2010-03-06
■[映画]『ハート・ロッカー』を見たゼ!
六本木にて。初日。イラク戦争におけるいちばんの危険任務、爆発物処理班の主人公を描く。ものすごい緊張感で、見ながらつい「むー、ここは危険だ、気をつけろ、うーん」と唸り声をだしてしまいそうな作品でした。見る前は、サウジアラビアにおけるテロ捜査を描いた『キングダム 見えざる敵』のようなドラマ性、後半におけるカタルシスを期待していたのですが、重苦しく希望のない展開は、安易なカタルシスを拒否しているようで、そこにも制作者の心意気を見ました。
主人公の男性は、いつ暴発するかもわからない爆発物を処理するその瞬間にしか、生の充実を感じることができない人物として描写される。彼にとって、爆発物処理以外の時間はほとんど無であり、防爆スーツを着こんで爆弾へ向かって歩くそのときにだけ、生きていることの確信に満ちた世界、自分と世界のピントが寸分のずれもなくぴったりと合致した状態がおとずれ、どこか神聖な領域にまで近づくことができるのである。処理作業が終わったあとに飲むペットボトルのミネラルウォーター、一服のたばこ。それらが主人公にとって、どれだけうまく感じることか。これほどうまそうにミネラルウォーターを飲む男を、わたしはあまり見たことがない。
冒頭における爆発物処理のシークエンスから、この映画の、ほとんど耐えがたいほどの緊張感はつねに物語を支配する。これは強烈でした。いったんあのオープニングを見てしまえば、ほんのすこし手を動かしただけの通行人も、道に転がるよくわからないごみも、すべてが命の危険に直結する徴候となる。そのような緊張感は、見ているわれわれをぐったりと疲労させる。この作品における死が怖ろしいのは、なにより、人が死について抱くイメージやドラマ性がすべてはぎとられていることであり、この不毛な死、あらゆる意味を剥奪された死にはふるえるほかない。イラクで米兵が死ねば、それは端的にカジュアリティーズ(損耗人員)として扱われ、代わりの兵士が配置されるのみである。
このように、作品の主人公が、いっけんいびつな世界でのみ生きる実感を得られる、身を削るような営みのなかでこそ自分自身でいられる、というモチーフは、ほとんど『レスラー』のようでもあって、主人公は紛争地帯という非日常のなかでしか生きていけない弱さがある。男は向こう見ずではあるが、勇敢ではない。そこもランディに似ている。彼は妻や子どもがいながら、日常には親しむことができず、爆発物処理にしか生きるよろこびを見いだすことができないのだ。だからこそ、防爆スーツを着て紛争地帯をゆっくりと歩く主人公は、リングへ向かうランディに重なるようで、わたしはいったい彼が幸福なのか不幸なのか、それすらもよくわからなくなるのである。



