空中キャンプ

2018-04-13 「『勝手にふるえてろ』ファンブック 絶滅したドードー鳥編」

「『勝手にふるえてろ』ファンブック」から「リアルに召喚 『勝手にふるえてろ』を見たふたりの女性との対話」試し読み

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映画『勝手にふるえてろ』の同人誌、「『勝手にふるえてろ』ファンブック 絶滅したドードー鳥編」発売中です。たいへん好評いただいております。ついにベトナムに住む松岡茉優ファンからも注文が入り、インターナショナルな同人誌としてがんばっております。

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今回は、チラ見せ第2弾ということで、いちこさん、ひらりささんに話を伺ってきた記事、「リアルに召喚 『勝手にふるえてろ』を見たふたりの女性との対話」のなかから、一部を抜粋いたします。とてもたのしい鼎談となっております。読んでみてくださいね。



恋愛経験がない女性

ひらりさ 本当にイチと付き合えると思ってたんですかね、ヨシカは。

伊藤 うーん、ヨシカは具体的な恋愛経験もないし、ひとまず会う段取りだけつけてみたって感じじゃないかな。

いちこ 付き合いたいというよりは、「僕のことを本当に理解しているのは君だけだ」みたいな言葉を引き出したかったのかなと思ってます。

ひらりさ だから、意外にイチが乗ってきちゃって、ヨシカに覆いかぶさってきて「ムリ!」みたいなこともありえたでしょう。そうじゃないからこそ、おもしろい作品だなと思うんですけど。

いちこ 精神的なつながりだけでよかったっぽいですよね。

伊藤 ヨシカはあまりセクシャルな感じがない。処女で恥ずかしいというのも、あくまで世間体、周囲への体面の話であってさ。

いちこ そうですね、恋愛経験がないことは、自分にとって欠けているパーツのひとつだと思っているのかも。

ひらりさ うーん、私はちょっと違う意見です。交際経験がないまま年齢を重ねることは、かなり重い悩みなんじゃないでしょうか。言ってみれば、大学受験にずっと浪人しつづける感じですよね。

伊藤 はい。いい比喩。

ひらりさ それって、世間体といえば世間体なんですけど、めちゃくちゃしんどくないですか?(笑)実際、私自身がそうだったのですごくわかります。女子校育ちなんですけど、高校までは同じマインドで育ってきた友人たちが、どんどん男性と交際していって、何かのステップを踏んでるわけですよ。だから、来留美がリアルな感じでイケメン同期と交際を開始したのは、ヨシカにとって結構大きいことで、暴走のきっかけだったと考えています。私は『勝手にふるえてろ』は百合だと思っているんですけど、映画だとより際立っていた。ニが現れたことじゃなくて、来留美が変わっていくことが、ヨシカが変化していく直接的な要因だと「解釈」しています。もう完全に自分自身の実感でしかしゃべってないのですが、彼氏が欲しい瞬間って、女友だちに彼氏ができて、遊ぶ相手がだんだんいなくなっていくときなんですよ。

伊藤 なるほどねえ! そうかそうか。

ひらりさ それってめっちゃ身勝手な動機ですよね(笑)。必然的にすべてが身勝手になっていく。

いちこ ヨシカが来留美の寝顔を見ながら彼女を褒める場面がありますけど、きっとヨシカにとって来留美は自慢の友人であると同時に、憧れというか、自分のなかの理想の女の子的なものだったと思うんですよ。だからこそ、彼女とは対等でいたいという気持ちもあったんじゃないかな。

伊藤 うーん、そこは気づかなかったなあ。



恋はどのように終わるのか

ひらりさ 私は、ヨシカみたいな挙動はわかるんですけど、イチみたいな、めちゃくちゃ長く好きみたいな人はいないんです。ただ、ひとつ連想した作品があって。水城せとなさんの『失恋ショコラティエ』っていうマンガ、読んだことあります?

伊藤 いや。どんな話なんですか?

ひらりさ 男性主人公の爽太が、「サエコさん」という女の人に長い片思いをし続け、その原動力によってショコラティエとして成長していくという話でして。爽太は一話でサエコに告白して、OKをもらうんですよ。それでバレンタインに一生懸命チョコを作って渡そうとするんだけど、「元カレとヨリを戻した」「こんな本気チョコもらえない」って断られてしまうんですね。爽太は追いすがるんだけど拒否されて、もうその時点で失恋してるように見える。しかし物語はここから。爽太は失恋のショックでやけっぱちでフランスへ飛んで、天才ショコラティエになって帰ってくるんです。

伊藤 おおー。

ひらりさ 日本で自分のお店を立ち上げて、もはや彼は何でも手に入るんだけど、それでもサエコさんをずっと追いかける。その関係性を九巻までかけて描くんですが、印象的なのが八巻のあとがき。水城さんが、「この作品は昔自分が見たフランス映画がヒントになっている」と語っていたんです。ある女と不倫関係になって家庭も人生もめちゃくちゃになったのに結局別れた男が、その後しばらくして女と再会したときに、「あれから一度だけ彼女を見かけた、ごく普通の女だった」と独白して終わる映画があるそうなんですね。その映画にヒントを得たんだと説明していて、私はなるほどと納得しました。本当の「失恋」──爽太がサエコが「普通の女」だったと認める瞬間は、九巻で訪れるんです。

伊藤 幻想が完全になくなったということだ。

ひらりさ イチに対するヨシカの気持ちを追っていたら、『失恋ショコラティエ』と似た構造かも、と思って。ヨシカの場合、フラれてはいないし、実際に付き合って振られたわけでもないんですけど。

いちこ たしかにそうですね。私も『失恋ショコラティエ』読んでるんですが、言われてみればその通りだな。誰かを好きなのって、すごい楽しいんですよね。たぶん、ヨシカはめっちゃ楽しかったと思うんですよ。これは原作の方の印象ですけど、ヨシカには、自分はイチとつながっていて、彼の理解者でもあるという自負があった。反省文の文字をひとつだけ変えるみたいなお遊びをつづけてくれていたりとか。でも、つながってると思っていたからこそ、名前も覚えてくれていなかった、という事実が、好きというエンジンを止めてしまった。

ひらりさ 同時に、そうやって誰かを信奉することは、別にその相手を救わないっていう映画でもありますよね。

伊藤 そうだね(笑)。しかも信奉してるのが、現実のイチというより、イメージのなかのイチだもんね。

ひらりさ でも、そうやって「我に返る」ことはある種の始まりでもある、という描き方が、ニの登場によって示されているのがいいなと思います。イチはヨシカのフィルターを通して描かれているので、現実のイチは実際ニぐらいダサいことをしている可能性もある。それに対して、ニはフィルターがかかっていない状態で描かれているわけですよね。むしろ「キモく見える」フィルターがかかっているかもしれないような状態。だけど、ヨシカ自身も、場合によってはニと同じくらいキモいことをやっていて、彼女はイチとの恋に破れた瞬間に、そういう自分のキモさに気づく。それで、本当にいたたまれなくなる。だからニが許せるようになったのかな? 似た者どうしなんじゃないかなと思ってます。

(同人誌では1万字に及ぶ濃いトークが繰り広げられております)