空中キャンプ

2009-10-21

ひとりごと

ひとり暮らしをしていると、ついひとりごとがでてしまう。気がつくと、よくわからないことを、誰に向かってというわけでもなく話している。これ、人に見られたらずいぶん珍妙な光景だろうな、とおもいつつも、ひとりごとはつい、口をついてでてしまう。わたしはなにやら心の病でもあるなのだろうか。なんだか脈絡のないことを、まるで誰かと会話でもするみたいに話してしまうのだ。自分でも、これはいったいなんだろうと心配になることがあるけれど、やはり、気がつくとそうしてしまっている。

とはいえ、ひとり暮らしをしている人がみな、ひとりごとをいっていると決まっているわけでもなく、きっとわたしは特殊な例外なのかも知れないとおもっていた。映画『空気人形』は、だから、わたしにとっては、「ひとり暮らし映画」としての側面もあって、あの作品においては、ひとり暮らしならではのがらんとした自由と孤独がとてもうまく描かれていたとおもう。孤独な男性が、人形に向かってずっとひとりごとをつぶやいているという、ちょっとどきっとするようなくだりは、いくばくかの嫌悪感をともないつつ、やけにリアルにわたしに刺さってくるようだった。

最近とても気に入っている、松本人志と高須光聖の「放送室」というラジオ番組があって、わたしはたいてい、その番組を聞きながら通勤しているのだけれど、そのなかでこんな会話があった。ひとり暮らしの長い高須が、自分はひとりごとが多いのだと話すと、そこに、同じくひとり暮らしの長い松本(放送当時)が、やけにつよく反応する。このくだりはとてもおもしろかった。

高須「ひとりごというてへん? 家で」
松本「ひとりごとはいうてるな」
高須「どんなこというてんの、自分は」
松本「いや、だからもう、ほとんど、誰かがおるときとさほど変わらへんくらいしゃべってるなあ」
高須「しゃべってるやろ(笑)」
松本「もし盗聴器しかけられたら、こいつ同棲してるとおもわれるやろな、ってくらいしゃべってるな」
高須「いやー、俺もそう」
松本「ほいで、いまだに、あれなんやろ、クセなんかな、便所とかで、『えーと明日はバイト行って…』とかいうてまうねん。『明日は病院…、いや病院ちゃうわ』とか」
高須「でもちょっとわかる。そこまでのズレはないけど、あの、ぜんぜん意識してない言葉をいっているときはあるよ」
松本「あるよなあ?」
高須「あるある、ある。だって俺、便所いって、ぜんぶ用足して終わってるのに、『あー、便所いかなあかんなあ』とかいう」
松本「いういう!(笑)」
高須「ゆうてまうもん。『えー、したやん!』」
松本「めちゃめちゃいうわ、そんなん(笑)」
高須「なあ?(笑)」
松本「いうよ(笑)」
高須「さっき連れとメシ食ってて、ひとりで家に帰ってきたら、『腹減ったなあ」とか(笑)、いうてまうよなあ?」
松本「あはははは。『しんどい』はゆうてまうなあ、べつにしんどないねんけど」
高須「で、昨日は俺、自分で、『ものすごくひとりごと多いわ俺』とおもったのよ」

聴きながら、おもわず笑いつつも、すこし安心した。たいてい、ひとりごとはいってしまうんだとおもった。あれ、なんだろうね。ひとりしかいないのに、つい、存在しない誰かに向かって言葉がでてしまう。見えない相手とけんかしたり、過去の失敗をいいわけしたり、ひとりのわたしは、おかしなことをたくさんしているような気がする。『空気人形』で板尾創路が演じる男性、彼が人形へ向かって、今日のできごとを語って聞かせるひとときに感じているであろう居心地のよさみたいなものに、わたしはすぐに共感できてしまったけれど、それはやはり、わたしがひとり暮らし経験の長いせいもあるのかなあ、とおもう。誰にも届かない言葉のことを考えると、なんだかせつなくなるけれど、ひとり暮らしはたいていそういうものだ。

かといって、友だちに電話すると、おもいのほか話せなかったり、心にもないことを口にしてしまったりする。そこでちゃんと話せたらすごくいいのにとおもうが、どうもうまくいかないことが多い。松本氏も、「ふたりでおるときの方がしゃべれへんやろうなあ」といっていたけれど、家族ができた彼は、もうひとりごとをやめたのだろうか。そのことがすこしだけ気になっている。