2012-01-04
■[読書]『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』/デヴィット・トンプソン(キネマ旬報社)
たとえばスタンリー・キューブリックが「作品の完全なコントロールを目指し、いっさいの妥協を許さずに完璧な映画を追求する」タイプの監督だとすれば、ロバート・アルトマンは「作品のなかに自らのコントロールを越えた偶然や混沌の要素を取り入れながら、限定された予算、時間、キャストの中でベストを尽くす」タイプの監督だということができるようにおもう。およそ計画性があるとはいいがたいアルトマンのキャリア(二十代のある時期には「犬の刺青師」という、わけのわからないビジネスに取り組んでいたりもする)を詳細に綴った本書からは、彼の映画製作者としての柔軟な思想が見えてくるようであり、実に興味ぶかかった。
まず驚くのは、初期のヒット作『M★A★S★H』(’70)公開時のアルトマンは44歳だったという記述である。彼は遅咲きの映画監督であり、キャリアにおける黄金期は40〜50代、それまではテレビの世界であれこれと試行錯誤していたことがわかる。テレビ業界という、数多くの制限や枠の中で作品を完成させることを求められる場所で、理想と現実のギャップをつねに感じていたアルトマンは、それでも決してペシミスティックにはならず、現状で与えられた条件のなかで可能な限り工夫しながら製作に取り組んでいくしたたかさを身につけていく。それが妥協ではなく、むしろ創作のエッセンスになっている点は誰にとっても参考になるだろう。「私の場合は常に限界、あるいは境界、ここまでという所を設定しておく必要があるんだ。さもないと底なしの深みに落ちることになる」という彼の言葉は、作品に課せられた枠がむしろ創造性を促進するという、アルトマンらしい作品論になっていておもしろい。
彼のコントロール指向のなさもまたユニークだ。キューブリックは理想の映像を求めて、ときには148回同じシーンを撮り直したが、アルトマンはテイクを重ねることを嫌った。そのため、何度もテイクを繰り返しながら、理想の演技へと近づけていくウォーレン・ベイティーのような俳優とはそりが合わなかったと告白している。他の監督であれば時間をかけて行う脚本の読み合わせも「大嫌いだ」と話していて、読み合わせをしたがるポール・ニューマンには辟易したと語っている。入念な打ち合わせよりも、アルトマンが重視するのはむしろ、意図せざる偶然やアクシデントといった要素の導入である。たとえば『三人の女』(’77)でシェリー・デュヴァルが車に乗り込むと、必ずドレスの裾がドアに挟まってしまうというモチーフも、偶然に起こったできごとを作品の要素として取り入れた結果だ。「撮影中に起きた事故、偶然、逸脱、キャメラ助手の助言、そして何より俳優自身から出てきたもの。映画の最高の見所を作るのはそうしたものなんだよ」とアルトマンは述べている。彼の映画に感じられる「すばらしい無秩序」は、こうしたメソッドによってもたらされているのだと納得させられる。
本書の序文は、アルトマンの薫陶を受けた愛弟子、ポール・トーマス・アンダーソンによって書かれているが、この本を通して読み気がつくのは、PTAがいかにアルトマンから多くを学び、影響を受けてきたかである。こうした発見には胸を打たれた。群像劇の名手としての作風はもちろんだが、フィリップ・ベイカー・ホールやジュリアン・ムーアといった俳優の起用、『パンチドランク・ラブ』(’02)における楽曲 “He Needs Me” (これはアルトマン『ポパイ』(’80)からの引用である)などにとどまらず、PTAがフェイバリットとする映画の多くが、実はアルトマンのフェイバリットと重なっていること、劇中モチーフやイメージの引用が数多く見られること──『カリフォルニア・スプリット』(’74)におけるカジノのモチーフを受け継いだ『ハード・エイト』(’96)──などが挙げられる。そのどれもがアルトマンという最高の映画作家に対する憧憬に満ちており、アメリカ映画界における豊かな水脈、レガシーの継承を見たようにおもい、感動してしまった。




