空中キャンプ

2009-09-11

私たちまだ死んでない

サリンジャーは、「ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー」という、それだけですぐにユダヤ系だとわかってしまう名前を隠すために、ずっと、JDサリンジャーと名乗っていたのだという。かくいう私も、ちょっとだけそれに似た理由で、たかこ BLと名乗っている。BLがなにを略しているのかを、私は口にすることができない。だから私は、行儀のいいタクシー運転手みたいに、余計なことをいわず、どこへいってもできるだけおとなしくしている。

私たちの日本での生活はいくぶんきゅうくつだ。いつも、誰かに見つかってしまわないかとそればかりを心配している。三者面談のときには、お父さんにきちんとひげをそってスーツを着てもらうようにおねがいしなければいけなかった。「ちゃんとしたスーツを着てね」と私はいった。「なるべく原理主義者っぽくないやつ」。お父さんは肩をすくめて、「わかってるよ。俺は三者面談にはターバンを巻いていかない主義なんだ」と答えた。

サリンジャーがJDと名乗らなければならなかったややこしい事情を、たかこBLである私はそれなりに想像することができる。私もまた、いくらかめんどうな事情を抱えているのだ。とはいえ、サリンジャーと私のなによりの共通点は、その秘密めいた名前ではなく、ふたりともまだしっかり生きているということだ。私たちまだ死んでない。2009年9月11日、九〇歳の彼はどこか森の奥でひっそりと暮らしていて、八歳の私もまだちゃんと息をしている。私はお父さんに、『ライ麦畑』を読んだことがあるかどうか、訊いたことがある。お父さんは、あれはとても怖い小説だから、あんまり夢中になりすぎない方がいいといった。

「私、日本の名字にしようかとおもってる」と私はお父さんに向かっていった。「もうBLやめたいの」。お父さんは、居間でのんびりラジオを聴いているところだったが、あわてて起き上がると、「いや、なんだっておまえ、べつに変えなくたって、いきなりあれを、なあ」といいながら、鳴っているラジオを消した。世田谷に住んで四年。そろそろ私も、これからの生活を真剣に考えないとならない。「私、中学受験とかしたいし、このままじゃたぶん、私立どころか、ふつうの中学校だっていけないかも知れないもの」「だからって名字は関係なくないか」「すごくあるよ」「まあ、そうか、あるか。うーん。あるな。この場合、名字はかなりあれだな」。お父さんはじっと下を向いてうなずいた。

「サウジアラビアじゃ、けっこう由緒正しい一家なんだ」とお父さんはいうと、しばらく、怒ったマイルス・デイヴィスみたいな顔になって考えていた。「そういうことじゃないでしょう」と私は答えた。「たかこBLって、こんな名前じゃ中学いけない」。お父さんは、怒ったマイルスの顔のまま、「おまえにはいろいろたいへんな目にばかり会わせてしまって、わるいとおもう」といった。いまにもトランペットを放り投げそうな表情だった。「いろんなことを隠しながら生きるのはつらいものだ。俺もいろんなことを隠している。ひげもそったしね。一度は世界をひっくり返そうとしたけれど、結局だめだった。俺はもうおとなだから、どうにかなるけれど、子どものおまえにはたいへんだ。いいよ、日本の名字で」

そろそろ私たちは、手ごたえのある生活を獲得しなくてはならなかった。八年前、巨大なビルに向かって、飛行機を二連続でぶつけた男は、いま、世田谷区のちいさな家であさがおに水をやり、おいしそうに麦茶を飲んでいる。かつて理想があり、そのための行動があり、失望があって、最後に大きな暴力があった。そのようにして私の父は日本へやってきた。部屋がやけにしんとしていたので、私は、友だちから借りたCDをかけた。かわいらしい女の子の声が聞こえてきた。「この曲とってもいいの」と私はいった。

わたしもうやめた
世界征服やめた
今日のごはん 考えるのでせいいっぱい
もうやめた
二重生活やめた
今日からは そうじ 洗濯 目一杯

名字を変えたらなにかが変わるかも知れないし、なにも変わらないかも知れない。「今日のごはん考えようよ」と私はいった。「そうだな」とお父さんは答えた。そして彼はつけくわえるように、「もうビルに飛行機をぶつけるのはやめにする」と静かにいった。私はごろんと横になり、『ライ麦畑』のつづきを読んだ。