空中キャンプ

2009-03-05

映画『おっぱいバレー』の結末を提案します!

まもなく公開される、綾瀬はるか主演の映画『おっぱいバレー』。試合に勝ったらおっぱいを見せてあげるという約束で、バレーボール部顧問の綾瀬はるかが中学生をがんばらせるという内容である。とはいえ、わたしたちもいい大人。現実をまっとうに認識する能力がいささかなりとも備わっていれば、もちろん、綾瀬はるかがこの映画で、ほんとうに観客におっぱいを見せるようなことは起こらないと理解できます。あたりまえである。見せるわけがない。

では、われわれをきちんと納得させるエンディングがあるとすればどのようなものなのかについて考えてみたい。わたしはこの映画の原作となる小説を読んでいないので、どのような結末が準備されているのかはわからないのですが、この映画の結末には、ふたつのエンディングが考えられます。すなわち──

  1. 試合に勝った生徒たちにおっぱいを見せる
  2. 試合に負けたのでおっぱいは見せない

のいずれかであり、今回は1の場合を想定して論を進めたいとおもう。そのさい常套手段となるのは、カメラに背を向けた綾瀬はるかが、こちらを向いている中学生たちにおっぱいを見せるという撮り方であろう。

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これはいかにも退屈だ。なぜならたいていの人がそれをおもいつくからである。これは映画なのだから、想像力がふくらむような展開をしてほしいし、想像力をかき立てるショットさえあれば、綾瀬はるかがおっぱいを見せるかどうかなど、瑣末な問題にすぎなくなる。ということで、わたしが考えた代替案をここで発表したいとおもいます。図を見てください。

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試合に勝ったバレー部員は、顧問である綾瀬先生が待っている部室に、ひとりずつ入っていきます。なかでは綾瀬はるかが待機中。生徒はひとりずつ、綾瀬はるかのおっぱいを十秒間(けっこう長いような、それでいてとても短いような…)眺めることができる。カメラは部室のドアの前にフィクス。同じ位置から、部室ドアをまっすぐに撮り、そこに出入りする生徒たちを見せます。部室のなかをうつすことは決してありません。生徒が部室に入り、十秒後、おっぱいを見てきた生徒がドアを開けてでてきます。観客は、生徒の表情から、彼が今見てきたであろう、ふたつのやわらかいふくらみを想像することになる。

そこで重要なのは、部室に入った生徒役の少年たちは、ほんとうに綾瀬はるかのおっぱいを見る、ということです。部室のなかにはカメラなどいっさいないので、誰もいない部屋にただ十秒いてから、演技でイイ顔をしつつ部室をでることもできます。しかし、わたしはそこにひとさじのリアリティを注ぎたい。少年たちにだけ、ほんとうにおっぱいを見せる。部室にはじっさいに綾瀬はるかがいて、服を脱いで少年たちにおっぱいを見せ、彼らは、綾瀬はるかのおっぱいを見た者がその直後にしかできない絶妙な顔をフィルムに焼きつけるのである。ここに、フィクションとドキュメンタリーが交差する圧倒的な瞬間が立ちあらわれる、とわたしはおもう。少年たちは、わたしの代わりに綾瀬はるかのおっぱいを見たのだ。

もう、映画館にはすでにちらしが置かれています。ということは、撮影は終了しているわけです。どういう映画になっているのでしょうか。結末はまったくわかりませんが、われわれの想像力をかき立てる作品になっていることを願ってやみません。