空中キャンプ

2008-12-31

神の子どもたち

渋谷駅前の交差点、路上に設置されたスピーカーから流れてくるのは、いくぶん抑揚に欠けた男性の声で、その声は「キリストを呼び求める人は救われます」と何度も繰り返していた。たくさんの通行人が行き交う年末の渋谷。強風で、外は寒い。信号待ちをしながら、わたしはふと気がついた。「キリストは罪を赦し、永遠の命を与える」──そう書かれた看板を持って立っていたのは、小学校五年生くらいのちいさな女の子だった。

われわれは親を選択することができない。どのような親のもとに生まれるのかを選び取ることができない。両親は、彼らにとって「善きこと」を子どもに伝えようとするし、そこにはそれぞれの親の価値観が大きく関係してくる。それはときに宗教であったり、ある種の思想であったりもする。親は「善きこと」を子どもに伝える。それはあたりまえのことで、他人があれこれと口をだす問題ではないのだとおもう。

両手でしっかりと看板を支えながら、その女の子はただじっと立っていた。彼女の視線はまっすぐ前を向いていて、交差点の向こう側を見ているような、もっと遠くを見ているような、そんな感じがした。彼女はきっと、両親に教えられたのだろう。たくさんの人たちにこの教えを広めることが必要なのだと。この子は自分の意志でこの看板を持っているのだろうか、とわたしはおもったが、すぐに、その疑問にはあまり問う意味がないと気がついた。そんなことを質問すれば、女の子を傷つけるのではないかという気がした。

だからいつか、たとえば二十年くらいたってから、大人になったあの女の子が、笑いながら昔のことを話してくれればいいとおもった。「私、子どものころ、渋谷でずっと看板持って立たされたりしてたんだよね。親にいわれて。あれ、寒かったし、つまんなかったな。ほんとは遊びたかったし、恥ずかしかったし、あーまた看板やるのかーとおもってた」と、冗談にして笑ってくれればいいとおもうし、その話をとなりで聞いてくれるたくさんの友だちや、恋人がいればいいとおもった。赦しや救いのことは、わたしにもまだよくわからないのだけれど。