第10回 お台場散歩

 2013年二回目の東京彷徨。今回は海辺を歩いてきました。


 元々、この企画を始めた時から、一度はやってみたかったのがこのお台場スタートでした。東京の色々な顔を見たいという趣旨なので、「歴史ある場所」とは対極的なところも取り上げてみたいと思っていました。もっとも、薄々お気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、お台場のオシャレスポットとかは基本無視で、相変わらず人が行かないところへと足を向ける、いつものスタンスです。
 まぁ単純に、川や海など水辺を歩くのが好きなので、その辺を眺めて歩きたいという気楽な理由もありましたが。


 そんなわけで、今回は



 JRりんかい線東京テレポート駅からスタートです。
 どうもこの駅名はいまいち馴染めません(笑)。
 いかにも現代建築といった趣きの駅舎を出て、駅前ロータリーからは



 すぐ近く、ヴィーナスフォートの観覧車や



 そしてフジテレビの特徴的なビルが垣間見えます。
 夏休みシーズンという事で、あちらの方に行けば芸能人が来てたりいろいろするようですが、私の散歩の目的は別にあるので、眺めるだけです。
 そして、まずは海岸の方へ歩き始めます。



 目に入ってくる建物は皆、どれも真新しく、洗練されている感じがします。
 このお台場周辺、具体的にはゆりかもめ沿線の風景と言うのは、おそらくかつて(昭和の頃)夢想されていた「近未来都市」に最も近い景観がある地域だと思うのです。平成になってから開発された土地ですからね。


(HD) 夜のゆりかもめ(新橋→豊洲) 01


 この日はゆりかもめには乗りませんでしたが、周辺の町並みにはやはり独特のものを感じました。
 今思うと不思議ですが、子供の頃は、東京中が――否、日本中がこんな景観になる「未来」をなぜか信じてたんです。おかしなもので。


 いずれにせよ、珍しい外観の建物が多く、普通に歩いているだけでもこの辺りは楽しいです。
 ……などと言っていたら、見慣れた顔が見えてきたわけですけれども。



 おやおや、ガンダム大明神さまじゃありませんか。
 こちらの1/1ガンダムも、色々あって今はお台場に落ち着いているようです。これがお台場に初めてお目見えして、大きな話題になってからもう4年も経つのですね。この日も日本文化を代表する存在として、中国か韓国辺りから来た観光客さんを堂々と出迎えていました(笑)。


 海の方へ向かうと、じきに見えてくるのが船の形をした建物、船の科学館です。そういえばこれも見覚えがあるなと思ったら、そう、4年前にお台場ガンダムを見に来たときに利用したのでした。近いので、当時ガンダムが立っていた公園まで少し足を延ばしてみます。



 都立潮風公園
 棕櫚の木が南国風で気持ち良いです。そして、ここを真っ直ぐ進むと、念願の海が見えます。



 見えました。
 貨物船が多く出入りする埠頭なのでしょう、荷揚げ・荷卸しのためのクレーンが連なる景色が壮観です。



 こちらは、対岸とこちらとを繋ぐトンネルの通風孔。
 これも最初に見た時、非常に印象深くてずっと気になっていた建造物でした。通風孔は対岸にもありまして、



 この通り。隣に見えている煙突は、大井火力発電所とのこと。
 やっぱりこういう、普段目にできない施設とか、見慣れない建物とかが視界にあるのは単純に楽しいです。東京のインフラを支える土木・建築って特に、規模の大きさが半端じゃないので。
 まぁそれで浮かれて、2009年当時ガンダムが立ってた広場を写真に撮るの忘れたんですけどね。一応、その時のレポートはこちら


 ここから、海岸沿いに歩いていきます。途中、いろいろと面白い船が停泊してたりしまして。



 水産庁と書かれた船があったり。



 そして、こちらは南極観測に出向いた船、宗谷丸。
 船の碇というのをじっくり見たのが何気に初めてだったので、珍しくて写真を撮った次第です。なるほどこうなってるのか、という感じ。
 で、この宗谷丸は、内部を見学できるようになっておりました。係員さんに聞いたところ、写真のブログ等での公開はNGとの事なのでそれだけ残念ですが。
 この手の船の中をゆっくり見学した事はあったかな。もしかしたら初めてだったかも知れません。船員の生活スペースはいかにも狭く、このスペースに100人以上いたというのは相当大変だったろうな、という感じ。あと、船室に当時の制服再現したのを着たマネキンが置いてあったりして、それが狭い扉の向こうにいきなり立っているので地味に心臓に悪い(笑)。
 あと、かの有名な『南極物語』のタロとジロの置物なんかもありましたが、最近の若い子はそろそろ知らないよね、この話もw


 操舵室も見る事ができて、さすがにそういうところを見るのはワクワクしました。伝声管の実物とか、なかなか見られませんぜ。『天空の城ラピュタ』でドーラが息子らを怒鳴りつけるのに使うやつね。



 宗谷丸を出て、近くに展示してあった別な船のスクリューと一緒にパシャリ。奥に見えてるのが船の科学館です。ここも見たら面白いのかなと思いますが、博物館関連は見始めるとけっこう時間を喰うので。本日は別件を優先するために見送り。
 まぁ、なんだかんだでお台場はけっこうな頻度で来るからな。またいずれ機会のある時に。



 さらに進んだ先にあった、御座船もどき。観光船ですね。
 江戸時代の将軍とかが乗った船を模造してるんでしょうかね。まぁ帆なんか完全にフェイクなようです。後に動いているところを遠目に見ましたが、普通にスクリューでギュンギュン進んでました。



 他にも、よく見ると税関の船があったりして、この辺も色々面白いですw


 ここで、遠目にコンテナの積み下ろしをしているらしい景色が見えて、けっこう近くまで寄れそうだったのでそちらに向けて歩き始めました。
 途中、テレビドラマか何かの撮影と思しい人たちと遭遇。そういえばさっきの潮風公園でもグラビアの撮影っぽい事をしてる人たちがいました。平日のこういう場所って、案外多いのかも知れません。考えてみればテレビ局も近いんだしね。



 そして、こちらが大きなコンテナ船です。時々上部のクレーンも動いてました。
 今回、海辺を歩きたいと思った理由の一つがこういうところで、とにかくスケールがでかい。わざわざこういう場所に足を向けないと見られない情景が多くて、なかなか目に愉しいです。
 東京の「流通」の規模の大きさについては、後ほどさらに思い知らされることになりますが……。


 ここで一旦引き返して、ちょっと別な所に足を向けました。実は、とある目的で日本科学未来館に行こうと思っていたのです。



 途中、見かけた湾岸警察署。『踊る大捜査線』の舞台ってこの辺なのかな?



 そしてこちらが、科学未来館です。フジテレビ社屋といい、こういう球体つけるのがお台場では流行ってるんですかね?


 内部は、なるほど未来を名乗るだけあり、垢抜けた感じ。最先端科学に関するトピックを紹介したブースなんかも面白いものが多く。この日見た中では、今話題の3Dプリンターに関する説明板なんかもあったりして。
 また、ちょうど見学中に、超電導に関する実験が始まりまして、ちょっと冷やかし気味に眺めたりしました。なにげに液体窒素を生で見たのは初めてかも知れない(笑)。説明も分かりやすく、楽しめました。
 とはいえ、ここに来た真の目的は別にあります。その目的とは。



 これだ。
 ……はい、分からない方が多いかと思いますが、これは化学実験で使用するドラフトチャンバーという機械です。実験の過程で人体に有害なガスが出るような場合でも、この中であれば大丈夫という代物。内部が換気扇のお化けみたいになっているのですね。
 いつか、化学を扱った小説を書こうかなという構想が実はありまして、そのためにこのドラフトチャンバー(通称ドラチャン)というのを一度見てみたかったのでした。ネットで検索したら、この科学未来館には実物があるというのが分かったので。
 理系の友人とかがいれば見られたのかも知れませんけどね。なかなかそういうわけにもいかないので。ちなみに、スタッフの人に無理を言って特別に見せてもらっています。さすがに、こんなものを見たいと言って来た人は初めてだったようですが。
 せっかくなので、内部やパネルなど何枚か写真を撮らせてもらいました。その後、建物内のカフェにてカレーなど食べて休憩。
 そして、ここから海沿いに歩きます。


 テレコムセンターを過ぎると、ゆりかもめのレールは方向転換して離れていきます。ここから先は一般人には用のないエリア、青海コンテナ埠頭です。



 人工の土地らしい、まっすぐな歩道。
 この辺りまで来ると、通る車両も大型のトラックばかりです。実は車の排気ガスでけっこう空気は悪い(笑)。しかし、普段見られない東京の大動脈を目に出来るというのは、それなりに感動するもので。



 とにかく、こんな感じにコンテナの積み上がった情景が、行けども行けども続きます。
 何をこんなに運んでいるんだ、などと思ってしまいますが、もちろんこれが東京という都市を支える物流の規模という次第で。しかもその一部なわけです。頭でわかっていても、やはり実際その場に立って実感すると圧倒されます。
 景色としても、埠頭のコンテナ置き場って時々アニメとかで出てくる事はありますが、現実に見るとすごい異様。そもそも徒歩でこうして歩くことがほとんど想定されていない場所なので、そういうアウェイ感もあわせて、まるで別世界歩いてるみたいな気分です(笑)。
 個人的に、この東京彷徨はちょっとした冒険だと思っているのですが。今回は特にそんな印象の強い散歩でした。



 見た事もないほど巨大なフォークリフト。不意打ちで目にしてビビりましたw
 そりゃ、こんだけの大きさのコンテナを移動させるなら、これくらい大きなフォークリフトがいりますわな。



 右も左も前も後ろもコンテナ。
 ちなみにこの日は、連日ニュースで熱中症への注意喚起がされてた猛暑続きの時期でした。出かけた私も暑さ対策を万全で臨みました。それでも、なかなかの強行軍。



 こちらは青海のワールド流通センター。なんと、延々300mも続く長〜い建物。
 東京で、高さで圧倒される事は多々ありますが、平面的な広さで圧倒されるというのはなかなか無い事なので。なかなかに壮観でありました。ここまで来るともう、目の前の道はトラック、トラックで大渋滞。この辺りで、一般車両は一台も見なかったんじゃないかな。



 そのワールド流通センターの側面にありました。こんなの。
 立体駐車場を昇る時にこういうのがついてる場合がありますが、トラック用なのかこれも規模が大きい。
 また、左下の庇についている番号にも注目です。この間隔で1から順に番号ふって、149まで来るくらい、この建物が横に長い事がわかります(笑)。



 またこの辺りは羽田空港とも近いようで、飛行機もかなり頻繁に目にしました。
 ただ未だに動いているものを撮るのが極端に苦手なので、全然よい写真が撮れませぬ(笑)。



 もう一枚、コンテナ集積地帯をパシャリ。



 そんなわけで、30分ちかく歩いて、青海コンテナターミナルを半周。



 埠頭突端から東京湾。現在の東京の海辺というのは、基本こういう光景なのですね。


 さて、この埠頭は車道は海底トンネルで対岸につながっていますが、歩道としては行き止まり。結局お台場のテレコムセンター辺りまで戻るしかない状態でした。
 この復路が、なかなか大変でした(笑)。炎天でちょっとふらふらしてくるし、休める所は無いし。道端に駐車してあるトラックの陰を渡り歩くようにして、どうにか再びゆりかもめのレールが見えるところまで到着。
 さすがに、近くの公園で少し休憩しました。こういう日に無理をしてはいけない。
 少し落ち着いて汗も引いてきたところで、再び海沿いに歩きます。しかしこの方向に歩くと、例のアレにたどりついてしまいますが……。



 途中で見かけた船。これもすごいサイズです。
 やっぱり海運はスケールでかいすなぁ。



 一方、左手側は引き続き未来都市の趣き。
 ここでも、臨海副都心として、オシャレな街としてのお台場と、武骨な物流拠点とが、意外な近さで隣り合ってるのですね。実に東京らしいと思います。
 とはいえ、その物流拠点も、ここで一旦途切れる事になります。目の前に、例のアレが見えてきましたよ。



 ほら、例のアレ。
 こちらはご存知、国際展示場こと東京ビッグサイトです。年に2回、50万人を動員する同人イベントが行われる事でおなじみ。私は一回くらいしか行ったことがありませんが……当日のおそるべき戦場具合は肌身で感じて戦慄したもので(笑)。
 今年も、あと一か月もなくあの戦場が再びこの世に現出するはずですが、この日はごく普通の催し物だったらしく。



 非常に和やかな空気でございました。
 戦場の記憶しかない方もおられるかも知れませんが、特定の日にさえ来なければ、ビッグサイト周辺も平和なもんです(笑)。
 で、ここで喫茶店に入り、さらに追加の休憩を取りました。さすがに熱中症の危機を感じるほどの炎天。ここで30分近く、本など読みながら。
 そして入り口付近のコンビニでポカリスエットを買い足して、続行。この頃になると日が傾いて来て、気温も明らかに下がって来たので、ようやく安全に歩けるくらいの陽気になってきました。



 引き続き海岸沿いに進みます。遠景にスカイツリーを発見。



 歩きやすい気温になってきましたが、同時に日没の心配が出てきました。
 この日、目標として夢の島公園を見てみたいというのがありまして、実はそちらの方向に漠然と歩を進めていたのです。しかし暗くなってしまっては意味がないので。


 それと同時に、実はこの道は、私の個人的思い出の道でもあったりしまして。


 大学時代、就職活動をやってた頃、ビッグサイトで行われた合同会社説明会に出向いたことがあったのです。
 大学時代は遊びとサークル活動ばかりで、ろくに就職対策らしい事をやっていなかった私は、いざ説明会に行ってみたものの何をしてよいか分からず、一通りブースを一周した後、結局何もせずに外に出て来てしまったのでした。疎外感と焦燥感を持て余しつつ、真っ直ぐ帰る気にもなれずに、ぼんやりと東雲の方まで徒歩で歩いたりしたのです。
 その時、普段は目にしないコンテナの山や、見知らぬ裏道を歩いた時の記憶が、この東京彷徨という企画の核になった体験だったのかも知れません。この日の散歩は、もう一度そうした風景に会いに来たという企画でもあったのでした。
 もしあの頃の自分に声をかけられるなら、「とりあえず10年くらいは死なずに食べていけてるから、心配すんな」と言ってやりたいですw


 さて、そんな思い出の道をも離れて、さらに東側へ。



 途中の橋から見える、林立するクレーン。この日は大小さまざまなクレーンもたくさん目にしました。



 そして近年、東京の水辺に次々と増殖し続けている、高層マンション。
 住宅という建物の性格上、どれも皆ミルフィーユみたいな、同じような外見になるため、これらが続々と建ち並ぶ景色には独特の奇異さがあります。
 これはこれで、「東京の風景」の新しいスタンダードなのかもしれません。一体、この東京という街の都市景観は、誰がコントロールしてるのでしょうかね。東京の近未来の景色は、日本人があまり想像もしてこなかったような姿なのかも……などと思ってみたり。


 ところで、この周辺は相変わらず物資集積地帯で、道路もトラックが通るための道路のようなもの。徒歩移動する人がいるなんてあまり想定されていないような場所です。なので、



 歩道の荒れ方がすごい(笑)。


 そんな道をつらつら歩いていくうちに、ようやく少し普段馴染んだ景色に近い街並みになってきました。新木場の駅が近づいてきたからですね。この辺りでようやくコンビニなども再び目に入るようになって……って、なんだあれは。



 まさか東京23区内でこんな自販機を目にする事になろうとは(笑)。
 そういえばこの日は釣り人もけっこう目にしたのでした。もっとも、この自販機からすぐさま近くに海があったような様子はなかったのですがね。


 で、ここでまたしても大ポカをやらかしたわけです。夢の島という名前から、目的の公園も沿岸部にあるに違いないと思って海沿いに右折してしまったのですが。実は夢の島公園って新木場駅のすぐそば、それも内陸側にあるのですね。この辺り、事前の下調べをあまりしないスタイルが完全に裏目に出ています(笑)。



 そして目的地に背を向けて海岸沿いを踏破し、



 こんな工場萌えな写真を撮ってみたりして。
 ようやくこの辺りで周辺地図を載せた案内板があり、自分の現在地を把握しました。仕方なくUターン。日没時間も迫っております。この時点でかなり足が痛くなってきてたのですが、構わず強行軍。



 そして到着したのが、新江東清掃工場。



 建物。
 少しは夢の島っぽいものに出会えたかなと思ったりしましたが、夢の島公園の入り口はここからさらに離れたところ。



 なんか、長い林道みたいなのを10分くらいさらに歩かされました。
 見たところ周辺に外灯の類いが見当たらず、ここで日没を迎えたら真っ暗になるなという危機感と戦いながらなおも歩きまして、



 ようやく公園入口に到着。
 何となくイメージしていたのとまるで違いまして、非常に戸惑ってみたりしました。こりゃ普通の公園だ。
 帰宅して調べてみたところ、この日訪れた「夢の島」へのごみの埋め立ては、1967年までで終了しているのですね。名前のイメージから、未だに「ゴミの埋め立て地があるのかな」などと思っておりました。これは不勉強だった。周辺には広場のほか、スポーツ競技場などもあり、休日に来て運動するのに良さそうな場所でした。
 zsphereの半分は不勉強でできています。


 そんな中、歩いていたら目に入ったのが、



 第五福竜丸展示館。
 アメリカの水爆実験で被ばくした船が、こんな所で展示されていたのでした。
 この展示館の閉館時間は4時。ここに辿りついた時点で6時を回ってましたから、これは見られないかと思ったのですが……たまたま何かの取材のようなものが入っていたらしく、聞いてみたら中を見ても良いとのこと。なのでお言葉に甘えました。もちろん、館内での写真撮影なんかしないけど。



 遠洋マグロ漁船ながら、木造とのことで、昼に見た宗谷丸よりかなり小ぶりでした。それでも下から全容を見上げると、その大きさは凄い迫力。なんか水爆云々より、単に船の構造とかを面白く眺めた感じです。
 そして、建物の外に、



 第五福竜丸のエンジンが展示されていました。
 一時、別な船に転用されていたのが、海の底に沈んでしまい、それを何十年ぶりだかにサルベージされ、今は東京都に寄贈されこの場所で展示されているとか、何とか。
 素人の私には、どこがどんな役割を持った部分なのかさっぱり分かりませんが。こうして眺めると、何とも形容しがたい感慨があるものですね。



 向かい側は、個人所有のクルーザーなんかが大量に停泊しているハーバー。
 もちろん私はこんなクルーザーなど所有できるご身分ではないので、ただ眺めるだけ。それにしても、東京にもこんな場所があるのですな。これはこれで別世界のようだ(笑)。



 遠景にスカイツリー。これで、この日のお散歩もタイムオーバーとなりました。
 いやしかし、足が痛い痛い。この企画始まって以来、こんなに足痛くなったのはじめてでした。



 帰りは新木場駅から。お月様と一緒に、この日最後のパシャリ。


 この日歩いた行程はこちら



 足が痛いわけだよ、20km以上も歩いてるじゃないか……。間違いなく自己新記録です。
 とはいえ、さすがにこれは頑張り過ぎですかね。2日後まで歩くの痛かったですw



 この日の散歩には、他にもこの「東京彷徨」企画で初めてだった事がありまして。散歩中、一度も神社や寺を見かけませんでした。
 新興の埋め立て地は、地主神に守護されていない土地でもあるのですね。こういう場所にも、何十年も人が住み続けるうちに、神社が新たに勧請されたりするのでしょうか。


 そして、海辺を歩いたことで、船にまつわるものをたくさん見た日でもありました。南極探査船宗谷丸、遠洋マグロ漁船第五福竜丸、コンテナを積んだ巨大貨物船から個人所有のクルーザー、そしてフェイクながら徳川の御座船まで(笑)。
 かつて、江戸時代まで、この街の流通は海運が主流でした。その後、陸運がさかんになり、以前銀座界隈で見たようにかつての川が高速道路になったりもしたのですが……一方で、東京湾の埋め立て地では今でも海運が恐ろしい規模で行われているのですね。その事を実感して、圧倒された散歩でした。
 観光地として整備されてはいませんが、こうした場所を眺め歩くのも社会科見学として非常に魅力的です。我々の生活を支える仕組みを見に行くという意味でも。
 もしお台場を訪れる機会があったなら、是非足を延ばして、こういう景色も実際に眼にしてもらうと良いのかなと思います。そんな事を思った散歩でした。
 ただし、夏場は熱中症に気を付けて(笑)。



 そんなところです。今年中に、もう一回くらいは東京彷徨が出来るかな……。

 盤上の夜


盤上の夜 (創元日本SF叢書)

盤上の夜 (創元日本SF叢書)


 前々から気にはなっていた、宮内悠介の小説。たまたま気が向いて手に取りました。そしてなかなかに楽しめました。


 囲碁、チェッカーなどのボードゲームを題材に、そこで活躍する人物を評伝形式で追って行くという体裁の短編集。一見、淡々とした語り口ですが、裏腹に各話ごとのプロットや仕掛けが大胆に変わるので、油断ができません。これを引き出しの多さと見るか、新人さんゆえの不安定と見るかは人それぞれかもですが……扱う題材への踏み込みも含め、個人的には前者と見えました。



 四つ目の話を読むくらいまでは、この作品がSFの賞を獲ったという事があまりピンときていなかったのですが。確かに非常に巧みだし、題材の料理法も面白いけれど、SF? という疑問符は頭の片隅にあったりして。
 それが、五つ目の、将棋を扱った話に来て、一気に瞠目させられたわけです。そこまで、どちらかというと「まぁこう来るよねぇ」といった、ある程度こちらが想定していた範囲に落ちて来てた話が、この第五話目でいきなり斜め上に突き抜けてくれました。私の作品評価メーターの針が、この瞬間に振りきれて観測不能に(笑)。
 なるほどこれはSFだわ。やられました。



 私はSFというジャンルには全然詳しくないので当てずっぽうで言うのですが、全盛時代のSFが夢想した「未来」って、やはり一度ご破算になったのだろうなと。
 もちろん、宇宙への進出も、テクノロジーの発展も現在進行形で進んではいるのでしょうが、一方でかつては想定されてなかった部分が発展したり、軌道修正を迫られたりして、そうした再調整をこのジャンルはやっているのかな、と外側からは見えたりするのです。


 実は、スーパーコンピュータの情報演算なんか目じゃないくらい、人間の五感と脳の方がはるかに膨大な情報を処理してるらしい事が分かって来たり、あるいはインターネットの現在のような形での普及がかつてあまり予想されてなかったり、といったところでしょうか。


 そういう意味で、この作品が昨今のサイエンス関係のトピックのどの辺を拾って来てるのかなというのが、かなり共感とともに理解できました。私が関心を向けてる方向とけっこう近いということもあり。
 たとえばラマチャンドラン『脳の中の幽霊』的な、人間の五感と脳への関心とか。あるいは電王戦のような人間vsコンピュータの将棋対決とか。そうそう、今の時代にSFやるならその辺に目が向くだろうな、っていう個人的な共感と重なってくる感じで。
 しかし、この著者の射程はもう少し遠くまで及んでいたようでした。



 宇野常寛にいわく、ゼロ年代エンタメが無意識に共有していたのは決断主義者たちのバトルロワイヤル。自分が正しいと思う事を掲げた者たち同士が熾烈な戦いを繰り広げる、善悪が判然としない世界。
 そしてそれに対して、10年代のエンタメが無意識に共有していると私の感じているのが、バトルロワイヤルのルール自体の不備でした。『魔法少女まどか☆マギカ』や『Fate/zero』に顕著なように、「自分が正しいと思ったものを掲げて、互いに潰しあうゲームに参加するのだけれど、実はそのルール自体が老朽化していたり、あるいは悪意ある仕組みが込められていて、その中で頑張っても報われない。勝者になっても願いが叶わないシステム」。そのようなシステムにどう立ち向かうかというのが、ゼロ年代エンタメの隠れたテーマになるのではないかと思っています。


 仮にそのように読んでみた時に。この『盤上の夜』の第五話で登場人物が掲げた構想というのは、ちょうどゼロ年代と10年代の狭間で、その橋渡しをするような想像力だと言えるのではないか、と思ったのでした。4話目、5話目と、プレイヤーではなく、ゲームのルールそのものを生み出す側にフォーカスが当たるのは、そうした関心の移行の表れと見る事ができるからです。そこで目論まれている事も含めて。


 おそらく、この著者の方は非常に勉強家なのだろうと思います。各章の末尾に参考文献を示す律義さからも、何となくそう感じさせます。
 そして、広く様々なジャンルを勉強して、それらを複合したクロスポイントにプロットを立てるという、こういう作風の作者さんが個人的に非常に好みなので、一気に気に入ってしまいました。
 そんなわけで、次回作も手に取ると思います。
 直木賞は逃したようですが、引き続き活躍してほしいものです。

日本国憲法


日本国憲法 (小学館アーカイヴス)

日本国憲法 (小学館アーカイヴス)


 改憲の話題が活発に出て来るにともなって、最近売れているらしい、読みやすく編集した日本国憲法。振り仮名と新仮名遣いにしただけで、けっこう手軽に読めるもんです。
 たまたま興が乗ったので読んでみたのですが、なかなか面白いもので。


 とりあえず、意外に知らなかった記述がけっこうあるものだな、というところで発見があったりして。天皇が幼年だったりした時のための「摂政」の規定なんてあるんですね。
 あと、大赦や特赦、減刑に関する記述なんかもあって、びっくりしたり。こんなの、実際に戦後になってから実施された事あるんですかね、大赦なんて。現代の価値観じゃ、罪人の刑が免除されても、それで徳だなんて思ってもらえないだろうなぁ(笑)。


 そして何より、憲法前文から異様な気迫というか、何とも言えない勢いを感じて、何だろうこれ、と動揺したという部分があります。
 私は日本国憲法成立前後の事情をまったく知らないので何とも言えないのですが、これ、実はすごく過激なことが書いてあるんじゃないか? という気はしました。敗戦後に書かれたにしては、全然しょんぼりした感じではなくて。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
 この辺の大仰な表現なんか、むしろ当時の戦勝国に対する皮肉だったんじゃないの? という気もしてくる(笑)。正直、読みようによっては理想に走り過ぎてる、とも思えるのですが、しかしどうにも、ただお人好しだからそうなってるような気はしないのですね。むしろどこか、挑みかかるような勢いを感じるのです。この辺り、どうなのでしょうね。



 その後の各条項ですが、私は端的に、「ゲームのルール」を読むような気持ちで読みました。日本というゲーム、国会というゲーム、行政というゲームの、各種ルール。
 一つ上の、『盤上の夜』の感想で書いたように、昨今のエンタメはゲームの中で戦う事それ自体だけではなく、実はそのゲームルール自体に不備があったり、ゲームの仕組みに悪意が紛れ込んでいたりする事へと、関心を移しているように思える。そしてそのような想像力が暗に示しているのは、「ただのプレイヤーである限り、どんなに最善を尽くしても報われないかも知れないよ」という事です。単にプレイヤーであるだけでなく、我々はゲームのルールそのものを検証し、時にはルールの改変というところまで視野に入れていかないといけないのかも知れない。
 そういった一種の焦燥感のようなものは、ここ最近の私の中にかなりあります。
 ツイッターなどで、最近特に、柄にもなく政治関係のツイートやリツイートを頻繁にやっているのも、そうした危機感に駆られているからなのでした。


 ……などと書いて、私が端的に改憲を主張しているのだと解釈されると、ちょっと待ってって言いたくなるのですけれども(笑)。しかしいずれにせよ、我々はもう、我々の生活を規定しているルールやシステムについて、無関心なままではいられない時期に来ているのではないかという事は、言えるような気がします。


 普段、取扱説明書を読まないままテレビゲームを始めてしまう人も。利用規約を読まずにサイトの同意ボタンを押してしまう人も。
 日本国のルール、読んでおかなくて大丈夫ですか?

 シリーズ「遺跡を学ぶ」76 大宰府


遠の朝廷・大宰府 (シリーズ「遺跡を学ぶ」076)

遠の朝廷・大宰府 (シリーズ「遺跡を学ぶ」076)


 手軽に考古学成果が確認できるシリーズとして個人的に気に入っている新泉社のシリーズ。買って置いたのを、たまたま気が向いて読んでみました。


 大宰府というと菅原道真、というのはごく普通の連想なのですが、それだけじゃないわけですね。私もまだあまり調べられていませんが、藤原広嗣が反乱を起こしたところで、玄�壯が謎の死を遂げた地で。また司馬遼太郎で読んだところによれば、唐から帰国した空海が、都に上る前に2年間も滞在していた場所でもあります。
 これらは互いに関連した事項ではありませんが……しかし、一見つながっていない「点」を一つずつ穿っていくのが好きなのです。そうした点が、いつか透かし絵のように像を結ぶかもしれないと期待して、情報を点として一つ一つ刻印していくというのが、私の勉強法なのでした。
 そのような私にとって、大宰府というのも魅力的な点がいくつも散らばった場所なのでした。


 実際、当時の大宰府政庁が京と同じ条坊制の都市だったという基本的なところから、一つずつ驚きながら読んだ次第です。
 また日本の都市としては珍しく、防塁に囲まれた、大陸的な都城を思わせるロケーションだったというのも面白く。
 その他にも、なかなか面白い情報が収集できました。


 やっぱりこのシリーズ良いなぁ。全100巻で完結してしまうというのが惜しいとずっと思っているのですが。同時に、同じ編集方針で海外の遺跡シリーズも出してほしいなとずっと思っている私です。新泉社さん、どうかひとつ(何