2008-11-04
■[映画]『宮廷画家ゴヤは見た』を見たゼ!
歌舞伎町にて。フランス革命前後、スペインの宮廷画家であったゴヤの視点から、異端審問やナポレオンなどを描く。ふしぎな味わいのある映画でたのしかった。ナタリー・ポートマンのひとりふた役も実によかった。
作品を見ながら、終戦直後の日本のことをすこし連想してしまったのは、戦時中もっともよく軍国主義に順応していた者は、終戦後きわめてすばやく民主主義へと転向したという、いくぶん皮肉な事実があったからかも知れない。この映画における異端審問のレトリック──神のご加護があれば、どんな拷問にも耐えられる──みたいなのって、世界中どこにでもあるんじゃないかな。かたちを変えて、まちがいなく今の日本にも残っている。
異端審問とは、ノーといえない質問をすることだ。「いくら神を信仰していても、拷問には耐えきれない」といえば、神の全能を否定することになる。神の全能を否定するのか? もちろんノーとはいえない。社会において宗教が絶対的な力を持っていれば、やはり宗教にかんする質問には強制力が発生するためだ。ことほどさように、レトリックを駆使し、ノーといえない質問をしてくる人には、注意した方がいい。なんかそうおもった。ノーと答えられない質問、それは質問のかたちを装った別のなにかだ。
社会は、時にそうしたゲームのしくみを生みだしてしまう。異端審問というゲームがいかに無意味でくだらないとわかっていても、ふしぎな強制力を持ってしまい、そこから逃げることができない。そうしたゲームに素直に順応し、その強制力を率先して行使する者は、その質問が実質的に無意味であることをじゅうぶん承知していて、しかしそれにあたかも価値があるかのようにふるまう。それは今の日本においても同じだ。なんかムカツクー。
話がそれた。ナタリー・ポートマンは、牢の生活で枯れ果てた女性をみごとに演じていて、あんなにキュートな女の子が、あれほどまでにおぞましく、みじめな姿になるものかと感心した。彼女はよかったですね。



