空中キャンプ

2006-08-10

音楽があまり重要ではなくなってしまった

三十代になっても、音楽がなによりすき、という人がうらやましくてたまらない。かっこいいなあ、とおもう。わたしは、そういうおとなを目指しながら、いつしか挫折してしまった。日常的に、音楽をあまり聴かなくなった。音楽を聴いて、ふるえるような感動をすることがなくなった。そして、生活の中で、音楽があまり重要ではなくなってしまった。こんな自分がなさけない。十四歳のわたしがそれを知ったら、さぞやがっかりするだろうなあ。いったい、いつからこうなってしまったのだろう。せっかく買ったiPodには、NHK「フランス語講座」のテキストCDしか入っていない。しかし、三十代で、あるていど音楽から遠ざかってしまっている人なら、わかってもらえるのではないか。十代、二十代の頃とおなじように音楽と接することは、もうできないという感覚が。

感受性が鈍ってきているのだという自覚がある。わたしも以前は、もっと繊細でするどい感受性があったような気がする。一枚のアルバムから、たくさんのイメージをひきだしながら、じっくりと音楽に向き合っていた時期があった。あの「聴き」の体勢は、かなりのものであったと、自分でもおもう。そのころに聴いていた音楽は、当時の記憶とわかちがたく結びついていて、曲を聴くだけで、過去の記憶がわきでてくるような感覚がある。音楽が、記憶やイメージの洪水をひきおこすような、つよい力を持っていたわけだ。そして、過去のわたしは、それだけしっかりと、音楽を聴いていたということなのだ。今では、CDやレコードをさがしにいくのも、めんどうに感じてしまうし、部屋で音楽を聴くひまがあったら、水泳をした方がいいとか、本を読みたいとか、べつのことをするようになってしまった。あれほどにするどい感受性で音楽を聴いていた自分がいたとは、とてもおもえない。

こうして、音楽の気持ちよさがわからなくなり、季節の変わり目を感じることができなくなり、わたしはしだいに、つまらない人間になっていくのである。くやしいので、部屋でエレキギターをかきむしってみたが、十代のころの演奏とは、テンション、気合いがまるでちがうことに気がつき、さらに落胆するのであった。