空中キャンプ

2008-10-28

『恋と股間』/杉作J太郎

杉作J太郎新刊(理論社)。ついに杉作が語る、恋愛のハウツー! 26歳まで童貞をキープオンしつづけた杉作さんの女性論、恋愛論と知って、いったいどんなことになっているのか、いろいろな期待がふくらみすぎてはちきれそうになりましたが、読んでみれば、杉作名言集とでも呼ぶべき男の魂の咆哮が響きわたる、感動の書でした。泣いたよ。

これは「他者論」である。恋愛について書かれていながら、より大きな枠組みとして、あらゆる他者とどう向きあい、コミュニケーションしていくかの覚悟について述べられたテキストだといえる。そこがほんとうにすばらしい。異性は、身近にいながらにして、圧倒的なまでの他者性を帯びていて、そうした他者へアクセスしていくことにはとうぜん困難がともなうのだが、まさにそれは困難であるがゆえに、われわれに豊かな経験をもたらす。ならば、この短い人生、せっかくだから他者と向きあってみませんかと杉作はいう。そこがぐっときた。ふだんは「チクビが黒い」とかラップしてる人なのに…。

では「他者」とは誰か。たとえば、あなたが乗った飛行機が海へと墜落し、その後、たったふたりの生存者が、奇跡的に無人島の海岸に流れ着いたとする。あなたと、ボリビア出身の漁師ガルシアさんである。ガルシアはよく日焼けした、ひげもじゃのおっさんだ。とうぜん、言葉も通じない。それぞれの文化もちがえば、思考も、慣習もちがう。しかし、あなたはガルシアさんとどうにか意志の疎通を図り、ふたりで力をあわせ、無人島から脱出しなければならない。飲み水はどうするのか。食べるものは。おたがいにどんな役割を分担するのか。どうすれば脱出できるのか。そもそもガルシアさんは手伝ってくれるのか。どうやって協力していけば助かるのか。この場合のガルシアさんこそがまさに、わたしにとっての他者だ。

たまたま同じ国に住んでいて、同じ言葉を話し、似たような環境にいるとしても、異性とはやはり他者であるとわたしはおもう。わたしにとって女性は、ガルシアさんと同じくらいにコミュニケーションのむずかしい存在である。他者とは端的にいって「わからないもの」だ。おたがいの考えていることは伝わりにくく、価値観は異なり、なんだかちがう惑星にすんでいるみたいな気がする。だからおもしろい。恋愛をただ「女性と付きあうこと」と短絡化してしまうのはつまらないし、不可解で異質な他者と遭遇するチャンスだと考えて、うまく活用できればいいのにとずっと考えていた。

人はね、きっと「わからない」ものにかかわったりすることが嬉しい生き物なんですよ。わからないなりに一緒にいようとする、そういう「無理」に無上の喜びを見出して、自分の世界がたしかに広がったことを実感したい生き物なんです。「わからない」ものに対してこそ、ぼくたちの「思いやり」と「想像力」は試されて、鍛えられるんです。

テキストは、具体的なハウツーと、より抽象的な恋愛論が混ざりあった書き進め方が興味ぶかく、それにくわえて、数ページに一度のわりあいで登場する「杉作語録」がどうしても目を引く。ここであまり引用してしまうと、それだけで読んだ気になってしまい、じっさいの本を手に取る意欲を減退させてしまいそうなので控えますが、「エロ本のセレクトは、最大限露出していてもまずは水着着衣のものから」にはすごく賛成。妄想がたいせつだからね。「人生において『いいこと』が起きるほうがもう、どうかしていますよ」には深くうなずいてしまったし、「宣告された別れには反論する、せめて一度は食い下がってみせる。これは、付き合った相手に対する、最後のサービスです」もよかった。糸井重里さんも、同じこといってましたね。このへんには、Jの男気を感じました。

また、困ったら人に頼ろう、相手に弱みを見せることを恥とおもうのは止めよう、出会いがないなら友だちを通じて紹介してもらった方がいい、メールの送り方で注意するべき点など、実践的なアドバイスがあるのはいいとおもいました。元気のでる本。