空中キャンプ

2009-09-26

[]『空気人形』を見たゼ!

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渋谷にて。初日。是枝裕和新作。とてもよかったです! すごくいい映画でした。是枝のフィルモグラフィーは、つねに、あたらしい方向性とアイデアで刷新されつづけてきていますが、今回はおもいきって性の暗部にも踏み込むなど、さらに新境地を見いだした感があります。とつぜん心を持ってしまった、人形の女の子の物語。

空気でふくらませる人形を恋人に見立てて同居している独身男性(もちろん夜は性行為あり)、という生々しさにもかかわらず、描き方はまったく下品ではなく、映画のたたずまいは凛としている、というあたりに、是枝監督の矜持を見ました。『ラースと、その彼女』とはまた別の方向性を持つファンタジーになっていましたが、孤独というテーマを扱う手つきには、どこか共通点も感じられました*1。ペ・ドゥナかわいい! 全脱ぎ! しかし、ペ・ドゥナのはだかがいっさい下品にならないのも、ストーリーの力だとおもいました。

この映画にでてくる東京が、どこかほんとうの東京ではないような、まるで架空の都市のように見えるのは、ペ・ドゥナの浮遊感に拠るところがとても大きくて、東京で生活するたくさんの人びとが抱える孤独のあいだを、ふわふわと浮かぶように歩いていく彼女の軽やかな足どりが、この映画のトーンをそっと明るくしている。登場人物たちの孤独にはまったく行き場がなく、うす汚れた部屋で、誰もいない公園で、彼らはひとり、ただじっと座っている。いっけんごくふつうに見える彼らが、じつは底なしの孤独を身にまとっていて、わたしたちもまた、おおむね、そのようにして生きているのだとおもう。

「心がない方がいい」と、男はいった。空気でふくらませた人形へ向かって、冬の星座についてやさしく語って聞かせる男は、ドアを開けてその向こう側へ歩いていくことを止めたかわりに、ちいさな充足を得ていて、そのちいさな充足の心地よさを、わたしはじゅうぶんに想像できる。心がないから、男は人形を愛することができる。そしてわれわれは、男を非難することなどできず、むしろ男のように、いっそのこと心なんかなくなればいいのに、とおもいながら、それでもどうにか他人にかかわろうとして、そのたびに落ち込んだり、自棄になったり、虚勢をはったりを繰りかえし、あたふたとあがいては、ふたたび孤独へと戻っていく。

しかし、わたしはおもうのだけれど、もう、孤独以外に信用できる感情はなく、そこから逃避することは決してかなわない。心にある孤独さや空虚を、なんらかの代替物で埋めることはぜったいにできないし、だいいち、心についた傷がなければ、そもそも自分が何者なのかすらわからなくなってしまう。空気人形が心を持つことは、すなわち、みずからの孤独と空虚に向きあい、その深い谷底をのぞきこむ恐怖を知ることであって、空気人形が、埋まるはずのない孤独を埋めようとしたとき、相手は回復のしようがないほどに大きく傷ついてしまう。そのようにしてわれわれは、からっぽな心を抱えたまま、おぼつかない足どりで進んでいくしかないのだとあらためておもう。

きっとこの映画は、ペ・ドゥナでなければ成立しない作品だったようにおもうし、彼女が、「♪たんたんたんたん たんたんたーん」とか、「き、奇遇ですね」などと、かわいらしいせりふを口にするたびに、すっと映画全体が浮かびあがるようなたのしい印象があって、そうしたやわらかさが感じられたのはとてもよかった。

*1:おそらく、是枝さんとしても、『ラース』とかぶっているという指摘はいくぶん気にしているようで、映画のちらしにも、構想九年という文字があり、NOTパクリを強調しているような印象がありました。製作から公開までのスケジュールを考えても、『ラース』が公開された時点では、すでにこの作品は撮り終えていたはずだとおもう。