東日本大震災で倒壊した旧有備館、復旧未だ

 鳴子温泉郷に湯治に行ってきた。気ままな一人旅だったこともあり、岩出山にある国指定史跡・名勝旧有備館及び庭園に立ち寄ってみた。調べてみると、史跡と名勝両方同時に指定されている文化遺産は、全国に17ヶ所しかない。京都が最も多く、南禅院庭園、平等院庭園、嵐山など7ヶ所ある。そのような貴重な建造物が、東日本大震災で倒壊した。

<静かに解体待つ>
 江戸時代に岩出山伊達家の学問所だった旧有備館は、美しい庭園と共に国指定史跡・名勝に定められている。大崎市岩出山地区を代表するこの歴史的建造物は東日本大震災で、かつてない被害を受けた。5月から無料公開されている敷地内には、倒壊した旧有備館主屋(おもや)が雨よけのブルーシートで覆われ、解体作業を静かに待つ。

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1086/20110915_01.htm







 震災前の姿は、http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/siteibunkazai/siseki/kunisiseki/siseki-meisyou00.htmをご覧いただきたい。
 有備館のある岩出山は、一部の歴史好きにしか知られていない。伊達政宗公は、小田原参陣が遅れ、豊臣秀吉の不興を買った。その後、大崎・葛西の一揆を裏から操ったという疑いをかけられ、1591年に岩出山に本拠を移した。その後、1601年の仙台開府まで12年間をこの地で過ごした。なお、余談となるが、旧伊達藩領内、特に仙台市では、藩祖である伊達政宗公に関しては尊称つきで呼ばなければいけないしきたりがある。一方、信長、秀吉、家康など同時代の人物は呼び捨てをする。仙台市内にも東照宮があるが、権現様と家康を呼んでいる市民はいない。



 有備館駅前には、伊達政宗公騎馬像がある。以前は、JR仙台駅ステンドグラス前にあり、待ち合わせ場所に使われていた。ただし、青葉城趾にも有名な伊達政宗公騎馬像があり、「伊達前」で待ち合わせという約束を勘違いして、仙台城まで行ってしまった地方出身のOTがいた。そのせいではないと思うが、2008年に現在の地に移っている。




 旧有備館庭園の隣に、�X���𑢖{��がある。ここも震災で被災した。蔵の壁が崩落するなどの被害があり、内部の見学はできなかった。復興を祈り、しぼりたての日本酒を購入した。
 宮城県内陸部の被災状況は決して軽くはない。通常なら、旧有備館といれ歴史的建造物の損傷ということは大問題となるはずである。しかし、沿岸部の甚大な被害に隠れ、内陸部の被災状況はほとんど知られていない。町民の誇りである、旧有備館の再建を心から願っている。



 旧有備館に隣接する公園に真新しい記念碑があった。近づいてみると、北海道当別町岩出山町との姉妹都市締結を記念したものだった。
 http://www.town.tobetsu.hokkaido.jp/sogo/shimai_toshi/には、次のような記載がある。

 旧岩出山町当別町は、明治維新のおり仙台藩御一門岩出山伊達家並びに家臣団によって当別町が開拓されたという歴史的深い絆で結ばれており、両町の双方が友好と親善を深め、教育・文化・産業等各分野の交流を図り、ともに繁栄することを念願して姉妹都市として盟約を締結しました。

 戊辰戦争で賊軍となった伊達藩では、汚名挽回を果たすため、集団で北海道開拓に向かった。当別町へは岩出山支藩伊達市へは亘理支藩、そして、札幌市白石区へは白石藩片倉家の門中が北の大地に向かった。記念碑を見ると、姉妹都市を締結した当時の当別町長は伊達姓である。どうやら、岩出山藩主の後裔のようである。







 鳴子温泉郷に行く途中で、あ・ら・伊達な道の駅に立ち寄った。道の駅としては、東北一の売上げを誇る、超優良施設である。施設内に、Royce'の売り場やソフトクリーム店がある。Royce'の工場が当別町にある縁で作られた。最近はどうか分からないが、宮城県Royce'製品を買おうと思うなら、ここに来るしかなかった。ちなみに、愛媛県宇和島市の名産品一六タルトも売っている。宇和島藩は、伊達政宗公の長子である秀宗が藩祖である。
 施設内には、伊達政宗公旗下の武将達の甲冑が展示されている。どうやら、政宗公まつりで使用されるもののようである。昨今、歴史好きの女性(歴女)が増えていると聞くが、一番人気は伊達政宗公とのことである。政宗公まつりのポスターを見ても、明らかに歴女を意識しているのがわかる。