空中キャンプ

2013-07-20

[]『風立ちぬ』

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僕は自分自身を、自由を求めて生きている人間だとおもっていたし、人生におけるさまざまな価値のなかでも「自由であること」の優先順位は高いとおもっていた。しかし『風立ちぬ』を見終えて、僕が考える自由はほんとうに中途半端で甘いものだったと気づき、なんだか情けない気持ちになった。宮崎駿から、俺はこれだけ本気で自由を希求しているのだと、作品を突きつけられたような気がしたのだ。

僕の考えていた自由が、いかに子どもじみていいかげんなものであったか。『風立ちぬ』は、しだいに国の先行きが怪しくなる第二次世界大戦前夜の日本を舞台に、「われわれはいかに自由を獲得できるか」を描いた映画だといえる。個が自由であるためには、その瞬間ごとに持てる力をできるかぎり引きだして飛翔しなくてはならないし、限られた時間を貴重なものと感じながら、すべてを貪欲に味わい尽くさねばならない。宮崎駿にとっての自由とは、だから、好奇心の爆発であると同時に、未知の領域へ飛翔する覚悟のあらわれなのだ。登場人物たちはみな、自由であろうとするためにたくましく助走をつけ、理想へ向かって雄々しく進んでいく。その堂々とした姿にただただ胸を打たれた。

震災と原発事故以降の状況が、宮崎駿の問題意識と危機感をつよく刺激し、結果として異様に密度の濃い作品ができあがったのではないだろうか。長いキャリアのある作家だが、ここに来てこの変化があるとは、という驚きを感じている。登場人物たちはどれも印象的で、物語を豊かにかたちづくっているし、さまざまなシーン、たくさんのせりふに工夫が凝らされ、エンディングで頂点に達する作品のボルテージもみごとだった。最後までひたすら圧倒された。