空中キャンプ

2007-08-30

2007夏休み映画まとめ

コンビニで秋ビールが売りだされると、もうなんか夏がすっかり終わっちゃった感がしてとても残念です。缶ビールごときに、季節の変わり目を感じてしまうわたしたち。かんがえてみれば、コンビニってふしぎな季節感のある場所だ。おでんとかさ。あれ、なんだろうね。コンビニの季節感って。さて、たのしい夏が(ほぼ)終わってしまったので、わたしの自由研究である「夏休み映画」についてまとめておきたいとおもいます。まだ「釣りバカ」は残っているけど、あれはわたしの基準では、夏休み映画には入らない。あれは単に、おっさんが釣りをするだけの映画であって、主人公がなにか精神的に成長するわけでもないしね。

今年わたしが見た夏休み映画は、「サイドカーに犬」「河童のクゥと夏休み」「遠くの空に消えた」「阿波DANCE」(公開日順)の四つでした。「天然コケッコー」も、夏休み映画的な宣伝をしていたので、制作者側は夏休み映画として意図していたのかも知れないけど、シークエンスが四季に渡っていたこともあったし、夏休み映画とは呼びにくいため外しました。でもあの映画における夏の季節感はすごくよかったですね。みんなで海にいく場面とか、うまく夏の空気が映像になっていた。

では夏休み映画とはどう定義されるのか。夏休みとは、あらかじめ終わりの決まっている、喪失の決定づけられた時間だということができる。作品においては、夏休みが終わってしまえば、そこで起こったすべてのできごとや関係も終わってしまう。決して継続しない。主人公は、特別な相手と出会い、そこに祝祭のようなひとときが訪れる。しかし、その相手も、最後にはもちろんいなくなってしまう。あらゆる人、できごとはその夏の間だけしか存在しない。これはきっと子どもでも大人でも同じだけれど、とてもたのしい時間をすごしながら、ふと「今はすごくたのしいけど、この時間はきっと長くは続かないんだろうな。あー、ほんのすこしでもいいから続けばいいのに」と感じることがあるようにおもう。おそらく、そうした幸福の中で感じるちいさな不安や、ふとしたタイミングでやってくるせつなさが作品の中に描かれているのが、いい夏休み映画なのだとおもう。つまり、夏休み映画の最後は、かならず別れで終わる。主人公は離別を経験しなければいけない。

今年の夏休み映画の中では、なんといっても「サイドカーに犬」がとびぬけてよかったです。他の作品がほとんど比較にならないくらい、ほんとうにいい映画だとおもう。夏休み独特の儚さがうまく映像になっているし、主人公が出会う女性、ふたりのあいだにある、ひとときの幸福な時間やその祝祭性がみごとだった。ふたりで公園のベンチに座ってコーラを飲むシークエンスのまぶしさ。浜辺を走る少女の躍動したようす。そしてそれらすべてが、ほんの一瞬で終わってしまうだろうという悲しい予感に満ちているところ。ここで、この作品が別離で終わることを書いたとしても、物語の筋を明かしたことにはならない。それはあらかじめ決定されているからだ。本人たちがどれだけ望もうとも、ふたりの関係は決して継続しないことを、わたしたちは即座に理解することができる。「サイドカーに犬」における離別のほろ苦さは、抑制がきいていて、大げささがないぶん、より印象的なシークエンスになっている。

上記四作品は、すべて別離が描かれていた点で、夏休み映画としての条件を満たしているとおもいます。正直、各作品のクオリティにはかなりのばらつきがあったけれど、「河童のクゥ」における別離は、少年の成長譚として秀逸だったとおもうし、映画としてもあまずっぱさがあってよかった。コンビニで季節を感じるのはあまりすきじゃないけど、映画館で夏を感じるのはとてもたのしかったです。