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リハ医の独白 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-12-25 目標はニーズと評価から導きだされる

目標はニーズと評価から導きだされる

 リハビリテーションの目標設定について、no titleを題材に説明をする。

【断 久坂部羊】箸で刺身を食べるのはぜいたくか


 介護・福祉系の大学で、リハビリテーションの講義をしていて、最近のリハビリは、医学的な所見だけでなく、患者の満足度も重視しなければならないと話した。

 その例として、ある脳梗塞(こうそく)の患者が、懸命のリハビリで、フォークで食事ができるようにまで回復した話をした。医学的にはそこまでが精一杯だと思われたが、本人は箸(はし)で食事ができるようになりたいと望んでいた。

 その理由を聞くと、「フォークで刺身を食べてもうまくないんや。刺身はやっぱり、箸で食べんと」と言った。さらに、「茶漬けをスプーンで食べても食べた気がせん。茶漬けは、箸でさらさらとかき込むもんや」とも。

 だから、リハビリは医学的な判断だけで中止せず、患者の希望を考えてプログラムする必要があると説明した。

 すると一部の学生から、「箸で食べてもフォークで食べても、刺身は刺身では」という声が上がった。私は驚き、その意見に賛成かどうか、ほかの学生の考えを聞いてみた。すると幸いなことに、結果は「フォークでも箸でも同じ」派は少数だった。

 介護に携わるなら、自分の感覚ではなく、相手の感覚を尊重すべきだと、一応は説教をしたが、将来は決して楽観できないなと思った。

 これからは、刺身をフォークで食べても同じという若者が増えてくるのだろう。そういう世代が介護を担うようになれば、箸で刺身を食べたいと思うのは、ぜいたくと言われるかもしれない。嗚呼(ああ)。(医師・作家)


 久坂部羊氏の略歴は、久坂部羊閣下 - 新小児科医のつぶやきに詳しい。1997年、42歳時に外務省辞職し、老人デイケアセンターに勤務している。現在、大阪人間科学大学社会福祉学科で教授をしており、老人医療と終末期医療を担当している。本コラムも、同大学の講義を描写したものと推測する。

 

 久坂部羊氏の「最近のリハビリは、医学的な所見だけでなく、患者の満足度も重視しなければならない」という発言および目標設定のいい加減さは看過できない。リハビリテーション医学は、「復権の医学」であり、うぶ声を上げた当初より、QOL(人生の質)を重視してきた。*1同氏はリハビリテーション医学を系統的に勉強したことはないようである。


 リハビリテーション医学の目標は重層的である。1980年にWHOが発表した国際障害分類(ICIDH)は、2001年に国際生活機能分類(ICF)へと発展した。生活機能を大きく「心身機能・構造」、「活動」、そして、「参加」に分け、それぞれのレベルで障害構造を明らかにしたうえで、目標が設定される。中でも、「参加」レベルの目標が主目標として重視される。復職・復学、家庭内役割発揮など、社会参加の形を考えながら、リハビリテーションプログラムを組む。ちなみに、「箸で刺身を食べる」という目標は、「活動」レベルの摂食動作に位置づけられる。

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 リハビリテーションの目標を設定する上で、私は以下の点に注意している。

  • 希望・要望=ニーズではない
  • 目標はニーズと評価から導きだされる
  • リハビリテーションは目標指向的であると同時に時間限定的アプローチである

1.希望・要望=ニーズではない

 「箸で刺身を食べる」という希望の奥にどのようなニーズがあるのかまで検討しなければ、リハビリテーションの目標は設定できない。多くの右片麻痺患者は、「利き手である右上肢を実用的に使いたい」というニーズがある。食事時に箸を使いたい、しかも、それを麻痺した利き手で行いたいという願望が、「箸で刺身を食べる」という形で表明されたと考える。さらに言うと、右手で字を書きたい、両手でネクタイを締めたいなどといったニーズも同様にあると推測する。


2.目標はニーズと評価から導きだされる

 次に、「利き手である右上肢を実用的に使う」というニーズがそのまま目標になるのか、ということを検討しなければならない。そこで、専門的評価が必要となる。箸を使用する、字が書けるという目標は、脳卒中片麻痺の場合、難易度がきわめて高い課題である。フォークで食事ができるようになった場合でも、箸使用は不可能な状態にとどまることが多い。ニーズを確認せず、個別性を無視して、評価に基づいた画一化した目標を患者に押しつけてはならないが、医学的評価を軽視する態度もとるべきではない。

 ちなみに、どうしても箸使用の能力を獲得したい場合には、利き手交換という手段もある。麻痺の程度によってはバネ付き箸という自助具もある。


3.リハビリテーションは目標指向的であると同時に時間限定的アプローチである*2

 リハビリテーション医療はチームアプローチである。様々な職種がバラバラに動くのではなく、ニーズと評価に基づく目標(主目標=社会参加レベルの目標、個別目標=活動、心身・機能構造レベル等の目標)を確認する。目標を達成するために、課題ごとに個別プログラムを組み、職種を超えて協力しあう。例えば、「下肢筋力を強化し、歩行能力を向上させる」という課題が設定されたならば、PTだけでなく、OTも意識的に立位や歩行での作業を指導する。病棟でも、看護師たちが立ち上がり訓練や歩行訓練を行う。結果を常にモニタリングしながら、評価を繰り返し、目標の調整をしていく。

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 課題達成時期を明記したものでなければ、目標とはいわない。単なる治療者の願望に過ぎない。難易度が高いほど、時間がかかる。若年で復職を目指すという主目標を立てた場合には、疾患別リハビリテーション料で定められた標準的算定日数を簡単に超える。必要だったら、レセプトコメントを毎月提出してもリハビリテーションを施行する覚悟をする。さらに、職業的リハビリテーションのプロ(ジョブコーチなど)との連携も意識的に行う。


 久坂部羊氏の今回のコラムは、「リハビリテーション医療は、患者希望から導き出されるニーズを大切にし時間をかけて行うものである」と善意に解釈することもできる。ただし、箸を使用する訓練をしないのは、患者の希望を聞かないからだという誤解も招きかねない。

 【断 久坂部羊】のどのコラムを読んでも言えることだが、底の浅さが目立つ。標準的な医師人生からかなりはずれた経歴だから仕方がない。謙虚さがあればまだしも、人を見下すような態度が鼻につく。

 リハビリテーション医学の心を知らない教授に、訳の分からない説教をされた上で、コラムのネタにされた学生が気の毒でならない。

トリビューントリビューン 2008/12/26 17:12 コラムを読んで漠然と違和感があったのですが、体系的に見事に説明されていて大変スッキリしました。

どの分野にも専門家は居られるわけでして、瞬時にして専門家の批評が聞けるNET世界は、にわか弁士にとっては脅威と言う所ですね。

zundamoon07zundamoon07 2008/12/26 20:27  私も、リハビリテーション専門職の授業をしています。リハビリテーションの目標は重層的多面的ですので、へたをすると迷宮に入ってしまいます。常日頃、基本であるICIDHやICFを頭に入れ、系統的に考える習慣をつけることが大事であると、未来の療法士に口をすっぱくして指導しています。
 医学的判断を抜きにして患者の要望を最大限尊重することがリハビリテーションの目標だなんて言う方のコラムを批判するなど大人気ないとは思いましたが、それなりに影響力のある方なので、真面目に反論させてもらいました。折角ですので、来年度の講義では、反面教師として、久坂部羊氏のコラムを授業に使わせてもらうことにします。

通りすがりの者です通りすがりの者です 2009/07/16 20:26 すいません。通りすがりの者です。
過去の記事に対してのコメント、申し訳ありません。
zundamoon07さんの言われている事はよく分かります。
ですが、久坂部羊さんが言われているリハビリテーションは、全人間的復権の意味での広義のリハビリであって、zundamoon07さんはリハビリテーション医学を通じてのリハビリを捕えているように感じます。
久坂部羊さんは介護・福祉分野でリハビリテーションの講義をされているのでしたら、コラムの見解もありなのではないかと思います。
期間限定で効果を要求される医学ではなく、一生かけて充実した人生を過ごせるお手伝いをする介護・福祉では、リハビリテーション医学の考え方は、ある面から見るとそぐわないと感じます。
最低限、障害を持つ家族を持つ立場から、「お箸を使いおいしくご飯を食べたい」と希望する祖父の気持ちは、祖父の人生を充実させるためのニーズと介護・福祉では受け止めてもらいたいです。

zundamoon07zundamoon07 2009/07/17 00:46  貴重なご意見ありがとうございます。
 立場が異なれば、同じ内容の文章でも違った感想を抱きます。今となってエントリーを読み直すと、不穏当な表現も目立ちます。お気に障る点があったかもしれません。申し訳ございません。
 モチベーションの維持を、介護・福祉の分野と同様に、リハビリテーション医療の世界でも大事にしております。麻痺のある手で箸を使いたいという望みがリハビリテーションを続ける上でのモチベーションになっているとしたら、それを頭から否定しないように心がけています。手の麻痺の回復には時間がかかるという説明をしながら、達成可能な別の目標を提示します。少しでも前向きに生きていくお手伝いをしていきたいといつも思っています。
 この間、疾患別リハビリテーション料算定日数上限問題もあり、不本意にリハビリテーション医療を打ち切られる方が少なからずいます。今回のコメントは、リハビリテーション医療に対する不信もあるのではないかと感じました。何か気づいた点がありましたら、今後もご批判していただければと存じます。

通りすがりの者です 通りすがりの者です 2009/07/18 20:28 お返事を頂き、恐縮です。
ありがとうございます。
zundamoon07さんのお考えも、久坂部羊さんのお考えも記事をじっくりと読めば読むほど、両方とも納得します。
私も祖父を通じてですが、医療も介護も福祉もすべての世界を通過していますから。

祖父は、クモ膜下出血の後の脳梗塞を起こし、病院では歩く練習も、「将来的に歩けないから」との理由でされていませんでした。
当時、病院では、お医者さんにzundamoon07さんがおっしゃられているような説明をされました。
ですが、退院後お世話になったデイサービスの理学療法士さんに、リハビリテーションの意味を説明してもらい、zundamoon07さんがおっしゃられているようなリハビリテーション医学のリハビリの目的と、本来のリハビリテーションの意味の違いを教えてもらいました。
リハビリテーションの和訳?が、全人間的復権ということもその時に教えてもらいました。
そしてその方は、病院では病院(医学?)としてのリハビリテーションを行うことが中心となるので、介護や福祉の現場に出てきたと言われていました。
zundamoon07さんも医学・病院の法律的な縛りに大変苦慮されているのだと、お返事から分かります。

2年近くその理学療法士さんのお世話になっておりますが、今は階段の昇り降りもお手伝いすれば、できるようになってきています。
祖父も2年間かかりましたが、とても喜んでいます。
もし、リハビリテーション医学の考え方が退院してからも続いていたら、祖父の今の力は発揮されていなかったのでしょうね。
リハビリテーション医学から、広い意味でのリハビリテーションを意識している方に担当していただき、満足しています。
残念ながら、お箸はまだまだ使えません。
難しいことは、その理学療法士さんからも言われています。
ですが、リハビリテーション医学の考え方から、広い意味でのリハビリテーションの考え方をするようになり、私は、たぶん祖父も明るくなれた気がします。
最近の国の政策はとてもきついと思いますが、最初に祖父に関わる病院の方が、医学一辺倒の知識や考えを持たれることは、家族や本人の不幸につながるのかなと、感じています。

長々とすいません。
zundamoon07さんのように私のような意見を聞いて下さるお医者さんや、久坂部羊さんのように医学だけの考えを持たれていないお医者さんがいることが、うれしくなりました。

zundamoon07zundamoon07 2009/07/18 21:48  ご意見ありがとうございます。
 ディサービスで素晴らしい理学療法士さんに出会えて良かったと思います。リハビリテーションの本質は、生活の場でこそ発揮されます。目の前にいる患者が将来的にどこで暮らし、どのような生活をするかイメージしながら、リハビリテーション医療は行われます。医療と介護・福祉の連携はきわめて重要です。当院でも通所や訪問リハビリテーションに力を入れています。また、地域の介護事業所との連携を強めています。介護・福祉の現場で志をもって働くリハビリテーション専門職が増えることを心から願っています。
 二点だけ追加します。クモ膜下出血後遺症者は、脳出血や脳梗塞と比べて回復が遅れることがよくあります。特に若年者では、発症後数ヶ月全く何もできなかった場合でも、最終的に歩行が可能となることがあります。意識障害の回復が遅延する、水頭症など合併症の影響があるなどの原因があると私は考えています。その意味で、ご紹介いただいた例では、病院側のあきらめが少し早かったのではないかという気がいたします。
 もう一点です。歩く練習も将来的に歩けないからとの理由で行わなかったということに関してです。たしかに、このような発言をするリハビリテーション専門職がいることは事実です。しかし、たとえ介助でも歩行ができることはモチベーションの向上につながります。歩行訓練で下肢機能を鍛えることは、車いすへの乗り移りやトイレ動作の介助量を減らすことに通じます。覚醒レベルの向上にもつながります。よほどの重症でない限り、歩行訓練の適応はあると私は考えています。

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