空中キャンプ

2008-09-28

ちょうすごい!

[]『トウキョウソナタ』を見たゼ!

恵比寿にて。初日。黒沢清新作。すごくよかったです! 最高! いやー、これびっくりした。上映のあいだ、二時間(119分)ずっと、「俺は今、なんかこう、たとえようもなくすごい映画を見ているんじゃないか…」という気持ちで興奮し、はらはらしてしまいました。ストーリーじたいは決してドラマティックではない、シンプルな生活の描写なのだが、すごい強度で、何度も胸を打たれてしまう。すばらしい。

これは、家族としての機能をほとんど停止してしまった家族の物語で、家族を構成する四人はみな、家族というシステムに耐えきれず、そこから逃避している。家族がしんどい。この人たちと一緒に暮らし、食卓を囲み、同じ時間を共有していくことの意味がわからない。わたしがこうした描写に打たれてしまうのは、わたし自身にとっても、やはり家族とは混沌としたもので、ときに珍妙だとおもうし、めんどくさかったり頭にきたりするためであり、ほんとうに家族ってなんだろうといつも考えてしまう。

象徴的なのは香川照之演じる父親*1で、彼はリストラの事実を誰にも告げられないまま、毎朝出勤するふりをするのだが、失業を機にあらためて、自分が「生活費を稼ぐ家族の長(おさ)である」という以外に、家族内における自分の役割や位置づけができないことに気がついてしまう。では、失業さえしなければ家族は機能していたのか、と考えるともちろんそうではなく、香川のリストラは、家族がそもそも機能していなかったことを表面化させるきっかけでしかない。

そこできわめて興味ぶかいのは、四人の家族全員が、いったん疑似的な死を経験して、そこから再生していく、というモチーフである。こうしたくだりはほんとうにすばらしく、胸が震えるようだった。四人はみな、ほとんど世界の果てみたいなところまで連れていかれ、いったん(疑似的に)死に、そこでなにか「今までに見たことのないようなもの」を見てから、もう一度、再生していこうとする。特に、母親役である小泉今日子が、役所広司と関係してくるシークエンスはほんとうにすばらしく、やはり彼らはどうしても死に近接することでしか再生できなかったのだ、とおもうとたまらない。

黒沢監督は、世界を描こうとするときに、あえて小さなユニットである家族を描くことは、その代替になると話していた。それは、国境/国境線というモチーフにも見て取れるし、大学生の兄の行動によってもわかる。世界=家族という比喩はおもしろかった。やっぱり家族って他者なんだなー、とわたしはつくづくおもったし、他者との営みというやっかいな仕事は、井川遥のピアノ教師と息子との会話などからも感じられる。しかしなんだろうね、ほんとに家族とか結婚とかって。

きわめて突発的に立ち上がるユーモア、およそ笑いなど発生しそうもないシリアスな状況で暴発するユーモアの感覚も秀逸で、劇場内はつねに笑いに包まれており、実によかった。生と死の境目にいるような、ぎりぎりの場所で起こる、ほとんどコントっぽいできごと。なんだか圧倒される映画でした。

*1:香川照之はほんとうに最高でした。もういくら誉めてもきりがないくらい、この人の演技はすごくて、見ていると毎回くらくらする。今回もやっぱりすごい、おもしろすぎ。