空中キャンプ

2008-01-04

なぜ福袋は売れるのか

初売りのセールで働いている、アパレル関係の方たちの意気込みにはすごいものがあり、たしかに2日から仕事ともなれば、あのテンションじゃなきゃやってられないのだろうし、一年でいちばん忙しい日だからこそ、販売員の魂にも火がつくのであろう。売る気まんまんである。「いらっしゃいませー」の声がいくぶん咆哮に近い。スクリーム。そうしてがんばっている人を見るのは、いかにも正月らしく威勢がいいものだ。デパートはどこも、ちょっとしたお祭りである。精算するのにも列ができていて、レジに辿りつくのに25分待った。本を持ってきておいてよかった。

しかし毎年の疑問ではあるが、なぜ福袋はあれほどに人気なのだろう。たいていどの店も福袋を準備しており、開店早々になくなっていくのだが、中身がなにかわからないものに対してお金を払うというのも、考えてみればふしぎな話だ。そんなあやしげな商売の手法が、正月限定で成り立っているのである。福袋が売れる理由として納得できるものは、とりあえずふたつある。「1万円の福袋に、3万円相当の商品が入っている」といったお得感と、開けるまで買ったものがわからないというギャンブル的要素。これを、正月特有のめでたい雰囲気が後押しして、福袋は売れるのだと考えれば、説明としてはじゅうぶんだ。だが、福袋を買う心理はもうすこし複雑であるような気がして、わたしはさらにひとつつけくわえてみたい。

個人的なことになるが、わたしは黒い服ばかり買ってしまう。毎年、似たような服ばかり買ってしまうのである。去年のセールで黒のジャケットを買ったのだが、今年もまた黒のジャケットを買ってしまった。ふたつのジャケットをくらべてみれば、生地がちがうとか、襟の角度がもっとななめだとか、丈がすこし長めだとか、細かいデザインやディテールは異なっているが、そんなもの、わたし以外の誰から見ても、同じ黒のジャケットにしか見えない。だからといって、茶色や紺のジャケットを買うか、といわれると、いかにも似合わなそうな自分を想像して気が進まず、ムダな投資を避けたいという気弱な発想も手伝って、無難な黒ばかりを買ってしまう。上から下まで黒くなってしまうわたし。MIB。なんかこう、UFO見た人の記憶とかを消して回りたい心持ちである。きっとわたしだけではなく、たくさんの人たちが、「似たような服ばかり買ってしまう」という悩みを持っている。

こういうとき、スタイリストという存在は実に便利だろうな、とおもうのである。ふだん自分が着ないようなタイプの服を持ってきて、「これとか、意外にいいんじゃないですか」などとアドバイスしてくれる。いいなあ。つまり、自分の服をすべて自分で選ぶという行為を「積極的自由」と呼ぶとすれば、積極的自由には限界がある。なぜなら偶然や意外性をあまり含まないからだ。正直なところ、わたしはもう積極的自由に疲れている。だから黒しか選ばなくなってしまったのだ。そこで、他人の判断や偶然性を呼び込む。自分の考えつく選択肢だけでは到達しえない結論にアクセスする。それを「消極的自由」と呼ぶとすれば、選択を他のなにかに委ねるというのは、なかなかいい知恵である。閉塞した状況を打破できるかも知れない。

ことほどさように、福袋には「消極的自由」が入っている、という要素を、みっつめにつけくわえてみたいのである。福袋には、ふだん着ないような服が入っている。店員さんがつめ込んだのは偶然性であり、それを取り入れて、どうにか手持ちの服とコーディネートさせてみる。きっと、おもいもつかないようなファッションができあがるはずだ。偶然性を呼び込む遊びとして、福袋はなかなかおもしろいなとわたしはおもう。