空中キャンプ

2009-07-03

僕の考えた叙々苑

おもいきって告白するが、まだ叙々苑にいったことがない。どういうタイミングでいけばいいのかよくわからないのである。あの場所に、どうやってデビューすればいいのだろう。誕生日か。もしくは、記念日的ななにかか。あの店で、腹がふくれるていど食べたとして、いったいいくらかかるのか。そもそも世間の人びとは、あれほどに敷居の高い店へ、ほんとうに足を踏みいれているものなのだろうか。

叙々苑はまちがいなく大人がいく店だ。考えてもみてほしい。あの店で高級焼肉を豪勢にたいらげている男性は、会社では数十人の部下に檄をとばしながら、株や先物取引などで莫大な利益をあげるやり手であるに決まっているし、その男性に連れられて店にきている女性にしたって、たくさんの男を狂わせる美貌と魔性の魅力で、さまざまな恋愛遍歴を奔放にかさねてきた愛のディーヴァだとしかおもえない。そんな男女のみがひしめく店に、どうやって入ればいいのか。

わたしは、そのようにエネルギッシュな場所とはまったく無縁の人生を送ってきた。そのへんの書店で適当に小説などを買い、映画館のロビーでその本を読みながら、近くのモスバーガーでテイクアウトしたハンバーガーをむしゃむしゃ食べる。そして、映画を見終えてまっすぐ自宅へ戻り、さきほどの本のつづきを読むのだ。それでいいじゃないか。血気さかんな男のふりをして高級焼肉店へいき、ひときれ数千円もするような肉を食べ、むだにスタミナなどつけてどうする。そもそも叙々苑はディーヴァを連れていかないと入れないでしょう。ディーヴァはどこにいるんだ。ビヨンセみたいにてんこもりの女性がいないと、叙々苑になんかいけないよ。

しかし、わたしも気がつけばいい歳。そろそろあの店を訪れ、連れてきた女性に「ほら、おまえも食えよ」とうながし、いっしょに肉を焼く、そんな年齢になったのではないか。自分が食べるだけではだめなのだ。連れていく、そして奢る。それでこそ、一人前の大人だとおもう。このところわたしは、そもそも叙々苑などという場所がほんとうに実在するのか、そこにすら疑問を感じるほどである。やはりじっさいに見てこなくてはいけない。そのためにはまず、叙々苑貯金をはじめてみようとおもっている。もう、貯金箱は準備してあるのだ。