高田修三の空想科学雑談

高田修三が、幾分か科学的に、好き勝手空想する。

「働けない」と「働きたくない」は明確に区別できないと思う

生活保護への批判が至る所で見られる。
いわゆる「働けない人」への生活保護はほとんど聞かれない
問題なのは、「働けるはず」である人が生活保護を受給する場合である。

ちなみに僕はベーシックインカムに賛成である。
働きたくない人は無理に働く必要はないと思う。
それに「働けない人」と「働きたくない人」をきっちりと区別するのは無理だと思う。

例えば、鬱病は働けない立派な理由になると思うが、ネット(特に2ch)で検索してみると鬱病を患っているにもかかわらず、生活のために無理して働いている人がたくさんいて本当に驚いた。
鬱病でも働いている人がいるから「病気でも我慢すれば働けるんだ。甘えるな」と言えなくもないのではないか?でもその理論ってどうなの?

体を壊した場合も働けないちゃんとした理由になると思う。例えば腰痛。僕はかつて自動車工場で働いていて腰を痛めたことがある。上司に相談したが、塗り薬をくれただけで、休ませてくれず無理やり働かされた。
「怪我して痛くても、痛いのを我慢すれば動けるんだから、働けるだろ。甘えるな」という理論も成り立つかもしれない。っていうか実際そのようなことを上司に言われた。
でもこの理論もどうよ?

学校でひどりいじめに遭って、対人恐怖症になって引きこもりになってしまった人がいるとする。
こういう人にも「働けるだろ甘えるな働け」と言えるだろうか?

職場で毎日毎日罵倒されプレッシャーをかけ続けられ、精神が壊れかけているのに「みんな必死の思いで働いているんだ。甘えるな働け」とやはり言うのだろうか?

「死ぬほど働きたくない。働くぐらいなら死んだ方がまし」という価値観やそういう状況に置かれている人は、もう立派な「働けない」だと思うのだ。いやもっと手前の段階のでも「働けない」というカテゴリーに分けられると思う。
でもどこでその境界線を引くかは明確には決められないと思う。


僕は、もう人類は無理して働く必要はないと思う。
一生懸命働く必要があったのは、物が不足していたからだが、今の時代はこれだけ生産性が上がり、モノも満ち溢れている。
働きたくない人は働かなくてもいいのだ
働きたい人だけが働けばいいのだ
働くことはもはや人類にとっての必須の活動ではなく単なる娯楽の一種に過ぎないと思う

あなたはどう思う?