『ひらがな日本美術史2」橋本治

 ひらがな日本美術史シリーズの二冊目、今度は中世編と言う事で、院政期から室町時代までを扱っている。
 まずは日本や中国など東アジアの上流階級では、古来「肉体」というものを軽視していた、という話。絵巻ものに「ポルノ」は少なく、中国でも性のテクニックや知識の収拾と言う点では熱心だったが「肉体そのものの造形」を絵にして楽しむという発想には乏しかった。
31.まざまざと肉体的なもの「稚児草子」

 性的なタブーがないはずの日本の上流階級がポルノをあまり作らなかった理由は、おそらく一つである。彼らは"肉体"というものを持たなくて、だから"肉体によるドラマ"をドラマだと思わなかった。ポルノとは、肉体を持ってしまった人間が演じるドラマの一つなのである。それだけのことが分からないのは、やはりつまらないことであろう。(p118)

 それが院政期、どう変わるか。
24.それでも古典的なもの「平治物語絵巻」後編

 院政の時代とは、摂政関白という"たった一人の男"に牛耳られていた優雅な抑圧の中から複数の男たちが誕生する、猥雑な時代なのだ。衣装は相変わらず"優雅な王朝風俗"のまま、複数の男たちは自己主張を繰り返す。<<平治物語絵巻>>の、引いてロングで見れば優雅だが、近寄ってアップで見れば全然違うものに見えるという二面性は、その院政時代の多様化の反映なのだ。(p45)

 大和絵に見られる顔について、下膨れ・引き目鍵鼻の類型的なものから、「平治物語絵巻」に見られる多種多様で個性的な人物たちへの変化について述べた章。実際「平治物語絵巻」の下級武士とか牛引きとかの顔って、本当に、今のマンガに出てもおかしくないような造形だったりする。
 こうして、"肉体"を発見した日本人だったが……。
22.歪んでいるかもしれないもの 運慶作「八大童子立像」

 鎌倉時代は、武士の時代であり仏教の時代だが、その仏教の時代の内実は、「民衆の中に仏教が入っていった時代」だ。(中略)そして、鎌倉時代は結局武士の時代で、あまり民衆の時代でなかった。

 鎌倉時代が、なにかを中絶させたままの時代であることだけは、容易に分かる。なぜかといえば、鎌倉時代を最後にして、日本からは"彫刻"というものがほとんど姿を消してしまうからだ。

 この時代に、少年達はこのように美しい肉体表現を持っていた(註:運慶の八大童子立像のこと)。そして日本には"その後"がなかった。だから―人間だけに限らない、すべての生き物が持つ"色っぽさ"はこの時代でストップしている(p22)

 「色っぽさ」という表現はいいですね。結局この「色っぽさ」が回復するのは、近世になってからだった……と、言う訳で3巻に続く。

ひらがな日本美術史 2

ひらがな日本美術史 2

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