。20代のうちに挑戦したい、精いっぱい背伸びをしたい、と「絵本太功記」から尼ケ崎の段を選びました。迷い、模索しながら、空気や香りのある三味線を追求し続けるつもりです。

【花形出番です】 文楽三味線・鶴澤寛太郎さんpart1,2

(産経ニュース)
(1)祖父の「曲弾き」受け継ぐ
国立劇場(東京都千代田区)で6日に開幕した二月文楽公演の第2部「関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)」で、三味線を回したり、頭上で弾くなどする「曲弾(きょくび)き」をしています。

 大坂の人気力士の八百長を題材にした物語で、豊竹嶋大夫師匠(人間国宝)の引退披露狂言でもあります。吉田簑助師匠(人形)、祖父の鶴澤寛治師匠(三味線)と、人間国宝3人が勢ぞろいする貴重な舞台に参加させていただけるだけで光栄です。

 1月も国立文楽劇場大阪市)で、同じ演目で曲弾きをしましたが、年末の舞台稽古では何もかも成功せず、師匠をはじめ、周りの人たちを心配させました。不器用でしんどい思いをしましたが、1月3日の公演初日、初めて大きなミスなくできた。お客さまが息を詰めて注目してくださっているのが伝わり、お客さまの拍手に助けられました。
曲弾きは、祖父が受け継ぐ竹澤家(寛治の前名は竹澤團六)の芸です。過去には、三味線の胴を破り、中から万国旗を出した人までいたそうです。僕も燭台(しょくだい)のろうそくで弾こうかとも考えたのですが、消防法の関係で断念しました(笑)。

 太棹(ふとざお)三味線の音の多様さや櫓太鼓(やぐらだいこ)を表す打楽器的な部分が伝わるよう、間(ま)の取り方や、細かい指使いの精度を上げ、音をクリアに届けられるよう気をつけています。でも、客観的に後で聞き直すとまだまだ。日々、修正を加え、祖父の教えを受け継ぐつもりで演奏しています。(談)


(2)祖父の「音色」に憧れて 
もとは祖父(文楽三味線の人間国宝鶴澤寛治)に琴を習っていたんです。6歳から弟2人と3兄弟、同じ奈良県内に住む祖父の家に毎週日曜日、通いました。3人とも家で復習をせず、怒られる日もありましたが、稽古後には必ずお小遣いをもらいました。琴を嫌いにならないような祖父の工夫だったと思います。

 文楽の舞台も「おじいちゃんの舞台を見た後、ご飯行こう」と連れられ、客席でよく寝ていました。たまたま起きて聴いていた10歳のあるとき、幸か不幸か、道行(複数の三味線が並んで演奏する曲)で、祖父の音だけ異質な音に聴こえたんです。

 祖父の三味線は圧倒的に潤いがあって、美しかった。力強く男性的と表現されることが多い楽器ですが、色気と女性を感じさせる魅力的な三味線だと思ったんです。

 琴より三味線の方がええなぁと思い、母に「僕、三味線の方がええわ」と言ったら、猛反対されました。母(寛治の次女)は曽祖父(六世寛治)と祖父を見て育ち、この世界の厳しさをよく知っています。
でも、僕は文楽が好きというより、祖父のような音が出したいから、祖父に三味線を習いたかった。祖父に手をついて、「三味線をやらせてください」と言ったら、すごく喜ばれました。初の三味線の稽古で、祖父はずっと笑顔でした。

 2年後の正月、祖父の七世寛治襲名披露(平成13年1月)で、当時13歳の僕も『蔵下屋敷』の琴で初舞台を踏みます。「師匠と弟子」に関係が変わり、褒められることも小遣いもなくなりましたが、音に憧れる気持ちは変わりません。(談)

三味線製作の職人

西日本新聞
民謡の代表的な伴奏楽器は弦楽器の三味線である。三味線の起源について定説はないが、説の一つとしては江戸時代に中国から入った三弦を和風に改良し、進化させたものと言われている。

 民謡は本来、歌だけであった。ギターの仲間である三味線の伴奏が付くことで民謡を現場だけの作業歌としてだけではなく、聴き手のある「音楽」として成長させた。民謡は座敷歌としてもてはやされ、昭和初期に始まったレコード文化にも大きく寄与することになる。

   

 福岡県八女市の紺屋町通りに和楽器を扱う「志げとみ楽器」がある。店に入ると、材料や制作途中の三味線が所狭しと並んでいた。横では接着剤の膠(にかわ)が煮込まれていた。

 「70年前に親父が始めた店です。和楽器の需要が少なくなっていますが、家族で守っています」

 2代目の重冨久邦(68)は言った。弟の清、息子の勝洋の3人で三味線を製作している九州でもごく少ない店だ。一言で三味線といっても民謡、長唄浄瑠璃など用途によってそれぞれ長さ、大きさが違う。

 重冨は大学時代から父の見習いとして修業し、卒業後はそのまま店に入った。

 三味線は棹(さお)と胴と皮から構成されている。材料の木はインド、スリランカ原産の銘木の紅木(こうき)だ。自生の紅木の減少で現在、輸入規制があり、入手が難しくなっている。

 「江戸時代はサクラなどが使われていたようです。明治時代から使用されるようになった紅木は堅く、ねじれにくく、音の通りがいい」

 店には紅木の在庫があり、それだけでも貴重だ。大体、三味線一丁を仕上げるには10日ほどかかる。もちろん、重冨は三味線を弾くこともできる。

 「製作もそうですが、1番難しいのは調弦です」

 福岡市の博多座での三味線を使う出し物のときは調弦のために呼ばれることも少なくない。また、損傷した場合、「明日の夕方までに仕上げて」といった緊急要請にも応えている。八女市にもかつて200人の芸妓を抱えた検番もあった。父親の代には朝、芸妓から修理依頼を受けて夕方までに届けたこともあったという。

 礼儀作法を含めた稽古事が徐々に日常から消えつつある時代だけに和楽器の製作、販売は厳しい状況だ。重冨は言った。

 「大変ですが、寂しさ、悲しさ、うれしさといった感情を表現できる三味線作りを目指しています」

 父子2代で製作した三味線は千丁にものぼる。

 「音を聴けば『志げとみ』で作った三味線かどうか一発でわかります」

 職人の自信であり、自負だ。

和楽器バンド、3月に初のNY単独公演決定 ライブ・ネイションが熱烈

(livedoornews)
和楽器と洋楽器を融合させた8人組・和楽器バンドが、世界最大のコンサートプロモーター、ライブ・ネイションとタッグを組み、3月14日に米ニューヨークのアービングプラザで『WagakkiBand LIVE in N.Y. -AKATSUKI-』を開催することを発表した。2014年4月のデビューから2年足らずで、初のNY単独公演を行う。


(写真は初の武道館コンサート)

きっかけは昨年7月。米ロサンゼルスのクラブコキアで開催された『Anime Expo』でのライブが注目を集め、現地の人気番組『GOOD DAY LA』に生出演。数多くのメディアにも取り上げられ、レディー・ガガ、マドンナ、U2Jay-Zらのライブを手がけるライブ・ネイションの上席副社長ショーン・ストリーゲル氏の目に留まった。

 同氏は今月6日に行われた和楽器バンド初の東京・日本武道館公演を鑑賞。「メンバーの一人ひとりがそれぞれ特別な才能とキャラクターをあわせ持ち、それらが打ち消すあうこともなくうまく融合し、1本の映画を観るようなすばらしいライブだった」と感銘し、「ぜひ、アメリカをはじめ世界中の人たちにもこの感動を体験してもらいたい」と熱烈オファー。その場で今回のタッグが決定した。

 詩吟師範の鈴華ゆう子がボーカルを務める同バンドは、いぶくろ聖志(箏)、神永大輔(尺八)、蜷川べに(津軽三味線)、黒流(和太鼓)、町屋(ギター)、亜沙(ベース)、山葵(ドラムス)からなる男女混成8人組。14年7月にフランス・パリで行われた『JAPAN EXPO』では4000人を熱狂させ、昨年は4度の台湾公演を3分で完売させるなど、積極的に海外展開も行っている。

 ニューヨーク公演と同時期に、テキサス州オースティンで開催される世界最大規模のフェス『SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)』(3月11〜20日)に出演することも決定。クールジャパンのアイコンとして、より一層注目を集めそうだ。

和楽器バンド『WagakkiBand LIVE in N.Y. -AKATSUKI-』
公演日:3月14日(月) 午後7時開場/8時開演
会場:NY IRVING PLAZA
チケット一般発売日
・米国東海岸時間1月29日(金)午前10時〜
・日本時間:1月30日(土)午前0時〜