本能寺の変で変わった人生

新型コロナウイルスによりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
現在治療中の皆様の一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

 

 

<<本能寺の変で変わった人生>>

天正10年6月、織田信長は京都・本能寺に宿泊していたところを重臣明智光秀に討たれた。この時、同じく重臣丹羽長秀は四国の長宗我部氏討伐に向かうべく、大坂にて出航の準備をしていたが、同じ軍勢の中に光秀の女婿に当たる津田信澄がいた。しかも、信澄の父信行は兄である信長に殺されている。その怨念が大政変の原因なのか?

丹羽長秀 菊池道人著 PHP研究所
http://honto.jp/ebook/pd-series_B-MBJ-20224-120040866-001-001.html

 

 菊池道人総合ブログ

ラグビー道の本流とは

この本を買ったのは2018年(平成30年) 11月23日。場所は秩父宮ラグビー場
恒例の早慶戦の会場であった。その後はラグビーファンであった父親の仏壇に供えたままであった。
  埃をかぶったこの本を手にとって頁を開きだしたのは2019年のラグビーワールドカップ開幕の数日前であった。

 この物語の主人公、草野点(くさの・ともる)は中学時代はツッパリであったが、勉強はよくできたので福島県下屈指の進学校、積城高校に進学することになり、中卒でとび職になると誓い合っていた不良仲間に殴られた。
 高校でラグビーを始める。ポジションはフッカー。フォワードの1列目中央であるが、花園大会出場は叶わなかった。
 一浪後、早稲田大学商学部に入学する。すぐにはラグビー部へは入部しなかったが、たまたまラーメン屋で同席していた同学年のラグビー部員との奇縁で斯界の名門へ:。
 そしてそれからは:。
 
 主人公は優等生でもスポーツエリートでもなく、そうした若者が名選手になるまでのサクセスストーリーでもない。
 そこに描かれるのは東伏見グラウンドでの伝統の猛練習の日々。早慶戦早明戦の晴れ舞台にも裏方の一人として登場する。

 作者の藤島大氏は主人公と同じく早大ラグビー部出身。その世界を知る人ならではの描写力で描き出された過酷な鍛錬にひたすら耐える物語である。早大のスポーツ有力選手への門戸が現在ほどは広くなかった1980年代には東伏見で汗と泥にまみれていた大半は主人公のような経歴の若者たちであった。 

清宮克幸氏の解説が何とも趣深い。
「早稲田ラグビー道の本流を当時の匂いまで再現している」
もちろん、厳しい勝負の世界を勝ち抜くためには新たな創意工夫も必要なはずだ。
 清宮氏は早大の主将としても監督としても、本書に描かれた「本流」とはまた別の「清宮流」を加味して大学日本一の栄冠を勝ち取った。
 が、それにしても早稲田ラグビー道の本流は厳然と存在する。
 
 この書を読み終えて評者はふと思った。「自分にとつての本流とは何か」と。
「てめえになんかそんなものあるわけないだろ」という声がどこからともなく聞こえてくるようなので、後はただ苦笑するばかりなのだが:。(本の博物館館長代理・菊池道人)

 

 

本の博物館移転のお知らせ

本日2月19日より「本の博物館」は従来の「はてなダイアリー」から「HatenaBlog」に移転しました。

どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

 本の博物館館長代理・菊池道人

追伸:今回の移転に関しましては、総合ブログ

菊池道人総合ブログ

フェイスブックhttps://www.facebook.com/michito.kikuchi?ref=tn_tnmn

で通知いたしましたが、はてなダイアリーの旧・本の博物館では当方の不手際でお知らせすることができず、ご高覧頂いた皆様にご迷惑をおかけしましたことをこの場を借りてお詫び申し上げます。

最も納得できるいじめ関連の本

https://books.rakuten.co.jp/rb/6013954/?scid=we_fcb_upc443
この書のサブタイトルは「なぜ人が怪物となるのか」である。そして、その怪物の正体を明らかにしていく書である。怪物の名は「群生秩序」。「いま・ここのノリを「みんな」で共に生きるかたちがそのまま、畏怖の対象となり、是/非を分かつ準拠点になるタイプの秩序である」 (本書35頁より抜粋) と定義づけている。
 それは一般の市民社会の秩序とは著しく違う。ノリの良し悪しが価値基準で、それにそぐわぬ者はいじめられる。そして、いじめが原因で自殺者が出ても、「あっ、死んじゃった、それだけです」
人を死に追いやっても、罪悪感はない。そういえば、かつて評者が傍聴し続けていたいじめ自殺事件の裁判の途中で、加害者の女子生徒の一人は結婚していた(参考:菊池道人著「津久井町いじめ自殺事件」http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/4.htmこれも群生秩序ゆえなのであろうか。その他にも、評者の学校生活を振り返り、本書の指摘と通じていたと思われるいくつかの事例が思い出される。
 こうした群生秩序の温床となっているのが、閉鎖空間でベタベタすることを強制する学校制度であり、それはまた戦時中日本の隣組や中国の文化大革命とも通じるものがあるという。
本書では解除キーとして警察の介入を推奨する。この件に関しては、評者は大賛成である。また、教育制度の根本的改革も提案している。改革というものは、副作用的な現象が付随しがちであり、実践には慎重さが求められるかとは思うが、少なくとも、本書著者の指摘は現代人が認識すべきものであり、評者がこれまでに読んだいじめに関する本の中では、最も納得いく書である。
 著者の内藤朝雄氏には心から敬意を表する次第である。(本の博物館館長代理・菊池道人)

故郷・早稲田を綴る

先ずはこの本の著者にこの場を借りて、遅ればせのお礼とお詫びを申し上げなければならない。
 著者・安井弘氏が四代目として握り続ける八幡鮨は、評者が早大在学中に在籍していた「歴史文学ロマンの会」が宴会場として度々使用、二階座敷で騒ぎまくっていたからである。 評者入学時の新入生歓迎会、卒業時の追い出しコンパもこの店であった。
   私事はさておき、著者の安井氏は戸塚第一小学校、早稲田中学、早稲田実業に学び、父祖の代からの老舗鮨店を継ぎ、今なお現役であるという。また、下戸塚郷土史研究家でもあり、「我が町の詩 下戸塚」の刊行にも携わった。早稲田に生まれ育ち、愛情深き眼差しで見つめ続けた故郷の姿を綴った名著である。
 江戸時代、この地には高田馬場とよばれる馬術場があり、武士たちが流鏑馬などに励んでいた。後の赤穂四十七士の一人、堀部安兵衛こと中山安兵衛が義理の伯父の助太刀で武名を挙げた由緒ある地に、明治十五年、その前年の政変で下野した大隈重信が東京専門学校、後の早稲田大学を創設した。田んぼやミョウガ畑、そして校歌の歌詞にもあるような「早稲田の森」に囲まれた緑豊かな地も、学校の発展に伴い、商店や下宿屋が立ち並ぶようになったが、著者の少年時代に起こった第二次世界大戦の際には、多分に漏れず、空襲の被害に見舞われた。戦後の経済成長、さらには平成時代のバブル崩壊と時代の変遷とともに街の姿も変わっていった。
 しかし、早稲田は学生の街。いつの世も様々な青春ドラマがあった。そうした数々の人間模様が美しき自然描写とともに綴られている。
 読み終えて本を閉じ、やや上を向いて目をつぶった評者の瞼には、今頃は紅葉が盛りの水稲荷神社、秋の青空を突き刺すかのように聳える大隈講堂がかすかに浮かんでくる。
近いうちに、思い出の店でもある老舗にて旨い鮨を肴に一献と評者は思っている。(本の博物館館長代理・菊池道人)

「畠山重忠」全巻揃いました。

畠山重忠(四)
https://bccks.jp/bcck/151573/info

豪族同士の争いを調停するなど、鎌倉政権の体制確立にも尽力する重忠。しかし、頼朝の死を境にして、御家人たちの力関係は大きく変化し、心ならずも新たな権力抗争に巻き込まれる。一方、袂を分かったはずの左近は:。武士としてのそして人間としてのあり方を問う一作、ここに完結!