空中キャンプ

2009-09-16

[]『しんぼる』を見たゼ!

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新宿にて。松本人志新作。とてもよかったです! さまざまな挑戦がある映画だったし、後半にはなるほどとうなずけるようなおどろきも用意されている。おもしろかった。すばらしいとおもいますね。ミニマムに削ぎ落とされたユーモアのセンスは、『大日本人』同様で、ふたつのシークエンスの使い分けもうまい。松本氏にはこれからも監督をつづけてほしいし、今後も、わたしは彼の撮った作品をかならず劇場で見ます。できるだけ内容に触れずに書きます。見る予定のある方は、なるべく情報を遮断して劇場へいった方がいいとおもいます。

どうして、ということを人はつい考えてしまうものである。どうして、僕の家はこんなに貧乏なのか。どうして、私はもっと美人に生まれてこなかったのか。どうして、たいせつなあの人が交通事故に遭ってしまったのか。さまざまな「どうして」は、つねにわれわれを悩ませ、苦しませる。人はそうした苦しみに、どうにか納得できる理由を見いだそうとする。理由には不幸を中和する作用がある。理不尽なアクシデントを受け入れるためには、不幸になんらかの原因がなくてはならない。そこでわれわれは、苦しみや不幸の原因、その理由をどうにかひねりだそうとする。そうせずにはいられない。

カート・ヴォネガットは、われわれの飽くなき「どうして」の問いに、たったひとこと、"So it goes"(そういうものだ)と答えた。まさにそのようして、世界は回っていて、とくにこれといった理由もなく、洪水は起こり、火山は噴火し、シマウマはライオンに食べられ、せっかく干した洗濯物は雨で濡れてしまう。おそらく、それらはすべて等価であり、人はときになんの脈絡もなく、いきなり幸福になったり、とっさに不幸になったりする。たくさんのできごとが、さしたる必然性や、とくべつな理由もなく起こる。なぜかと訊かれても答えられない。世界はまさに、「そういうもの」だからだ。

そのように、あらゆるできごとが、ただそのままごろんと投げだされた、むき出しの世界にわれわれは生きているのであり、「どうして」という虚しい問いに、答えが返ってくることは決してない。とても残酷で、あまりに身も蓋もない現実をふらふらとさまようわれわれは、どこかとても情けなく、悲しく、ばかみたいで、だからこそ最後には、世界のあまりのいいかげんさについ笑いだしてしまう。そして松本は、そのようにでたらめな世界のようすを、みごとに描きだしているのだ。