12 西寧編3(宿)

(2012年3月のお話。前の話はこちら

青海桑珠国際青年旅舎

西寧1日目に泊まったホテルは、青海桑珠国際青年旅舎というユースホステル

立地が最悪で、オフシーズンも手伝ってか人がいなさすぎて、1泊だけでホテルを変えた。以前は鉄道駅と長距離バスターミナルが近くにあったようなのだが、最近、西に新しくできたターミナル(西寧新寧路バスターミナル)に移行したため、現在では規模が縮小され、観光用長距離路線は新寧路の方に集約されてしまっているようだ。17:30に新寧路バスターミナルに着いたが、タクシーで16元、30分かかってこのユースに着いた。 

大床房で88元。安いけどもう泊まりたくない。
19:30に鉄道駅近くの西寧バスターミナルに行ってみたが、もう閉まっていた…。近くにはチベット族の民族衣装を着た人がちらほら。しかしウイグル族が圧倒的に多く、駅前もウイグル食堂だらけ。肉挟餅と涼菜で8元の夕食をとり、バスを乗り継いでホテルに戻る。フロント附近では一応無線LANが使える。ホテルの位置が悪過ぎて、徒歩とバスの乗り継ぎでとても疲弊し、バスの時間も確認できないして、かなりへこんでいたため、西寧ビールを飲んで、就寝。

漢庭快捷酒店西寧大十字店

翌朝は疲れて起きれず、お昼12:00にチェックアウト。タクシーで市街中心地へ移動し、漢庭快捷酒店西寧大十字店にチェックイン。会員価格ツイン1泊158元、デポジットなし。今度は思いっきり中心地である。疲れてきていたので、移動の快適さを優先。


この日は午後から行動開始。チベット寺院クンブム(塔児寺)を目指す。

11 西寧編2(蘭州−西寧)

蘭州〜西寧移動

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さて蘭州〜西寧への高速バスに乗り込む。「高快客」という区分のバスで、車自体も新しく、なにやら少し高級感がある。値段もやや高く、58元。14:30蘭州発車、17:30西寧着で、途中張家寺で1度休憩があった。時刻通りの出発、到着。そしてなんと、服務員が1人付いているのである。通常のバスでも、お金を集めたり途中からくる人を乗せたり、運転手の他に車掌的な人が1人同乗してはいるが、運営が主業務で、サービスはとくにない。それが今回のバスでは発車後に、
「本日はご乗車ありがとうございます。このバスは蘭州発西寧ゆきでございます。17時半の到着を予定しており、途中張家寺で1度休憩いたします…乗車中気分が悪くなったり、お飲み物がほしい方がいらっしゃいましたら、遠慮なく申し付けください。薬や飲みものを用意してございます…」
とアナウンスを始めたので、どびっくりした。おお…なんだこれ…。
中国でこんなにサービスのよいバスに乗ったのは、初めてである(そして今のところ、最後である)。いずれはこういう風になっていくのであろうか。まあ、観光路線だけだとは思うが。
車窓からの景色は、荒涼とした山々が続く。太古の地層が断崖にむき出しになり、延々と続く縞模様。そして集落内を通り過ぎる時には、無限とも思える農作物用屋根の骨組み(長辺片側が土壁のビニールハウスのようなもの、ただしビニールではなく蓆で保護するよう)が連なる。決して豊かではなさそうな土地柄、チンクー麦(青稞)でも育てているのだろうか。

西寧近く、高速道路から石窟らしきものが見えた。後でわかったが、これは市の外れにある北禅寺であった。

17:30に西寧新寧路バスターミナルに到着。市街の西のはずれにあるバスターミナルに着いてしまった。予約していたユースホステルは東のはずれなので、ちょっと焦る。このターミナルは真新しくて、この高快客線と共に新設されたものかもしれない。あまりに遠くてバスでも大変そうなので、タクシーに乗る。西寧の初乗りは6元。ユースまで16元かかった。着いたらもう18:20、日が沈み始めてしまった。

西寧散策

ユースに関する情報は後回しにして、後日分も含めた西寧の街歩きについて。
西寧の標高は2300m。着いたその日の夜は頭がぼおーっとした。うっすらと高山病の気配。以前訪れた雲南省シャングリラの3300mと比べれば大したことないような気もするが、頭痛と、ほんの少しの息苦しさが、ちょっと怖かった。スーパーに行くと、スナック菓子の袋がぱんぱん。視覚的に高地を感じる。

西寧は青海省省都で、近代的な都市である。街の北端断崖上にある北禅寺から見下ろすと、西寧の街が一望できる。高速道路、高層ビルといった町並みは、中国の他の都市と変わらない。変わらなすぎて、つまらない。

市内中心部、中心広場附近。普通にファッションビルがあったり、地下街には店があふれていたり。当然だが、漢族がほとんど。西寧の人口の8割は漢族らしい。次に多いのは回族で、街中には清真食堂(イスラム食堂)が多い。

西寧駅近くの西寧バスターミナルに行ってみると、周囲には回族はもちろん、チベット族の姿が目に付く。分厚い布団のような綿入れで作った、袖の長いチベット族の衣装。それを片肌脱ぎにし、大きな石のアクセサリーや銀の垂飾りをつけている女性たちが、かなりかっこいい。


回族が多いということは、当然モスクも多い。大小のモスクがいくつも目に付く。

そして北禅寺に向かう途中で見かけた、墓石屋。よく見る漢族式の墓石に混ざって、回族のものと思しき墓石もあった。月と星のマーク、ウイグル文字。

ここでも人気の刺繍ショップに立ち寄ると、イスラム図柄の刺繍キットがたくさん。描かれた文字は、コーランの文句だったりするようだ。旅行する先々で、ご当地図案の刺繍を探して刺繍ショップに立ち寄るのだが、さすがにこのイスラムシリーズは、買う気には(やる気には)ならないのだった。雲南では少数民族の図案のを買ったけど。

そしてスーパーで買った、チンクー麦(青稞)のミルクティー。特別な味はしなかったが、これも青海特有の食品。青稞は白酒の原料にもなるし、様々な食品に利用されている。このミルクティーには、「ヤクみたいなスタミナ(がつくぞ)」と書かれている。栄養価が高いらしく、ヨーグルトに入っていたり、お菓子に入っていたりもする。

このブログにたどり着く人の検索ワード

最近めっきり更新してなかったわけですが、それでもコンスタントに毎日、アクセスいただいています。なぜでしょう…?
ここ二ヶ月ほどの検索wordはダントツで「中国政府奨学金」です。そろそろ2013年度の応募時期ですもんね。これから留学めざしていらっしゃるみなさん、がんばってください。
もはや大分古くなってしまい、役に立ちそうもない(かつ書きかけ)記事ではありますが、留学応募、手続きに関する記事はこちらからご覧ください。


そもそもこのブログに中国の旅行記を書き始めたのは、自分自身、マイナーなところに行こうとするとき、色んな方のブログから多大なる情報を得させてもらったからです。ガイドブックに載ってないような史跡、博物館に行こうとすると、ブログくらいしか情報源がなくて。今でこそ、中国の検索サイトBaidu(中国のGoogle先生)で検索すれば、いくらでも細かな情報が載っていることも知っていますし、またそれを読んで活用することもできるようになったわけですが。語学力、経験ともに乏しかった以前は、日本人による実際の体験であるところのブログに、とっても助けられていました。なので自分の記事も、ほんの少しでも人の役に立つことがあれば、と思い、できるだけ細かい金額や時間を書くようにしています。もちろん、自分の絵日記的な役割が一番ですが。


そんなわけでまた時間を見つけて、旅行記の続きをアップしていきたいと思います。情報が古くならないうちに。
ではでは。

10 西寧編1(武威−蘭州)

武威ー蘭州移動

(2012年3月のお話。前の話はこちら
朝6:00起床、7:15ホテルで朝食、7:45チェックアウトを済ませ、バスターミナルへ。8:20発のバスに乗り込む。武威から蘭州までは65元。外を見ると、なんと、雪が降り始めた…!!バスは時刻通り発車したものの、外はサラサラと雪が降り続け、少々不安になる。甘粛独特の段々畑?が作られた山並みが雪化粧して、不思議でちょっとファンタジーな景観を作り出している。

高速道路入り口に入ると、入ってすぐに長蛇の列が。雪のせいだろうか、貨物トラックがぎっしり並んでいて、大変な渋滞となっていた。

そこで我が長距離バスがとった行動は、驚くべきものであった。なんと、高速の入口から・・・バックで脱出を図ったのである!!5分近くもバックし続け、ついに高速から脱出。どうやら下道を行くことにしたようだ。小型車はUターンして普通に引き返していたし、本当にフリーダムな国である。しかしその運転手の判断が正しかったことは、平行して走る下道から高速を見上げた時に、理解した。延々と続く微動だにしない大型貨物トラックの列、列、列・・・。あのままあの渋滞に突入していたら、どうなったかわからない。迅速な判断に感謝である。
下道をゆく車窓の景色は、雪のせいもあって、より幻想的に見えた。甘粛は回族も多いし、チベット族も住んでいる。途中の集落には、モスクがあったり、

チベット族の集落があったりと、普段見ることの少ないものを見ることができた。

4時間半あまり走って、蘭州市内に入った。途中休憩なし。疲れた。
交差点の真ん中に放置されたバス。どうやらパンクしているらしい。しかし放置って・・・。やはりこの国は油断がならない。ここまできてもまだまだ、我々を飽きさせることをしない。常に予想の斜め上をゆくあくなき探求心は、さすがである。

13:00、蘭州バスターミナル(蘭州客運站)に到着。火車站のはす向かいにあるバスターミナルである。

とりあえず荷物をバスターミナルの荷物預かりに預け(10元)、駅に行き、5日後の蘭州ー銀川の夜行列車の切符(硬臥131元)を確保。さらに14:30発車の西寧行きバス(高快客58元)の切符も買って、待ち時間の間に牛肉麺(7元)をすする。

09 武威編2(大雲寺・羅什塔・武威駅)

鐘楼(大雲寺)

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15:10、西夏文化博物館を見終わって、鐘楼(大雲寺)を目指して歩く。再開発中なのか、瓦礫の積み上がる通りを抜けて行くと、空き地の中にぽつーんと佇む鐘楼を見えてきた。


入場料5元、プラス鐘楼に登るのに5元。地元の人が入るのは無料のようだ。鐘楼への階段は、おばちゃんが鍵を開けて入れてくれる。

鐘楼からの景色。遠くに黄色い如家チェーンのホテルが見える。まだ住んでる人もいる。なんとも荒涼とした光景だ。ほこりっぽいし、なんとも寂寥たる心持ちになる。

この鐘楼はもともと、西夏の時代からあるものだったらしい。旧市街の写真なんかにも写っている。ご他聞にもれず、文革の時に一度破壊され、その後再建されたもの。

何かの祭日なのか、お寺のなかには人が集まって、にぎわっていた。何の儀式なのかよくわからないが、五色の紙を燃やしたり、赤い布をかぶせてお祓いのようなことをしたりしていた。何人かの一見普通のおばさん(巫女さん?僧侶?道士?)が、腰に赤い布を巻いて、それらの儀式を行っていた。信者?に赤い布を被せて座らせ、お経のようなものを上げながら、線香の煙をかけたり、鈴を鳴らしたりして体を叩いていた。なんの風習なのだろう。


大雲寺を出て歩いていると、肉屋さんが並ぶ通りがあった。でかでかと書いてある「犬肉」の文字。このあたりでもよく、犬肉を食べるのだろうか。

さらに歩いて行くと、「再就業市場」という市場が。普通の市場のようだったが、再就職の世話をしてくれるのだろうか。ぜひ私にも斡旋してほしいところだ。

羅什塔

鐘楼から徒歩20分、羅什塔に着いた。参観無料。かの鳩摩羅什が滞在したという寺。でもまあこれだけで、特に見るものもない。


ここも『地球の歩き方 中国 西北編』に載っているのだが、この西北編は、本当に素晴らしく役に立つ本だ。中国版は地域によって数巻に分かれており、それぞれ内容の粗密や趣が、若干異なる。この西北シルクロード編は、本当に歩き回った方が書いているらしく、ものすごく具体的で有益なことが書いてあったりする。ガイドブックの中身なんて、実際に現地に行ってみると、なんだ違うじゃん!ちゃんと書いとけよ。と思うことが結構あるのに、この巻はむしろ、非常に裏付けのあることがしっかりと書かれていたりして、素直に「ありがとうございます!役立ちました」と思える。


夕食には炸醤麺(7元)を食べた。そして明日の列車切符を手配すべく、バスで駅へ行ってみる。

明朝の蘭州行きは無座切符(47元)しか買えなかった。一応切符は買っておいて、長距離バス乗り場にも行ってみる。発車時刻を確認すると、

西寧行きもあることが分かった。自分の計画では、まず蘭州に戻り、そのあと西寧行きに乗り換えて…と考えていたのだが、武威から直接西寧に行くこともできるようだ。ただしその距離362キロ、5〜6時間はかかると思われる。70元。武威−蘭州は281キロ。武威から祁連山脈の間を抜けて、直接西寧に通じる道があったはずだ。
しかし今回は、蘭州から銀川に向かう列車切符を確保するため、蘭州に寄りたい。青海西寧から甘粛夏河へ抜けて、蘭州に戻り、その後は寧夏銀川を目指すつもりだ。ちょっと効率が悪いが、列車切符の確保を最優先することにして、明日朝はバスで蘭州へ向かうことにする。無座の列車切符は、この際破棄。駅まで行けば払い戻ししてくれるが、いかんせんその体力がない…。旅行はまだ5日目だが、毎日フルで動いているので、だいぶ疲れてきた。ちょこちょことした移動が多いせいもある。47元はもったいないが、それより貴重な、体力確保を優先せざるをえない。もう若くない…。

武威から蘭州へは、30分おきくらいにバスが出ている模様。切符売り場で「明日の切符を買いたい」と言ってみたが、「明日のは明日にならないと売れない」と言われる。ターミナルによっては売ってくれるとこもあるが、当日以外の切符は売ってくれないところも、結構ある。


翌朝06:00起床。ホテルのバイキング朝食を食べ、7:45チェックアウト。

今週のお題「花火」中国の花火

お題であるところの、夏祭りの花火からはちょっと趣旨がずれるが、私が一番最近見た花火は、2月の中国天津での、春節の花火である。

日本の花火とは性格が違って、音と数が重要らしい。春節旧正月)の大晦日、夜11時を過ぎると、そこかしこで花火が上がり始める。花火大会ではない。企業や団体、そして個人で、来年の幸せと発財(もうかりますように)を祈願して、打ち上げるのだ。見た目ももちろん楽しんでいるだろうが、それ以上に、たくさん、景気よく打ち上げることが目的のようだ。町中のそこここで勝手に花火が上がってる様なんて、日本では見ることができない。

天津駅前の川は完全に凍っていて、その上にも花火や爆竹をセッティングし、上げている人たちがいた。バン1台分の、花火と爆竹である。花火の箱を置き、その間に何メートルも連なる爆竹を置く。11時45分を過ぎたあたりから、そこら中から花火の爆音が絶え間なく鳴り続け、0時ちょうどに、最高潮に達する。

日本の花火より高さが低く、まさに頭上で開花する。花火のカスがバラバラと頭の上に降ってくる。爆音で、隣にいる友人の声も聞こえない。

日本の花火のような風情ではないが、これも花火の楽しみ方のひとつ。豪快かつ盛大な中国の花火も、なかなかよい。

08 武威編・1(雷台漢墓・文廟・西夏文化博物館)

(2012年3月のお話。前のお話はこちら
18:50、4時間20分のバスの旅を終え、ようやく武威バスターミナルに到着。タクシーに乗り、『歩き方』掲載の涼州賓館に向かう…が、改築中であった。近くの和平賓館に行ってみるが、ここは外国人アウト。仕方なく少し高い天馬賓館に向かう。タクシー代はここまで6.5元。運転手は一緒にホテルを探してくれた。いいおっちゃんであった。
天馬賓館は歩行街の近くにあり、いい立地。南楼は300元近くするが、北楼は標準間(ツイン)168元(朝食込み)。しかし北楼でも十分に快適であった。写真の奥が北楼。



夕食は歩行街の中にある涼州市場の中で、羊肉砂鍋16元を食べた。砂鍋は野菜としらたきの様な麺が入った、1人鍋。石鍋を直接火にかけて煮込む。熱々で野菜も多めに食べれるため、旅行中なかなか重宝した。

雷台漢墓

 翌日そろそろ疲れもたまってきて、朝は10時起床、11時行動開始。ホテルでもう一泊延泊手続きをする。武威もそんなに大きな町ではないので、タクシーに乗ってもせいぜい5元程度である。初乗りは4元。まずは雷台漢墓にむかう。

武威市雷台漢文化博物館、という名称になっており、入場料は無料。閑散としている・・・。

中には有名な銅奔馬なんかのレプリカ(モニュメント?)があり、公園になっている。

1969年に発掘されたこの銅奔馬は、その造形美から当時大注目され、国家旅游局のマークにもなっているので、中国各地で目にする。地方都市の町の入り口のロータリーとかに、よくある。

公園内には雷台漢文化陳列展示室がある。展示は撮影禁止。でも雷台のめぼしい遺物は、蘭州の甘粛省博物館に展示されている。そちらは撮影可能だったりする。

漢墓自体は、鍵が掛かっていて見学不能。1号墓と2号墓があり、この地区では最大規模の後漢墓だ。

漢墓の墳丘を利用したのか、上には道観が建っていて、道士がくつろいでいた。

文廟

途中の食堂で肉夹馍と豆乳を食べ、昼食とする(6.5元)。またタクシーに乗り(4元)、文廟へ。13時過ぎに着き、先に隣接する西夏文化博物館を見ようとしたが、なんと14時半まで昼休みとのこと。さすが地方、こんな目にあったのは久しぶりだ・・・。仕方ないので、先に文廟に入って時間を潰す。時間が1時間以上あったけど、時間があまってぼーっとしていた。

文廟は入場料30元(学生15元)。なんてことない文廟なのだが、西廊が石刻陳列室になっていて、これがなかなか面白かった。
唐代の墓誌がたくさんあったり。弘化公主の墓誌もあった。あと、猫がたくさんいた。


一応、雰囲気のある牌楼。

西夏文化博物館

14時37分、やっと西夏文化博物館の昼休みが終わり、開けてくれた。ちょうど解説員が解説してくれる時間だったので、お話を聞きながら見学。残念ながら撮影禁止だったのだけれど、この博物館の展示はなかなか充実している。西夏の初めから終わりまでを解説してあり、2階展示室には現代の西夏研究に関する展示もあった。後日行った、銀川の西夏王陵にあった博物館より、こちらの方が分かりやすい展示だった。展示物はまあ、レプリカが多いのだけど、それにしても田舎の博物館にしては、なかなか。