素数蝉は土の中 RSSフィード

2010-05-26

ふりかえること

20:37

電車ですわっていて降りるとき、銀行のATMを利用して銀行から出るとき、わたしはうしろをふりかえり、忘れものがないか確認する。

親友が、まえに言っていた。

「ふりかえると、なにもないんだよね。忘れものしちゃうときは、ふりかえるの忘れてるときだから」

電車で、銀行で、職場で、さあ帰ろうとふりかえるとき、いつもわたしは彼女のその言葉を思いだす。

いつか、ふりかえるのを忘れて、だいじなものを置きっぱなしにしてしまうかもしれない。

もしくは、ふりかえったとき、彼女の言葉を思いださなくなる日があるかもしれない。


それは、いやだなあ。

わたしは今日もふりかえる。だいじなものを、忘れないために。

2010-04-21

部屋とYシャツと、時々、わたし

21:32

結婚してからというもの、部屋部屋Yシャツばかりにかまけて、「わたし」をかまうひまなんてなく、「部屋」より「Yシャツ」より、なによりも食事の準備で一日がうまる。

そんなわけでせめてもの憂さ晴らしに始めた料理ブログ

「ものがたりとごはん」

今日のご飯考えるのでせいいっぱいで、世界征服はあきらめるしかないのです。

2010-03-24

猫楠

20:40

猫楠―南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)

猫楠―南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)

死んだあとのことはわからない、死んでからほんとうの生がはじまるのかもしれない。

そうかもしれない。

熊弥が発狂するところで泣きそうになった。

『猫楠』の参考文献にもなっていた『南方熊楠』の著者、鶴見和子さんが、病気で半身不随になった際のことば。

「ひとつの体の中に死者と生者がいるのよ

誰にでもできることじゃないでしょ

面白いじゃない」

さすが熊楠研究者

そうそう言えるものじゃない。

さらに鶴見さんはその死の直前に

「死ぬということは面白い経験ね

こんなの初めて」

と、おっしゃったという。

うん、楽しみにしておこう。

南方熊楠 地球志向の比較学 (講談社学術文庫)

南方熊楠 地球志向の比較学 (講談社学術文庫)

2010-01-27

2009-12-24

死んでいる

17:43

ジム・クレイス「死んでいる」は、主人公の夫妻が物語の冒頭からすでに「死んでいる」小説。

著者ジム・クレイスは、無神論者だった父の死を消化できず、「死」を、宗教的言説をもちいずに納得するためのひとつの方法として、自然科学に徹した死の描写を軸にしたこの小説を書いた、みたい。

この小説の中で、主人公の夫婦であるセリースとジョセフ以上に強烈に「死んでいる」のは、フェスタという名の友人。

セリースとジョセフが出会いはじめてセックスをした場所、学生時代に研究室の合宿で宿泊した海岸。その合宿所の火災で亡くなったフェスタ。

「彼女は三十年間死んだまま。」

その海岸を再訪し、セックスにもちこもうとするジョセフと気乗りしないながらも応じるセリースは、半裸のまま、もの盗りに殺害される。

すれ違いっぱなしでも寄りそう夫婦の、死の直前の描写がとても美しい。


「優しさを情熱に先行させたかったのだとしたら、今は彼女の思い通りだった。ジョゼフは両方を同時に示すことができなかった。そうできる男は少ないだろう。情熱は数秒間の行為だ。自分が最も切望することを果たせばいいだけ。だがそれより静かな悦びというものは、数十年をかけて築き上げられるもの。彼女は、両手の指の関節で、夫の背骨を撫で下ろした。

「湾は、また歌ってくれるかしらね。おぼえてる?」

二人は待った。そのあいだジョゼフはむっつりとサンドイッチを食べ、ほとんど話そうとしなかった。二人はバリトンに耳を傾け、肉が立て直しを図るのを待った。

彼女は煙草を吸いたかった。性交前の一服。けれどもそうはせずに、彼の頭、首、両耳に口づけした。薄くなった夫の髪に、鼻と唇を押しつけた。胸を撫で、落ちたサンドイッチのパン屑を払ってやった。」

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